原子力広聴・広報アドバイザリー・ボード(第1回)‐議事要旨
日時:平成23年11月10日(木曜日)15時~16時30分
場所:経済産業省別館5階 第513共用会議室
出席者
小林委員長、北村委員、佐倉委員、辰巳委員、宗像委員
資源エネルギー庁
高原資源エネルギー庁長官、後藤総合政策課長、三田電力・ガス事業部政策課長、吉野原子力政策課長、森本原子力立地・核燃料サイクル産業課長
経産省大臣官房
宮本政策評価審議官
議題
- シンポジウム等の運営に係る行動規範について
- 原子力広聴・広報のあり方について
議論の概要
- 行動規範の総則(目的)中の「相互理解」は、誰と誰の理解か不明確。
- 基本原則2)の「中立」の意味が不明。資源エネルギー庁は政策官庁であり、政策を進める立場、それに反対する人に対して、中立にはなり得ないのではないか。
- 科学的中立性という意味で第三者委員会では話されてきた。普通、科学的中立性は成立するが、原子力では分からない。科学者でも意見は対立する。
- 中立を担保することは現実には難しい。原子力の人間が中立であろうとしても、中立とは見てくれない。便法として、意見の異なる人を入れ対話することをやってきた。
- 科学的な正確性についても同じことが言える。いろいろな学説あり。
- 原子力は対象自体が複雑なシステム。さらに、リスクについても、物理学、工学、放射線医学の観点とそれぞれの見方があり、「群盲、像をなでる」状態。感情ではなく、科学的、客観的なデータに基づいて議論ができる場をつくることが大事。
- 国のこれまでの取組で膨大なデータあり。これをデータべース化し、真剣に見直すと相当程度見えてくると思う。HPに掲載するだけでなく、もう一段踏み込んで、何が分かったか、運用の知恵、経験を共有して欲しい。
- 処分地が決まっていない地層処分と、推進という立場が決まっているプルサーマルでは、コミュニケーションの仕方が違う。前提条件、獲得目標、目的も変わるだろう。全部まとめて議論することが良いのか。一律の規範で現場が手足を縛られる構造にもなりかねない。
- 理解を深めることの評価基準が決まっていない。怒号が少ないというもあれば、反対意見が出ることを理解が深まったと見る考えもある。
- 結論ありきの場合にシンポジウムは適切な広聴広報活動なのか。方向性の結論が出ていない状況において、議論を聞きながら自分の考えをまとめていくのに有効なのがシンポジウムではないか。
- プルサーマルシンポは国の判断が既にある。それは情報伝達であって、双方向のコミュニケーションではない。心配な人に分かりやすく伝えるということ。再起動のケースでも、保安院等がOKした後の説明は、公正中立とは違うのではないか。
- 情報を受けた側にどれくらい裁量があるかでシンポジウムの性格が異なってくる。性質が違うものがあることをどう考えていくか。区別も検討して欲しい。
- 国の政策が決まっている段階で行われる国のシンポジウムは、地元自治体の意志決定プロセスの最終段階で使われる。そういう磁力が働いている中で行われるので、どうしても何事もなく済めばよいと考えがちになる。
- 最終的に皆が理解してくれたことによって物事を決めたいとの理想像を置いていて、異を唱える人がいる限り説明が足りないから説明するという、逃げ水のように永遠に追いつかない理想を追う、そんな構造にはまっている気がする。
- 地元の人が考える材料として、「知りたい」という要求に応え、納得感をもってもらうことに役立つことが、理解が深まることだと思っている論点をカバーでき、意見がかみ合って議論ができればよい。国は、公益目的をもって政策を考える、電力会社と国民の利益が相反する場合があり、その意味での中立性は強く意識する。
- かつて、東京電力で広報問題を研究する委員会があり、とてもよい提言がまとめられたと思ったが、3.11後の東電記者会見では何も反映されていなかった。血となり肉となるような具体的仕組みが必要。健全なステークホルダーの対話が行われる仕組みの検討が必要。
- 第三者委員会で調査対象となった事例では、公正性、透明性「らしさ」が失われた。外からそう見られたという点で不適切だったということ。「李下に冠を正さず」ということが求められる。3.11の前後で公正性、透明性は同じではないのではないか。ここまではやってよいという線引きに終わることなく「らしさ」を保つ仕組みづくりが必要。
- 「らしさ」という言葉を使うことに注意が必要。他の意味にとられる可能性あり。
関連リンク
最終更新日:2011年12月9日
