2.ユーロ導入の経済的影響


 99年初からのヨーロッパ単一通貨ユーロの導入は,第二次世界大戦後進められた欧州経済統合の仕上げであるとともに,独仏関係の安定化を基軸とする欧州恒久平和の実現という政治目的の最終的帰結でもある。
 また,世界経済の名目GDPのうち約2割を占める地域で流通する新たな通貨の出現は,世界の貿易・資本取引に大きな影響を与えうる。ユーロの国際基軸通貨としての可能性について見ると,貿易決済や準備通貨としてのユーロ使用については現時点で大きな変化はないが,資本取引通貨としてのユーロはドルに匹敵する地位を確立しつつある。ユーロ圏の経済が確実に成長を続ける場合,日本など資本供給・資産運用側にとっては,伝統的なドル依存へのリスクを軽減する機会が生まれるプラスの側面があるといえよう。


〈コラム1-2-1:ユーロの国際基軸通貨としての可能性〉
 現在,EU加盟15か国のうち11か国がユーロ通貨圏に加入している。ユーロは導入当初からドルに対して下落を続けたものの,ユーロが今後ドルに匹敵する国際基軸通貨となりうるかどうかが注目される。
@ 貿易決済通貨としてのユーロ
 欧州各国の通貨は,EU域内での貿易取引においては幅広く用いられており,ドルを使用する割合は相対的に少なかった。92年時点で見ると,主要欧州通貨による決済が5,240億ドルとなっているのに対し,ドル決済は1,410億ドルにとどまっている(第1-2-6表)。こうした欧州主要通貨建てによる域内貿易取引に関しては,その大部分がユーロ建てに移行していくものと考えられる。

 他方,貿易取引の決済通貨としては,従来からドルによる取引が世界貿易全体の約5割を占めてきた。これは,米国の対世界貿易に占める割合(92年時点で12.0%)に比べて圧倒的に高く,ドルが第三国間の貿易決済にも広く使用されていることを示している。
 EU域内分を除いた貿易取引に関しては全体の約6割にドルが使用されており,欧州の各国通貨が用いられる割合は少ない。
 しかしながら,99年に日本貿易振興会が日本企業を対象に行ったアンケート調査(注9)によれば,ユーロ導入への具体的対応策としては「ユーロ建て貿易決済の増加」をあげた企業のうち,「円建て決済をユーロ建てに変更」が21.0%,「ドル建て決済をユーロ建てに変更」が9.5%あった(注10)(第1-2-7図)。

 さらに各国通貨建てをユーロ建てに変更した貿易相手国・地域を見てみると,ユーロ圏各国のみならず,イギリス,スイス,ロシア,中東欧についても,円建てやドル建て決済からユーロ建てに変更する動きが見られる(付表1-2-2)。
 したがって,貿易決済通貨についてはドル優位の状況には当面変化がないと考えられるものの,ユーロ参加11か国以外との貿易決済通貨にもユーロの使用が広がる可能性がある。
A 金融・資本取引の手段としてのユーロ
 国際金融・資本市場において,ユーロがドルとどの程度拮抗する通貨となるかが注目される。
 通貨別債券発行額の推移を見ると,99年のユーロ圏通貨建て債券の発行額は98年までと比べて飛躍的に増加している(第1-2-8図)。99年第4四半期にはドル建て債券の発行額(1,119億ドル)を上回る1,272億ドルとなり,債券発行額全体に占める割合も41.0%に上昇した。なお,99年のドル建て債券の発行額も米国の好景気を反映して大きく増加した。

 国際金融市場における通貨別のBIS報告国銀行による貸出額の増減を見ると,フローベースでは99年第2四半期のユーロ圏通貨建てによる貸出額は438億ドルとなり,ドル建てによる貸出しを上回った。残高でもドル建てが3.21兆ドルであったのに対して,ユーロ圏通貨建ては2.61兆ドルとなり,ユーロ圏通貨建て貸出額はドル建てに近づきつつある(第1-2-9表)。

 また,99年末時点の上場株式の時価総額を比較すると,ユーロ圏(通貨統合参加11カ国の合計)では5.5兆ドルを超え,ニューヨーク市場に次ぐ規模となる(第1-2-10図)。また,ユーロ建てによる98年末と99年末のユーロ圏取引市場の時価総額を見ると,1年間で72.4%の大幅増となっている。

 このように,債券発行,BIS報告国銀行の貸出額,上場株式の時価総額といった金融・資本取引の面において,ユーロ圏通貨建てによるものが大幅に増加しており,ドルとユーロの二極化が鮮明になりつつある。
B 準備通貨としてのユーロ
 各国中央銀行は外貨準備として自国通貨以外の通貨を保有しているが,ユーロ導入に伴い,保有している通貨のうちのユーロ圏各国通貨を一定の割合でユーロに移行していくものと考えられる。
 世界全体での外貨準備の通貨別割合の推移を見ると(第1-2-11図),70年代にはドルが約8割を占めていたが,80年代以降ドルの割合が低下し,ユーロ圏の各国通貨やポンドを中心にその低下分を埋めてきた。98年にはドルの割合が約6割となった一方で,ユーロ圏各国通貨の割合が縮小している(注11)。


(1) ユーロ圏経済への影響

 ユーロの導入がユーロ圏経済に与える影響については,各国内では財政・金融政策に係る自主権の喪失や社会保障の圧縮圧力等の懸念が指摘される一方で,為替手数料等の域内取引コストの削減,域内競争圧力の強化による効率化,財政規律強化,規制改革など各国経済の構造改革促進といったプラス面が強調されてきた。
 以下では,ユーロ圏経済への影響について,@財政規律の強化,A価格の収斂,B産業界への影響という3つの観点から,その実態を検証していくこととする。
 @ 財政規律の強化
 通貨統合への参加の可否は,@インフレ率,A長期金利,B財政赤字,C政府債務残高,D為替相場メカニズム(ERM)への参加状況の5つの政策目標で判断された(注12)。この結果,ユーロ導入に伴うマクロ経済の安定化は目に見える成果を既に上げている。
 特に,通貨統合に向けた各国の財政収支改善努力にはめざましいものがあった。1995年の時点では,アイルランド,ルクセンブルクを除いて経済収斂基準である「財政赤字対名目GDP比3%以内」を満たしていなかった。
 このため,各国政府は公務員給与の引上げ凍結・抑制や人員削減,付加価値税引上げ等を行い,意欲的に財政赤字削減に取り組んだ。失業率の高止まりにより失業保険給付の削減は思うように進まなかったものの,イタリアにおける「ユーロ税」の導入,フランス,ドイツにおける国有企業の株式売却といった赤字削減策を実施した結果,97年までに各国の財政収支は大幅に改善され,98年5月の経済通貨統合に関する特別首脳会議開催時には,11か国すべてが基準を達成した。欧州委員会によれば,99年には多くの国でさらに財政状況が改善する見込みである(第1-2-12図)。

 こうした財政赤字削減策は長期金利の収斂にもつながり,それまで高金利となっていたイタリア,スペインを含めた各国では,97年後半から金利差が縮小し始め,99年1月1日時点でのドイツ国債との利回り格差はイタリア国債が0.25%,スペイン国債で0.19%にまで縮まった。


〈コラム1-2-2:「市場保護的財政連邦主義」の効果(注13)〉
 ユーロの導入は,加盟各国の財政主権は基本的に維持しつつ,金融政策の一元化を図った。欧州連合を中央政府,加盟各国政府を地方政府とみなした場合,ユーロ導入後の欧州は財政政策における地方分権と金融政策における中央集権とが組み合わされた「市場保護的財政連邦主義(market-preserving fiscal federalism)」の体制をとっているともいえる。近年では,こうした一元化された金融政策を伴う財政連邦主義が地方政府による経済的非効率(財政不健全化など)を抑制する機能を果たす可能性が注目されている。
 例えば,中国の経済改革の成功要因として,市場経済化を伴う地方分権が進んだこととともに,95年に中央銀行から地方政府への貸付を禁止したことによりインフレーションが未然に防止された結果,地方政府が財政規律を保ちつつ経済成長を追求することを促進した点が指摘されている。また,建国以来地方政府の主権が伝統的に強かった米国においても,19世紀における金融危機の経験を通じて各州政府の財政主権を維持しつつ,金融政策面では連邦準備制度への集権化が進展した。
 A 価格の収斂
 ユーロ導入により価格の透明性が高まることから,企業への価格引下げ圧力が強まるといわれているものの,現時点では様々な競争阻害要因等から各国市場における価格の収斂には至っていない。
 日本貿易振興会が行っている小売販売価格調査では,ユーロ導入からほぼ1年となる99年12月時点においても,商品によって1.3〜3.4倍の価格差が存在するとの結果が出ている(第1-2-13図)。域内でこのような価格差を生じる要因としては,国ごとの税率の差異(全品目),流通系列への競争条項適用の除外(自動車)等の競争阻害要因が挙げられる。このうち,自動車やガソリンに関しては付加価値税(VAT)に加え,自動車取得税,エネルギー関連の税がそれぞれ課せられるため,域内価格差は大きくなっている。

 価格の収斂に関しては,2002年からのユーロ紙幣・硬貨の流通に伴い,消費者・ユーザーからメーカーへの価格引下げ圧力がより一層強まるものと思われる。今後,競争政策等を通じて域内の市場競争を確保できるかどうかが注目される。
 B 産業界への影響
 産業界にとってユーロの導入は,短期的にはユーロ対応システムへの切換がコスト増加要因として企業収益に影響をもたらす可能性がある一方で,為替手数料等の取引コスト削減のほか,域内での企業間競争が激化し,その結果欧州企業の競争力が高まることが期待される。
 実際,ユーロ圏の形成という欧州独自の要因に,電力・通信業界における規制改革の進展,グローバル規模での競争の激化といった要因が加わって,欧州域内もしくは米国をも巻き込んだ国境を越えた企業合併・買収の事例が増加している(付表1-2-3)。
 欧州経済における業界再編の動きについては,欧州委員会(競争総局)において,競争政策を維持するためにEU合併規則(1989年)に基づき,大型案件に関する審査を行っており,99年1〜8月の間では,172件(条件付きを含む)を承認し,3件を独禁当局に付託している。

(2) ユーロ圏拡大の可能性

 ユーロ圏で起こりつつある変化を受けて,EU内のユーロ不参加国(イギリス,デンマーク,スウェーデン,ギリシャ)でも,参加・不参加を巡る議論が活発化している。
 例えばイギリスでは,ユーロへの参加は政治問題化しており,産業界においても賛否両論がある(注14)。ギリシャでは,99年にはインフレ率の低下,財政赤字及び政府債務残高の対名目GDP比縮小が見込まれており,早期参加に意欲的である。デンマーク,スウェーデン両国では2002年までに国民投票が行われる可能性が高い(付表1-2-4)。今後のユーロ圏拡大の可能性が注目される。

(3) 欧州の統合深化に向けたさらなる課題

 このように,ユーロ導入は欧州経済再生に向けての構造変化を前進させる効果を持ったが,同時に統合深化に向けたさらなる課題への取組みも促進されている。
 @ 税制の調和(tax coordination)
 通貨統合により為替リスクが減少することから,法人税制の整備状況や利子課税の差異等に見られる欧州各国の税制の違いが,今後はより直接的に企業の投資行動に影響を与えるものと考えられる。企業誘致のための「有害な税競争」に歯止めをかけ,税制の調和(tax coordination)を図ることが欧州統合の深化に向けた課題として浮上している。
 これまで域内共通の最低税率の設定等が行われてきた間接税の分野とは異なり,直接税についてはその進展が遅れていたが,今後域内での調整が進められていくものと思われる。
 A 労働市場改革
 通貨統合の進展によって一部の国では資本流入の増加による雇用増が期待できるものの,金融政策の一元化等により,かつてのように金利の変更,財政支出を用いて経済ショックを吸収することができなくなることから,域内で生じた不均衡を調整するには労働市場での調整が不可欠となる。
 従来,欧州における労働政策は,高賃金,高い所得補助と失業給付,厳しい解雇制限等が主流であった。80年代前半から一部の国で構造改革の努力が見られてはいたが,多くの国では政府による直接雇用といった短期的な雇用対策に終始し,構造的失業は解消されなかった(第1-2-14図)。

 さらに,99年6月に行われた欧州理事会では「欧州雇用協定」が採択されており,EU域内でのより一層のマクロ経済政策協調や各国の雇用政策の調和を目指した取組みが進められている。
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