2.為替レートの変動要因
(購買力平価からみた為替変動)
一般に物価上昇率の格差(各通貨の相対的購買力の変化)は,財・サービスなど
の国際間取引における競争力の格差を通じて,低インフレ国の取引を有利化さ
せ,経常収支の改善をもたらすことにより,当該国の為替相場を上昇させる。しか
し,その影響はきわめて長期的なものであり,短期的なレートを決定するもので
はない。為替レートの購買力平価からの乖離の自己相関式をみると,購買力平価
の基準年のとり方いかんによって推計結果は変わることがあるものの,75年を
基準としたものでは,一度生じた乖離は,たとえば円では1四半期ではその8%
しか消失せず,50%消失するためには8四半期(約2年)を要することがわかる
(第3−2−6表)。また,第3−2−7図は,円とマルクの購買力平価と各レートの
実績値の推移であるが,80年頃まで水準自体はかなり乖離があるものの,その
動きには強い相関がみてとれる。しかし,81年以降は日本および西ドイツの物
価上昇率がアメリカより低いにもかかわらず,円,マルク各々の対ドルレ−ト
は,おおむねドルに対して下落している。これは経済的には実質金利格差等(金融
的要因)を反映し,資本取引の流れが大幅に変化したこともあって,為替レ−ト
がこれに影響を受ける度合いが高まったこと等によるものと考えられる。
(経常収支の動向と為替変動)
購買力平価要因が為替相場変動の長期的要因であるのに対し,経常収支の動向
は中期的要因であるといえよう。すなわち,資本取引の規模が経常取引に比べ
て,著しく小さい場合には,経常収支黒字が外国為替市場における外貨の超過供給
を通じて,自国通貨の上昇をもたらす。75年以降の経常収支(累積)と円レートの
関係をみると(第3−2−8図),70年代未までは,経常黒字は円高につながって
いるが,80年以降,それまでの右上がりの直線上を動くパターンとは異なった
動きを示している。すなわち,80年は経常赤字にもかかわらず円高,81,82年
は経常黒字にもかかわらず円安となっている。これは,オイルマネー等のリスク
軽減を意図した国際分散没資の活発化(80年の資本流入,円高),アメリカの高
金利等(81,82年の資本流出,円安)によるものであろう。
(拡大する国際資本取引により変化した為替変動の説明要因)
80年代に入ってからの円レートの変動は,70年代の有力な説明要因であった
経常収支の動向のみを反映したものではなくなった。これは,近年の資本取引の
自由化の進展等による資本流出入の拡大を背景に,期待要因,金利要因が為替相
場に大きな影響を及ぼすようになっているためである。
すなわち,東京外国為替市場の9割を占める米ドルの出来高は,75年には日本
の輸出入等の総額(国際収支ペース)の約半分であったが,82年には約3.5倍まで
増加しており(第3−2−9図),今日では全取引の約7割が資本取引で占められる
ようになった。加えて,80年の「外国為替及び外国貿易管理法」(新外為法)の施行
等にみられる資本取引の自由化の後,日米間の実質金利の差が資本取引に与える
影響が高まり,為替相場に対しても大きな影響を与えるようになったと考えられ
る。この点を円・ドルレ−トの関数(前掲第3−2−3図)を使って分析してみる
と,70年代には,ほとんど影響がなかった実質金利差の寄与度が大幅に上昇し
ていることがわかる(第3−2−10図)。
(為替需給によるレートの変動)
現実の為替レートの動きは,前述した経常収支,実質金利差など,いずれも単
一の要因で説明することはむずかしい。このため,これらの要因がある程度集約
的にあらわれ,計数的に把握可能な外国為替市場での為替需給によって相場の変
動を説明してみよう。
為替の取引には,アウトライト取引(直物あるいは先物為替の売買の一方だけ
を行う取引)とスワップ取引(実行日の異なる反対方向の為替の売買を同時に行う
取引)があるが,後者は相場に対してほとんど影響しないため,アウトライト取引
の為替需給が為替レートを決定すると考えられる。また,アウトライトの為替需
給は,輸出入やサービス取引に基づく経常収支と資本取引に基づく資本収支に大
別され,資本収支はさらに為替相場の予想要因や金利要因に敏感に反応する「不
安定な資本収支」と比較的安定的な動きを示す「安定的な資本収支」に分けられる
(資本取引については次項で詳述する)。第3−2−11図は,この経常収支,「不安
定な資本収支」「安定的な資本収支」の三つの要因に分けて,わが国におけるアウ
トライトのドル為替需給を推計したものである。ドルの供給超過部分と円相場の
上昇局面が,ドルの需要超過局面と円相場の下落局面が,ほぼ対応していること
がわかる。より詳細にみると,77年の終わり頃から「不安定な資本」と「安定的な
資本」の動きが大きくなってきており,資本収支要因が経常収支要因を量的に上
回る場面がみられるようになっている。すなわち,80年には経常収支が大幅な
赤字を続けるなかで,オイルマネーを中心に「不安定な資本」が大量に流入したた
め,円相場は円高に向かった。また,81年から82年秋にかけては経常収支が黒
字に転換した反面,「不安定な資本」の流入幅縮小と「安定的な資本」の大量流出に
より円安が進んだ。
このように為替需給を規定する要因には,@経常収支要因,A期待要因,金利
要因(「不安定な資本」),B構造的資本移動要因(「安定的な資本」)等があり,これ
らの相対的重要性が時期によって変化すると考えることにより,円相場の短期的
および中期的変動が説明されると考えられる。