4.変動相場制下での国際協調
73年春,変動相場制が採用されて既に13年余りが経過した。この間変動相場
制は2度にわたる石油危機のインパクト等に対して緩衝機能を果たしてきたが,
他方で,当初変動相場制に期待された機能は必ずしも十分には発揮されていない
面もあるように見受けられる。
(変動相場制に対する期待)
固定相場制下においては,@平価の硬直性が国際収支不均衡の円滑な調整を阻
んでいたこと,A国内インフレの高進が,相手国での貿易財価格上昇や通貨当局
のレート維持のための介入による通貨供給量増加をもたらしたため,インフレが
海外に波及しやすかったこと,Bそのため国内金融政策の自由度が低かったこと
などの弊害が顕在化したため,71年8月のニクソン・ショック以降,スミソニ
アン体制を経て,73年2月には変動相場制に移行した。変動相場制は,こうし
た問題を回避し,経常収支の自動調整能力,平価のスムーズな変更,海外物価上
昇の国内への波及の遮断という効果をもたらすことが期待された。当時,変動相
場制に関して,@政策当局は固定相場維持のために為替相場に介入する必要がな
くなり,マネーサプライの管理も容易になるため金融政策の自由度も高まる,A
企業サイドから見れば,為替レートのドラスティックな変更がなくなり,為替相
場の安定により長期的な戦術がたてやすくなり,収益が安定する,Bマクロ的に
は,為替レートの経常収支自動調整能力により対外不均衡は縮小するなどの利点
があるものと予想されていた。こうした期待に対し,実際の変動相場制がこれま
でどのように機能してきたかについて,以下で検討してみよう。
(為替レートの経常収支調整能力)
為替レートの経常収支調整能力について,主要先進国の為替レートと経常収支
の動きを見ると(第1-4-16図),80,81年頃までは各国とも経常収支が悪化す
れば自国通貨が下落し,経常収支が改善すれぼ自国通貨が上昇するという閑係が
見られ,この間は為替レートの経常収支調整能力はほぼ発揮されていたと言えよ
う。しかし,81年頃から,日本,西ドイツ,イギリスとも経常収支の改善にも
かかわらず,対ドルレートは下落している。これに対し,日本については79年
頃から,西ドイツ,イギリスについても81年頃から,対ドルレートは長期資本
収支や長期資本収支をも反映した基礎的収支と似かよった動きを示している。
こうした背景には,80年代に入って,為替需給における資本取引の比重が高
まっていることが指摘できる。円について見ると,東京外国為替市場における対
顧客直物取引は,80年代に入り急増している(第1-4-17図)。しかし,その中
を見ると,貿易関連取引の増勢は鈍く,75年には75%を占めていた貿易関連比
率が,81年以降急速に低下し,83年には26%にまで減少している。これは,資
本関連取引の増加が著しいことを示している。
また,為替取引は,直物又は先物為替の売買の一方だけを行うアウトライト取
引と,直先の反対取引を同時に行うスワップ取引とに区別できる。そのうち,ス
ワップ取引は為替相場に対してほとんど影響を与えないため,為替レートはアウ
トライト取引の為替需給に大きく依存している。銀行間市場での米ドル出来高
は,やはり80年代に入り急速に拡大している。特に,スワップ取引は外為取引
による円・ドル資産調整や顧客との
先物取引の増加から著しい伸びを示
しているが,アウトライト取引につ
いても,80年代に入り着実に増加
しており,その伸びは経常取引の伸
びを大きく上向っている。
資本取引を短期資本取引と長期資
本取引に分けてみると,短期資本取
引はスワップ取引によるものが比較
的多く,為替レートヘの影響は少な
いと考えられる。これに対し,長期
資本取引は従来アンカバー取引によ
るものの比率が高く,為替レートに
与える影響は比較的大きいものと考
えられていた。
円の対ドルレートを,購買力平価
要因,日本の累積経常収支要因,累
積長期資本収支要因,アメリカの累
積経常収支要因,累積長期資本収支
要因に分けて実証分析してみると
(第1-4-18図),81年までは購買力平価要因,日本の累積経常収支要因が為替
レート変化とほぼ同じ方向に動いているのに対し,82年以降は,これらの要因は
レートの変化と逆の方向に動いている。これに対し,日本の累積長期資本収支要
因は,79年以降レートの変化と同じ方向に大きく動いており,近年この要因が
為替レートに強い影響を与えていることがうかがえる。また,アメリカの累積経
常収支要因は,近年のドル高下における経常収支の悪化を反映して逆の方向に作
用しているのに対し,累積長期資本収支要因は内外金利差を反映した流入の加速
により,84年半ば以降円安の方向に作用してきた。
81年以降,我が国の長期資本収支は急速に赤字幅を増加しているが,これは,
@80年12月の外為法改正
により,国際的な資本取引
自由化が進んだこと,A81
年以降アメリカの金利水準
が高くなり,日米金利差の
拡大等の要因から,本邦資
本,特に対外証券投資の流
出が大幅に増加したことな
どを反映したものである。
国の長期資本収支と日米長
期金利差及び購買力平価と
現実のレートとの乖離幅を
示したものであるが,これ
によると,81年以降のア
メリカの高金利による日米
金利差の拡大に伴って,本
邦資本の流出が増加し,長
期資本収支の赤字幅が拡大
していることが分かる。さ
らに,対ドルレートの購買力平価からの乖離の状況を見ると,日米金利差と似か
よった動きをしていることがうかがえ,日米金利差の拡大とともに円安圧力も増
大してきた。
ただし,85年9月のG5以降の対ドルレートには留意する必要があろう。G5
以降10月央までの日米長期金利差を見ると,日本の長期金利の低下から日米金
利差は拡大しており(第1-4-20図),ドル高要因となるはずであるが,実際に
は急速に円高に向かっている。これは,アメリカや日本の為替レート水準調整へ
向けての強い姿勢やアメリカ経済が予想ほど好調でなかったことが市場参加者に
ドル高是正への期待を抱かせ,将来の為替レート予想に大きな変化を及ぼしたこ
とが主因であると考えられ
る。また,こうしたドル高是
正期待の背景として,アメリ
カの財政赤字,経常収支赤字
の長期継続に対する危機感が
市場参加者の間で広まってい
たことも指摘されよう。10
月央以降,日米金利差の縮小
とドル高是正はほぼ同一方向
に動いているものの,日本銀
行による短期金利高め放置策
等も,市場参加者にドル安期
待,円高への移行の予想を一
層確信させたと言えよう。ま
た,9月以降も長期資本収支
赤字は縮小の傾向を見せてい
ないが,これは,為替リス
ク・へッジのためカバー付の
取引を増加したことや将来的
な金利差や金利先安観を背景
とするアメリカ債券市場の堅
調等を考慮に入れ,投資家の
予想期待が高ければ資本流出
は続くものと考えられる。通
商産業省のアンケート調査に
よれば,長期資本取引が為替
レートに与える影響について
は,G5以降,対外取引にお
いてアンカバー取引を減少し
ている企業が多く,逆にカバー付取引や外一外型取引(例えば,インパクトロー
ンを借り入れて外債を購入する)の比率が増加しているため(第1-4-21図),相
対的に為替レートヘの影響は減少していると考えられる。
(アメリカ高金利の波及)
金融政策に与える影響という点から言えば,81年以降,アメリカ金利が高水
準で推移してきたために,先進諸国では国内債券からアメリカ債券へと需要がシ
フトした結果,自国内金利について上昇圧力が生じていた。また,資本流出は,
ドル高,自国通貨安を引き起こし,通貨当局が自国通貨安進行の回避やインフレ
圧力の軽減を図る観点から自国金利を下げ止まらせる傾向があった。実際,イギ
リスや西ドイツでは通貨防衛のために金利引上げによって対処するといった金
融政策がしばしば実施されてきた。こうした経緯を経て,アメリカの高金利は各
国へ波及した。各国の実質長短
期金利の推移を見ると,81年
以降次第にアメリカの実質高金
利にさや寄せされていることが
見てとれる(第1-4-22図)。こ
のようなアメリカ高金利の世界
への波及は,レートを通じて各
国の金融政策の自由度を制約し
ていた面があったと言えよう。
我が国では,経常収支が大幅に
黒字を計上しているにもかかわ
らず,円の対ドルレートが弱含
みで推移していたため,金利
引下げ等の弾力的な金融緩和政
策を採ることができなかった面
もある。逆に,85年に入りア
メリカの景気速度の鈍化から
FRBが金融緩和政策を実施
し,アメリカ金利が低下の傾向を見せ始めたことや為替レートがドル高是正基調
を維持したこともあり,ヨーロッパでは公定歩合等の引下げが実施された。金融
政策の自由度の制約は,変動相場制だけの問題と言うよりも80年代に入って拡
大した国際資本移動の活発化をも背景とした問題とも言える。
(為替相場の安定性)
変動為替相場制下での円相場の年間変動幅を見ると,75〜76年,83〜84年に
かけて20円/ドル台に留まっているものの,それ以外の年は50〜60円/ドル台
の変動を示しており,現実の変動は必ずしも滑らかであったとは言えない(第1-
4-23図)。特に,前回大幅な円高を記録した78年と今回の円高局面の85年にお
ける変動幅は非常に大きい。
こうした為替レートの変化は,企業の売上高や収益に直接・間接に大きな影
響を与える。損益計算書の営業外損益の項目に入る為替評価損益を見ると(第1-
4-24表),76年度から84年度までの9年間平均で,全産業で為替評価損益は
対経常利益比4.89%,対為替評価損益調整前の経常利益比5.11%など決して小さ
いものでない。特に,原材料の輸入依存度が高くドルベースの輸入決済が多い石
油精製,鉄鋼,非鉄金属といった素材産業に与えた影響は大きい。これに対し,
輸出競争力が強く輸出の円建比率の高い加工組立産業では為替評価損益の影響が
比較的少ないと言えよう。
また,為替の乱高下や為替相場予測が困難なことは,企業経営の中長期的な戦
略をたてにくくしている面も
無視できない。通商産業省の
アンケート調査によれば(第
1-4-25図),為替相場の乱
高下が企業に与える影響とし
て,売上高・収益が為替相場
によって大きく左右される,
一貫した企業戦略がたてにく
いといった点を指摘した企業
の比率が8割前後に上ってい
る。これに対し,財テクなど
による為替差益を得るチャン
スが増大する,本来的業務に
おける対外ビジネス・チャン
スが増大するなどのプラス面
を指摘した企業はごくわずか
である。さらに,円相場の安
定性について,為替相場は安
定的な方が望ましいと回答し
た企業は89.7%にも達してい
る反面,望ましくないと回答した企業は0.5%にすぎない点は注目に値すると言
えよう。
(活発化する国際通貨制度改革論議)
以上見てきたように,変動相場制に当初期待された効果は,80年代に入り,国
際資本移動が活発化してくるにつれて,必ずしも十分な役割を果たしているとは
言い難い。このため,各国の政策運営や企業経営にとってみれば,変動相場制下
の為替相場の動きは依然として不安定な要因となっている。
近年,為替相場の変動が大きくなったことや経済ファンダメンタルズを十分に
反映していないレート水準が持続してきたことから,為替相場の安定化・適正化
のための努力が必要との認識が高まり,再び国際通貨制度の改革論議が活発化し
ている。
83年5月のウィリアムズバーグ・サミットでは,協調介入の用意があること
ともに,国際通貨制度改善のための作業を開始することについて合意が成立し
た。これを受けて,85年6月G10レポートが発表されたが,その過程で,アメ
リカ,日本,西ドイツは,現行の変動相場制度を基本的に肯定したのに対し・フ
ランスは,欧州通貨制度(EMS)の成功を背景に,何らかの形の目標相場圏
(ターゲット・ゾーン)を設定することにより,介入や政策変更を強制的に促すメ
カニズムが必要との考え方を一貫して主張した。
EMSについては,79年4月に発足して以来計9回の調整を実施しているが,
85年7月の第8回調整前の2年半の間は安定的に推移するなど次第にうまく機
能しているとの見方も存在している。これは,EMS参加各国が物価安定を重視
し,財政・金融面での緊縮政策を採用したことにより,経済ファンダメンタルズ
の差が次第に収束したことが大きな要因となっている。EMSは政策協調の進展
とともに域内経済安定化の基礎となった点では評価できる。しかし,例えば,急速
なドル高是正が進んだ86年4月にレート調整が実施されたように,特にドル安
期において,マルク高,フラン・リラ安等からしばしばレート調整を余儀なくさ
れている点や一国の経済政策の転換がEMSを通じ参加国の為替政策に影響を与
えることを考慮に入れる必要があろう。
そこで,企業経営の観点から考えた場合に,現行の変動相場制に変更が加わる
としたらどういった国際通貨制度が望ましいかという点についてアンケート調査
を行ってみたところ,金本位制への復帰や硬直的な固定相場制を望ましいとする
企業は少数である。これに対し,ターゲットゾーン構想やネガティヴ・ターゲ
ットゾーン構想が好ましいと考えている企業は4割を超しており,他の改革案
に比べ賛成がかなり多い(第1-4-26図)。
(安定的な為替相場をめざして)
国際通貨制度の見直しが進んでいるものの,現状においては新たな為替制度に
ついての共通認識まできあがっていないため,現行システムの中でいかに変動相
場制下での問題点を解消していくかが重要である。主要先進国は協調介入やマク
ロ政策の協調等によって,経済ファンダメンタルズをより良く反映した為替レー
トの実現をめざすとともに,インフレなき持続的成長を達成しようと努力してい
る。そのために,85年9月のG5直後には為替市場への各国の協調介入が行わ
れ,また,86年3,4月には相次ぐ金利引下げが実施されてきた。
しかしながら,86年4月には対ドルレートが160円/ドル台になるなど,円
高は急速に進展している。経済実勢を反映した為替レートヘの調整は重要な課題
であるが,急速な為替レートの変動や市場の不安定性は,企業経営や国内経済に
与える影響も大きく,今後為替レートの安定が大いに望まれるところである。
かかる現状を階まえ,86年5月の東京サミットでは,経済の基礎的諸条件をよ
り良く反映するような為替レートの顕著な変化があったこと,協調の進展は整然
とかつインフレを生じることなく為替レートの再調整と金利の低下をもたらす上
で有益であったことに対し評価する一方,効果的な協調のための手続きの一層の
強化のため追加的措置を講ずることに合意がなされた。すなわち,イタリア,カ
ナダを含む新たな7か国蔵相会議を創設するとともに,それぞれの国の経済目標
及び見通しの整合性を検討するために,例えば,GNP成長率,インフレ率,金
利,失業率,財政赤字比率,経常収支及び貿易収支,通貨供給量の伸び,外貨準
備,為替レートの指標を活用して,特にSDRを構成する通貨を有する諸国の蔵
相及び中央銀行総裁による,多角的な監視を実施し,当初意図した進路より相当
な乖離が生じたときは,常に適切な是正措置につき了解に達するよう最善の努力
を行うものとしている。また,有用であれは為替市場に介入するとの83年の
ウィリアムズバーグ・サミットにおける約束を再確認しつつ,是正努力は基礎と
なる政策要因に焦点をあてるよう勧告するとともに,協調の進展を図る目的の一
つとして,為替レートの安定性の向上を図ることを明示している。