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APECの歴史~設立経緯~


1.「アジア太平洋」という概念の誕生

 APECとは、「アジア太平洋経済協力」の略称であり、太平洋を取り巻く国・地域が集まって形成しているフォーラムです。そもそもアジア太平洋地域とは、アジア、北米、南米、オセアニアという全く異なる地域が集まって形成しているものであり、アジア太平洋地域というものがもとからあったわけではありません。 アジア太平洋地域という概念が最初に打ち出されたのは、1967年の太平洋経済委員会(PBEC)という産業団体の設立の時であると推測されます。PBECは、太平洋の東西両岸主要国・地域及びオーストラリアの財界代表により構成され、本部をハワイに置き、定期的な会合によって、産業協力等のテーマについて交流を深めるという活動を行っています。
 このようなアジア太平洋という概念は、その後、1980年、大平総理(当時)の政策研究会「環太平洋連帯研究グループ」の提言を受けた太平洋経済協力会議(PECC)の設立、1983年のホーク・オーストラリア首相(当時)による「アジア太平洋経済コミュニティ構想」の提唱といった形で受け継がれました。
 一方同じ頃、米国もアジアの成長に注目しており、オーストラリア、ASEAN、韓国との間で自由貿易協定を結ぼうと試みていましたが、結局実現されませんでした。
 このようにアジア太平洋地域をめぐっては、その構成国・地域が様々な動きを見せていたのです。

2.APEC誕生時の世界情勢

 このような動きが見られた1980年代後半に、世界はどのような状況にあったのでしょうか。まず、ヨーロッパにおいては、ローマ条約以来30年の歴史を経て、1987年に、1993年1月からの市場統合が打ち出されました。一方、北米大陸では、1989年に米加自由貿易協定が発効しました。また、ウルグアイ・ラウンド交渉は、1986年の交渉開始以来、進展が思わしくなく、EC、米加協定の進展と相まって、世界経済がブロック化の方向に進みかねないとの危惧が生じつつありました。
 一方、日本に注目してみると、世界のどの地域フォーラムにも属していない中で、このような世界情勢にどのように対応すべきかという問題意識が芽生え始めていました。
 他方、アジア諸国・地域は、1980年代から積極的に外資導入を図り、また先進国・地域からの援助を活用することにより、経済基盤の整備を着実に推進し、急速な発展を遂げつつありました。日本からも、新たな市場と安価な労働力を求めて、多くの企業が資本や生産拠点の展開を図っていました。これがアジア地域の経済発展に大きく貢献したことは疑う余地もありません。こうして、日本とアジア経済の相互依存関係はより強固なものになっていきました。

3.APEC構想の具体化

 このような状況の下、世界経済の中での孤立を避けて、仲間作りを行うとともに、世界経済のブロック化に対抗するため、経済の相互依存関係をベースとした新たな枠組みの必要性が認識され始めていました。
 通商産業省(当時)でも、日本の通商政策上、アジア太平洋地域という概念が重要性を持つのではないかとの認識が高まりつつありました。日本が属し、急速に経済の相互関係を深めつつあるアジア諸国・地域と、従来から最も経済関係が深く、アジア太平洋地域の安定性・経済発展に大きな役割を果たす米国を包含するアジア太平洋地域が世界の成長センターとなっていた情勢の中で、日本の今後の発展のためにも、いかに同地域の経済成長を維持していくのか、またそのためにいかに同地域の国・地域が役割分担を果たしていくのかということが、強く問題意識として持たれていました。
 このような観点から、1987年1月、田村通商産業大臣(当時)がオーストラリアを訪れた際に「環太平洋産業大臣会合」を提唱しました。この構想は、アジア太平洋地域の先進5ヶ国(日本、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)の産業担当大臣が、経済状況、産業構造調整、技術開発、中小企業等に関する議論を行うというものでした。さらに1988年に通商産業省(当時)内で「アジア太平洋貿易開発研究会」が設立され、日本を取り巻く「アジア太平洋地域」について、以下のような情報認識が整理されました。

(1)アジア太平洋地域は、世界経済の中で相対的に高い成長を遂げており、その地位は着実に向上してきている。

(2)アジア太平洋諸国・地域の協力と理念について
  (a)世界経済の構造問題の解決への寄与
  (b)世界経済発展の牽引力としての役割の遂行
  が考えられる。

(3)米国への過去の負担を軽減していくとともに、アジアNIES、ASEAN諸国、オセアニア等が各々の経済力に応じて、役割を分担していく事が重要である。

(4)アジア太平洋地域の協力推進に当たり
  (a)域内諸国・地域の多様性を尊重しつつ、「コンセンサス・アプローチによる多層・漸進的協力」の推進
  (b)域外開放性の確保
  の2点が重要である。

 これらのいわば水面下での検討を踏まえ、1988年にAPECの母体となる構想が動き始めました。まず9月のバトン・オーストラリア商工技術大臣(当時)訪日時に、田村通商産業大臣(当時)からアジア太平洋産業貿易大臣会合の提唱を行いました。翌年の1989年1月、ホーク・オーストラリア首相(当時)が、韓国、続いてタイにおいて、地域協力の為の公式の政府間組織の可能性について言及しつつ、アジア太平洋地域の大臣会合を提唱しました。具体的には(1)ウルグアイ・ラウンドの推進成功の可能性拡大、(2)地域内の貿易障壁の削減に関する検討の場の提供、(3)アジア太平洋地域の国・地域に共通の広範な経済的利益の明確化の3分野を協力対象として指摘しました。その後、オーストラリアと通商産業省(当時)とが、米国、アジア諸国・地域等との調整を展開しました。
 これを受けた形で、米国、ASEAN等において、次第にAPEC構想への認識が高まり、まず1989年6月、ベーカー米国務長官(当時)がニューヨークにおけるアジア政策に関する講演の中で、環太平洋諸国・地域による新たな多国・地域間協力のためのメカニズムの構想を、ホーク首相及び三塚大臣と共に進めていきたい、という趣旨の発言をしました。そして7月のASEAN拡大外相会議において、オーストラリア提案について、関係国・地域からコンセンサスが表明されました。実質的には、これら一連の意見表明が、APECの誕生を決定的なものにしたのです。



  参考文献:「行動するAPEC2020年への道のり」通商産業省通商政策局経済協力部地域協力課(当時)編(1997)

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