第2章
世界経済の新たな発展を先導する「アジア大市場」の創造
第2節
 グローバル化と日本経済


1 グローバル化と国民経済
(1)グローバル化と国民経済の関係
(国民経済計算とグローバル化)
 国民経済計算とグローバル化の関係は、海外とのヒト、モノ、カネ等の取引を計上する「海外勘定」に現れる(第2-2-1表)。海外勘定は、財・サービスの輸出入や労働・資本の国際移動に伴う所得移転を計上する経常取引勘定と、金融取引を計上する資本取引勘定とに分けられる。毎年の経常取引によって生じた国民経常余剰は、資本取引勘定へと引き継がれ、対外金融資産の純増として計上される。このように、経常取引勘定と資本取引勘定とは連結している。
 
第2-2-1表 海外勘定の全体像
第2-2-1表 海外勘定の全体像

 海外勘定の経常取引は、国際収支表における経常収支(=貿易収支+サービス収支+所得収支+経常移転収支)とほぼ対応するため、国民経済とグローバル化の関係は、経常収支に集約されていると考えられる。そこで、我が国の経常収支の推移を見ると、貿易収支はここ20年間おおむね横ばいであるのに対し所得収支の黒字が拡大しており、増加基調にある(第2-2-2図)。
 
第2-2-2図 我が国の経常収支の推移
第2-2-2図 我が国の経常収支の推移
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 こうした継続的な経常収支の黒字により、我が国の対外純資産が増加している。2007年時点で我が国の対外純資産は約250兆円に達しており、17年連続で世界1位を記録している。対外純資産は所得収支の元本であるため、その増加に伴い所得収支の黒字幅は拡大する(第2-2-3図)。
 
第2-2-3図 我が国の対外純資産と所得収支の関係
第2-2-3図 我が国の対外純資産と所得収支の関係
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 所得収支の増加に伴い、経常収支黒字に占める所得収支黒字の割合は65%(2007年)に上っており、「所得収支黒字の増加→経常収支黒字の増加→対外純資産の増加→所得収支黒字の増加→…」という好循環が形成されている。この好循環が当面続けば、我が国国民経済における所得収支の重要性は今後一層高まることが予想される。

(我が国企業の海外進出の積極化と所得収支へのシフト)
 このように重要性が高まる所得収支の内訳を見ると、証券投資収益が最も大きいが、近年直接投資収益の受取額が大きく増加していることが特徴として浮かび上がる(第2-2-4図)。
 
第2-2-4図 我が国の所得収支(受取・支払)の推移
第2-2-4図 我が国の所得収支(受取・支払)の推移
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 直接投資収益の増加の背景には、企業の海外進出の積極化がある。従来、我が国企業は本国からの輸出により外需を獲得してきたが、1990年代半ば以降、本章第1節で論じたようなグローバル・バリューチェーンの成立の促す諸要因を背景に企業の海外進出が積極化し、生産・販売のフィールドが本国を離れ海外へと展開していった。我が国企業の海外に対する販売の形態は、〔1〕日本からの輸出、〔2〕現地生産・現地販売、〔3〕海外生産・第三国向け輸出の3つに類型化することができるが(第2-2-5表)、足下の2005年時点では、〔2〕及び〔3〕の売上高が68%を占めている(第2-2-6図)。このように、既に我が国企業の海外に対する販売の約3分の2が、海外だけで生産・販売が完結するビジネスモデルによるものとなっている。さらに、こうした海外で生産、販売を完結させる「外・外取引」は近年強化される傾向にある。〔1〕〜〔3〕のそれぞれ形態の売上高を1997年と2005年の二時点で比較すると、輸出に比べ現地生産・現地販売及び海外生産・第三国向け輸出の方が大幅に増加している(第2-2-7図)。
 
第2-2-5表 企業の海外販売形態の類型化
第2-2-5表 企業の海外販売形態の類型化
 
第2-2-6図 日本企業の販売形態別海外売上高の比較(2005年)
第2-2-6図 日本企業の販売形態別海外売上高の比較(2005年)
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第2-2-7図 我が国企業の販売形態別海外売上高の推移
第2-2-7図 我が国企業の販売形態別海外売上高の推移
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 こうした「外・外取引」の拡大の結果、企業が獲得する富がGDPに計上される輸出から所得収支に計上される直接投資収益へとシフトした。第1章で見たような新興国経済の隆盛や物流・情報通信技術の向上による事業活動のサービスリンクコスト低減は、我が国企業の海外進出をさらに拡大・深化させることが予想され、所得収支の重要性も一層増すと考えられる。

(国民の豊かさの指標「実質GNI」)
 2006年の通商白書では、少子高齢化の中で持続的な成長を遂げるためには国の「可処分所得」の増加が重要であるとの認識に基づき、国の豊かさの指標として(名目)GNI(国民総所得)を採用した。近年、資源価格高騰等を背景とした交易条件1の悪化による所得流出(交易損失)が、海外からの所得(所得収支黒字)を上回る規模に達し(第2-2-8図、第2-2-9図)、後に見るように我が国の企業及び家計に多大な影響を与えている中では、2006年白書で注目した名目GNIを発展させ、交易利得・損失2を加算するなどして実質化した「実質GNI」を採用するのが妥当と考えられる。実質GNIは、次式により定義される。

実質GNI=
 実質GDP+海外からの所得(実質)+交易利得・損失


1 交易条件とは、自国の財貨1単位で外国から購入できる財貨の数量を示す指標。具体的には、輸出物価/輸入物価と定義される。交易条件が悪化することは、輸出による受取りに対し輸入による支払いが増加することを意味し、海外への所得流出を招くこととなる。
2 交易利得・損失は次の式で定義される。
 交易利得・損失=(名目輸出額−名目輸入額)/ニュメレールデフレーター−(実質輸出額−実質輸入額)
 (※)ニュメレールデフレーター=(名目輸出額+名目輸入額)/(実質輸出額+実質輸入額)(輸出物価と輸入物価の実質輸出額・実質輸入額による加重平均)
  なお、ニュメレールとは「価値尺度」という意味である。我が国では、名目純輸出の価値尺度となるデフレーターとして、上記のとおり、輸出物価と輸入物価の実質輸出額・実質輸入額による加重平均を採用している。例えば輸入数量が不変のまま輸入物価だけ上昇した場合、2つ目の項の実質貿易収支は不変であるが、1つめの項(名目貿易収支を実質化したもの)は減少するため、交易利得・損失は悪化することとなる。また、定義式からも分かるとおり、交易利得・損失の値は輸出入の実質化の基準年に依存する。

 
第2-2-8図 我が国の交易条件指数の推移
第2-2-8図 我が国の交易条件指数の推移
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第2-2-9図 我が国の交易利得及び海外からの所得の推移
第2-2-9図 我が国の交易利得及び海外からの所得の推移
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(伸び悩む我が国の実質GNI)
 しかし、我が国の実質GNIの成長率は低い。1996年から2006年にかけた実質GNIの成長率を主要先進国(日、米、英、独、仏)で比較すると、我が国は5か国中最低であり、年平均成長率は0.96%にとどまる(第2-2-10表)。我が国の実質GNIの低成長の要因の1つが、交易条件の悪化による所得の流出である。実際、世界主要国・地域の交易利得・損失の推移を見ると、我が国は世界の中でも特に大きな交易条件の悪化に直面している国であることが分かる(第1-1-50図参照)。こうした所得の流出は、我が国の実質GNIを年平均で0.29%押し下げており、我が国国民経済に大きな影響を及ぼしていることが分かる。
 
第2-2-10表 主要先進国の実質GNIの平均成長率(1996年-2006年)
第2-2-10表 主要先進国の実質GNIの平均成長率(1996年-2006年)


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(2)グローバル化が我が国企業部門、家計部門に及ぼす影響
〔1〕生産、需要の双方において対外依存度を増す我が国の企業部門
 本項(1)で見たように、我が国企業は、国内から海外へと活動のフィールドを移し、グローバル・バリューチェーンを拡大・深化させつつある。このことは、我が国の企業部門が、生産(労働、資本、中間財等の生産要素の投入)及び、需要(産出する財・サービスの販売)の双方において、海外への依存度を高めていることを意味する。ここでは、生産面、需要面のそれぞれについて、グローバル化の進展状況及びその国民経済に与える影響を確認する。

(生産におけるグローバル化の進展)
 生産要素は大きく労働、資本、中間財に分けられるが、我が国企業部門においては、そのすべてにおいて対外依存度が高まっている。
 まず、労働について見ると、製造業において国内の外国人人材及び海外の現地人材への依存度が上昇しており、2005年度には30%に達している(第2-2-12図)。
 
第2-2-12図 製造業の外国人就業者数の推移
第2-2-12図 製造業の外国人就業者数の推移
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 次に、資本について見ると、東証上場企業における外国人株式保有比率は1990年以降急速に拡大し2006年度には28.0%に達している3ことから、我が国においても外国人による株式投資が活発化していることが分かる(第2-2-13図)。また、直接投資においても、対内直接投資残高の対GDP比率が上昇傾向にあり4、対日直接投資が活発化していることが分かる。

3 したがって、上場企業の配当の約3割が海外に流出していることが推測される。
4 対内直接投資残高の対GDP比率は、ここ10年で1996年の0.7%から2006年の2.5%へと3倍以上に拡大している。
 
第2-2-13図 外国人株式保有比率の推移
第2-2-13図 外国人株式保有比率の推移
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 最後に、中間財(素材、部品等)について見ると、〔1〕アジア新興国の技術力の向上5、〔2〕製品アーキテクチャーのモジュール化の進展等を背景に、中間財投入においても対外依存度が増している。実際に鉱工業総供給表により生産財(中間財とほぼ同義)の輸入浸透率(国内出荷額に占める輸入額の割合)の推移を見ると、1998年1月の18.7%から2008年1月の23.4%まで上昇しており、国内拠点において中間投入の対外依存度が高まっていることがうかがえる。また海外拠点においても、生産ネットワークが拡大・深化するアジア地域において、現地調達比率が上昇している。

5 中国、韓国をはじめとするアジア新興国のキャッチアップの状況ついては、本章第3節で論じる。
 
第2-2-14図 我が国企業のアジア現地法人の調達先の推移
第2-2-14図 我が国企業のアジア現地法人の調達先の推移
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(需要におけるグローバル化の進展)
 少子高齢化、人口減少により国内市場の成長が鈍化すると同時に、新興国経済の台頭により海外市場が拡大する中で、我が国企業にとって国内市場のプレゼンスが相対的に縮小し、我が国企業の外需依存度が高まっている。実際に、我が国上場企業の海外売上比率(全売上高に占める国内会社の輸出売上高及び海外子会社の海外での売上高)は、製造業、非製造業のいずれにおいても堅調に拡大している。特に、製造業の海外売上高比率は高く、直近の2006年度では40.4%に達している(第2-2-15表)。
 
第2-2-15表 上場企業の海外売上高及び海外売上高比率の推移
第2-2-15表 上場企業の海外売上高及び海外売上高比率の推移


〔2〕グローバル化の影響にさらされる我が国の家計部門
 家計部門は、企業に労働力を提供することで賃金を得ると同時に、企業や金融機関に資金を提供することによって利子・配当などの投資所得も獲得するが、こうした家計部門の行動は、少なからずグローバル化の影響を受けている。ここでは、労働者としての家計部門及び投資家としての家計部門が、それぞれどのような形でグローバル化の影響を受けているかを確認することとする。

(他の生産要素との関係による賃金の低下)
 我が国における労働への対価の減少は、労働分配率の低下という形で既に顕在化している。実際、従来高水準にあった我が国の労働分配率は近年著しく低下している(第2-2-16図)。OECD(2007)6では、こうした日本の労働分配率の低下の要因の1つとして、グローバル化の進展に伴い労働者の交渉力が弱体化していることを指摘している7

6 OECD(2007c)OECD Employment Outlook 2007。
7 その他の要因としては、産業の資本技術集約化の進展が指摘されている。
 
第2-2-16図 日米欧の労働分配率の推移
第2-2-16図 日米欧の労働分配率の推移
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 また、既に見たように我が国の外国人株主保有比率が急激に上昇しているが、一般により高い配当性向を望む傾向がある8と言われる外国人株主の参入が、企業の配当行動の変化を通じて我が国の賃金に影響を与えている。実際に、各業種の実質賃金ギャップ9と外国人持株比率の関係を見ると、外国人株主保有比率の高い業種ほど賃金ギャップのマイナス幅が大きくなる傾向が見られ、資本のグローバル化が国内の賃金を抑制していることもうかがえる(第2-2-17図)。

8 小林毅(2007)「機関投資家がコーポレートガバナンスに与える影響」では、回帰分析により外国人株主保有比率の高い企業ほど配当性向が高いことを確認している。また、日本銀行「わが国の輸出入構造の変化について」でも、外国人株主がわが国の賃金に影響を与えている可能性を指摘している。
9 実質賃金ギャップ=実質賃金上昇率−中立的賃金上昇率。中立的賃金上昇率は、労働分配率を一定に保つような賃金上昇率である。すなわち、実質賃金ギャップがマイナスであることは、労働分配率が低下することと同義である。
 
第2-2-17図 外国人持株比率と実質賃金ギャップ
第2-2-17図 外国人持株比率と実質賃金ギャップ
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(金融のグローバル化と利子・配当所得の可能性)
 以上で見たように、グローバル化は国内の生産要素と海外の生産要素との競合を強め、家計の雇用や賃金におけるリスク(不確実性)を拡大させるとともに、労働力が生み出す期待収益率が低下している10。こうした中で、従来のように賃金のみに所得を依存する構造から徐々に脱却し、保有金融資産の適切な運用により所得を補完する発想が重要となりつつある。

10 野村総研(2006)は、近年賃金の期待上昇率が低下すると同時に賃金変動の標準偏差が拡大していることを確認した上で、運用資産としての労働力のリスク(不確実性)が増していることを指摘している。その上で、1990年代までは、労働力が生み出す期待収益率が高く、かつ終身雇用制や年功序列賃金といった雇用慣行の中で失職や賃金引き下げのリスクは小さかったが、1998年以降はこうしたリスクが増大して労働力が生み出す期待収益が低下し、この期待収益の低下を保有金融資産の運用で補わなければならない時代になったと考察している。

 保有金融資産の運用パフォーマンスの向上という観点からは、グローバル化はメリットをもたらし得る。本章第1節で見たように、金融のグローバル化が急速に進展する中で、従来は対外金融資産への投資が困難であった家計も、インターネット等を通じて容易に対外金融資産に投資することが可能となった。
 そこで、我が国の家計が保有する対外金融資産(外貨預金、外債、外貨建て投資信託)の推移を見ると、外債や外貨預金が横ばいであるのに対し、外貨建て投資信託の額が急速に拡大しており、機関投資家を通じた対外投資が急速に活発化していることが分かる(第2-2-18図)。
 
第2-2-18図 我が国家計の対外金融資産の内訳の推移
第2-2-18図 我が国家計の対外金融資産の内訳の推移
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 経済が成熟しかつ金利も低い我が国においては、株式、債券のいずれにおいても高い利回りは期待できないため、金融のグローバル化を通じて海外の収益率の高い金融商品に投資することが可能となったことは、我が国家計において大きなメリットであると言える11

11 成長が著しいアジアの株式で運用する株式投資信託も徐々に増えつつある。詳細は本章第4節を参照。

 なお、我が国の対外金融資産残高全体(354.6 兆円)の保有内訳を見ると、年金・年金基金の保有分が家計の保有分を超える約60兆円の規模に達している(第2-2-19図)。年金資産は将来的に家計の所得源となるため、家計の潜在的な対外金融資産への依存度は、現時点の家計金融資産の対外依存度よりも高いと考えることができる。
 
第2-2-19図 対外金融資産の保有内訳
第2-2-19図 対外金融資産の保有内訳
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(グローバル化と格差)
 我が国においても、1980年代から所得格差を示すジニ係数が上昇しており、1990年代半ば頃から急速に上昇している12。また、相対的貧困率13が上昇し14、生活保護受給者数も増加している15。さらに、労働市場における低所得の非正規労働者の増加も大きな社会問題となっている16。諸外国においても、こうした低所得層に取り残された人々がいる反面、グローバル市場で富を増大させているような少数の富裕層があり、両者の格差の広がりが指摘されている17

12 例えば厚生労働省「所得再分配調査」の当初所得ベースで見た場合。太田清(2006)「日本の所得再分配−国際比較でみたその特徴(内閣府経済社会総合研究所ESRI Discussion Paper Series No.171)によると、更に、我が国の場合、税や社会保障による再分配(例えば社会保障給付のうち労働年齢層への給付が小さいことや中間層と低所得層の税率の差が小さいこと)が相対的貧困率を高くする方向に影響している。
13 所得が所得中央値の50%に満たない人々の割合。
14 我が国の相対的貧困率は2007年時点で15.3%である。これは、主要先進国の中で米国に次いで高い水準となっている。
15 橘木俊詔(2006)『格差社会−何が問題なのか』。
16 働いても所得が増えないいわゆる「ワーキング・プア」と呼ばれる人たちの存在が問題になっている。
17 UNDP(国連開発計画)は2005年現在で、世界の富裕層上位50人で、最貧困層4億1,600万人よりも多い所得を得ている、と推計している。また、今後、格差の拡大を懸念する人々も多くなっている。例えば、2008年5月19日付Financial Timesでは、米国、英国、フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、日本、中国で同紙が行ったアンケート調査の結果を紹介しているが、それによると、今後、貧富の格差が拡大すると考えるか、という問いに対し、中国を除く他の国々では、70〜80%以上の人が「そう思う」と答えている。税による再分配への期待は日本でも最も高く、「富裕層にもっと課税すべきか」という問いに対し、80%近くの人が賛同している。

 こうした家計所得の格差は、前述のような、グローバル化による海外の生産要素との競合が激化する中、そうしたグローバル競争における「勝者」と「敗者」の分離が進んだことによるのではないかとの議論が高まっている。また、金融経済化が加速するグローバル経済において投資収益を拡大させることに成功したか否かの違いも大きいと考えられる。
 グローバル化の所得格差への影響については諸説あるが、ここでは、既存の研究成果等により、現状を概観する。

○我が国における所得分布の変化の要因分解
 一般に、所得格差の指標としてはジニ係数が用いられる。厚生労働省「平成17年所得再分配調査報告書」が行ったジニ係数上昇の要因分析の結果を見ると、2002年〜2005年のジニ係数(世帯単位、当初所得ベース18)上昇は、〔1〕人口構成の高齢化による高齢者世帯の増加や〔2〕単独世帯の増加等の世帯の小規模化といった社会構造の変化が主な要因であり、このような社会構造の変化の影響を除いた〔3〕真の格差拡大による部分はジニ係数上昇分全体の1割弱を占めるに過ぎないことが分かる(第2-2-19図)。

18 当初所得とは、雇用者所得、事業所得、農耕所得、畜産所得、財産所得、家内労働所得及び雑収入並びに私的給付(仕送り、企業年金、退職金、生命保険金等の合計額)の合計額をいう。


○真の格差拡大部分の要因
 真の格差拡大の要因としては、大きくグローバル化要因、技術進歩要因の2つが指摘されている。
 まず、グローバル化が格差を生み出すメカニズムについては、要素価格均等化定理がその理論的背景となる。本章第1節3.で見たように、貿易量の拡大に伴い貿易財の価格が平準化に向かう傾向が見られ(「一物一価の法則」の成立)、その結果、貿易財を生産するセクターにおいて賃金も平準化の圧力を受ける。しかし、要素価格均等化定理に基づくと、先進国では途上国と比べ豊富に有する高いスキルを持った労働者に対する需要が高まり、彼らの低いスキルを持った労働者に対する相対賃金が上昇する19。このように、賃金の平準化の圧力は、各労働者のスキル(熟練度)に応じて不均一に生じ、所得格差が拡大する。

19 途上国においては逆のメカニズムが働き、高スキル労働者の低スキル労働者に対する相対賃金は低下し、格差が縮小する。

 また、IT技術の進展等の技術革新が、所得格差を拡大させる圧力となっている。技術革新が進み産業の資本・技術集約度が高まると、技術革新の成果を使いこなせる人材と使いこなせない人材との間に生産性の格差を生じ、賃金格差をもたらす。
 
第2-2-20図 我が国のジニ係数の上昇要因
第2-2-20図 我が国のジニ係数の上昇要因
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 こうしたグローバル化要因と技術進歩要因を、定量的に把握しようとする実証分析も進んでいる。例えば、IMF(2007b)20では、各地域のジニ係数を〔1〕グローバル化要因21、〔2〕技術進歩要因22、〔3〕その他要因へと寄与度分解した上で、地域ごとに格差の拡大要因を分析している。その結果からは、〔1〕先進国ではグローバル化が格差の拡大に寄与しているのに対し、途上国ではグローバル化が格差を縮小させる方向に寄与していること23、〔2〕技術進歩は先進国、途上国を問わず格差の拡大に寄与していること、の大きく2点を読みとることができる(第2-2-21図)。この分析結果を踏まえると、少なくとも先進国においては、グローバル化(貿易投資の開放)が所得格差の拡大に寄与している可能性がある。

20 IMF World Economic Outlook April 2007。
21 貿易開放度(貿易額÷GDP)、対内外資産残高の対GDP比率等を説明変数。
22 ICT資本ストック比率(ICT資本ストック÷総資本ストック)が説明変数。
23 この結果は要素価格均等化定理とも整合的である。
 
第2-2-21図 ジニ係数の変化の寄与度分解(先進国・途上国)
第2-2-21図 ジニ係数の変化の寄与度分解(先進国・途上国)
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○全世界で必要な技術進歩への対応と教育・技能訓練の重要性
 上記のIMFの分析結果によれば、技術進歩は先進国、途上国を問わず世界的に格差を拡大させる要因となっている。すなわち、技術進歩にキャッチアップできる人材だけが所得を拡大し、そうでない人材は所得が伸び悩むという構造が全世界において顕在化している24

24 例えば、米国の所得五分位毎の所得の推移を見ると、2000年以降は上位20%だけが所得を拡大させ、それ以外の所得階層では所得が減少している。こうした不均一な成長構造は70年代〜90年代には見られなかったものであり、IT化の進展をはじめとするスキル偏向的な技術進歩によりもたらされたものと推測される。

 スキル偏向的な技術進歩の下で持続的な成長と格差の是正を両立させるためには、人的資本の蓄積を行うとともに産業を高度化し、国民全員が技術進歩へ対応できるようにすることが必要である25。そのためには、技術進歩に対応できるような人材を1人でも多く育てるため教育訓練を充実させるとともに、技術進歩による経済環境の変化の結果、損失を被った労働者に対する技能訓練を充実させる必要がある26 27

25 発展途上にあるアジアの国においても、都市部と農村部の所得格差(農工格差)が顕在化しつつある。中所得国までに成長したアジア諸国でも、いまだ農村部の人口が大きく、その格差の是正が課題となっている(財団法人総合開発研究機構(2008)「アジアの課題と日本」)。従って、アジアの国においても、人的資本の蓄積と産業の高度化による格差の是正が、今後の大きな課題であると言えよう。
26 ゲイリー・バートレス(2007)「グローバル化の進展と所得の二極化」では、経済変化によって損失を被る労働者への保障方法として、〔1〕再就職後に失業期間の給付を行う労働者所得保険の導入、〔2〕低賃金給与者への給与補填、〔3〕若い労働者に対する一般技能訓練、の3つがあげられている。
27 米国、欧州では、貿易自由化によって影響を被った企業、労働者に対する支援施策が積極的に行われているが、その中においても、労働者の新しい業種・職種への適応をうながすための教育・技能訓練が盛り込まれている。詳細は本章第4節を参照。


コラム 6

欧州の一小邦、デンマルク国の話28

28 内村鑑三が1911(明治44年)東京柏木の今井館で行われた講演を後に内村自身が文章化した「デンマルク国の話」(初出は、『聖書之研究』第136号(1911年))を参考に、文体をアレンジしている。「デンマルク国の話」では、1864年のドイツ、オーストリアとの戦争の敗戦によって国土の最良の部分を失ったデンマークが、困窮の極みに達した後に、乳製品の生産によって、国民一人あたりの換算で世界でももっとも豊かな国の一つとなった経緯について述べられている。荒れ地を沃野に変えて国を蘇らせたのは、天然と神に深く信頼し、潅漑と植林の技術をもって樹を植える事に取り組んだ人の営為だった。


 (グローバル化経済の恩恵を受けるデンマーク経済)
 先進国において経済のグローバル化への反動が広がりつつあります。アンケート調査の結果29によりますれば、「貿易と投資を含む経済のグローバル化」が急すぎるという否定的な意見が大勢を占め、我が国を含め、英国、米国、フランス、ドイツ、カナダ、イタリアの国々では、この否定的な意見に賛同するものが平均で57%を占めております。雇用喪失の不安等、先進国の間では、保護主義的な機運さえみられます。

29 Peel Q.(2008),“Nordic stay hot on globalization”,Financial Times. April/11/2008。

 しかるに、欧州のなかでも高福祉で知られる北欧諸国においては、グローバル化に対する気運は決して悪くはありません。高い物価水準、高い生活水準、高い福祉水準にも関わらず、北欧諸国は新たなる競争力を持つ地域として耳目を集めつつあります。北欧諸国の労働生産性は、他のOECD加盟国を平均17%ほど上回り、女性の高い就業率のおかげもあって、高い雇用率を実現していると言えます30

30 デンマークの就業率(就業可能人口に占める就業者数)は、2006年時点で78.6%、OECD加盟国中第3位である。

 とりわけデンマークは、労働市場の柔軟性と雇用保障を両立させたる「フレキシィキュリティ(flexicurity)」なるモデルの最も栄えたる成功例として知られています。
 高福祉国家の多くは、法律や労使協定により解雇に制限を設けておりますが、これに対し、他の欧州各国はこれを高失業率の原因であるとか、あるいは欧州域内の自由な労働移動の障害であるとして非難しております。しからばデンマークの状況はどうかと問いまするに、デンマークの労働市場は、労働組合の組織力が高いにも関わらず、一時解雇に際しては事前通告以外の規制を廃し、雇用者側が解雇の自由を享受しております。その反面、デンマークの労働者は、中高年も含めておおむね半年以内に再就職を能う状況であります。そして、毎年、3人に1人のデンマーク人が職を替えていることになります。かくのごとき労働市場の柔軟性はデンマークの失業率の低さに如実に現れており、OECD加盟国の中でもとりわけ低い水準を維持しております(コラム第6-1図)。また、短期雇用の労働者は減少し続けております。
 
コラム第6-1図 デンマークの失業率の推移
コラム第6-1図 デンマークの失業率の推移
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 デンマークを経済上より観察を下しまして、この小国がけっして侮るべからざる国であることがわかります。デンマーク経済は、1990年前半より着手された財政再建と労働市場改革によって支えられ、おおむね順調な成長を維持し続けております。すなわち、デンマークは他のどの国よりもグローバル経済の恩恵を享受しているのであります。小国デンマークは、外国貿易においては、グローバル市場から廉価なる部品を調達し、高付加価値製品を出して、自由貿易の恩恵を受けているのであります。デンマーク国の製造業は、中国や東欧の国々において部品を海外調達し、これがために競争力を強化し、本国に残すのは高度に知識的な職業のみという戦略をとっている、という指摘をする者もいるようであります。なるほど、デンマークでは補聴器、インシュリン、環境技術等の間隙を突くような、付加価値の高い輸出産業が多いのであります。加えて、海洋国家デンマークの海運会社は世界的優良企業として名を連ねておりますし、世界各国における情報通信技術の整備の度合いを順位づけしたレポート31によりますれば、デンマークは2年連続して首位を守っているのであります。成長著しいIT分野におきましても、デンマークは世界にその名をとどろかせているのであります。

31 世界経済フォーラム(2008)「世界ITレポート」による。

 
コラム第6-2図 欧州の国別バイオ技術企業数
コラム第6-2図 欧州の国別バイオ技術企業数
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(ヒトを巡る政策とグローバリゼーションの影)
 デンマークの「フレキシュキュリティ」モデルは、グローバル化する世界において高い競争力を持つデンマークならしめていると、高く評価されてきました。その特徴といたしましては、第一に完全雇用が達成されておることであります。第二に強固な労働組合が社会的なパートナーとして認知されておることであります。労働組合の方から、企業が強くなるために、ほかの国へのアウトソースをもっとやるように訴えることもあるのでございます。第三に、業種を超えた転職を容易ならしめておりますことであります。デンマルクの雇用保護規制は国際的に見て緩やかであり、転職が容易な雇用環境となっているのであります(コラム第6-3図)。また、業種間の賃金格差をなくすために、ハウスクリーニングのような職業には補助金すらあげて賃金を引き上げておるのでございます。そして、そのほかにも、収入を包括的に保障するなり、失業者した際の再訓練なり、優れた施策が整っております。国民の総所得(GDP)の4.5%がこうした労働市場のプログラムに使われているのでございます。デンマークの労働市場の高い流動性を実現可能にした背景には、こうした労働者保護の取組が充分に講じられていることを前提として、国民の7割が、「転職は良きことなり」と答える意識の高さがあります。こうした労働者保護の取組が整っていない隣国ドイツで、同じように答える国民は3割に満たないことを考えますれば、実に驚くべきことではありませんか。デンマークの労働者の47%が何らかの形で生涯教育プログラムを継続的に受講しており、この有職者教育の高さは世界で類を見ないものであります。
 
コラム第6-3図 OECD諸国の雇用保護規正の厳しさの程度(2003年)
コラム第6-3図 OECD諸国の雇用保護規正の厳しさの程度(2003年)
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 しかしながら皮肉なことに、グローバル化によってもたらされた移民の流入が、このデンマークの成功譚を蝕みつつあります。デンマークのモデルは、高い税金負担によって賄われてきたのであります。相対的に低技能の移民労働者が、デンマークの公共サービスの受益者になっていることに対し、納税の担い手である中産階級が不満を抱きはじめ、税率の引き下げと外国人排斥を掲げるデンマーク国民党が2007年の選挙で一定の支持を得ております。デンマーク政府は、健康や教育といった分野で、民間の保険や施設を利用するよう国民に促し、歳出の抑制を図っているとの見方もあるようです。しかしながら、移民問題への対応と社会的統合の促進は、あまりに大きな課題であるため、中産階級の支持回復に向けた対策を講じるには至っておらず、目下の懸念事項となっています。
 今、ここにお話しいたしましたデンマークの話、労働における「フレキシキュィリィテイ」を掲げるデンマーク・モデルは、グローバル化する世界において成功モデルとなりうるのでしょうか。経済のグローバル化に不安を抱き始めた先進諸国にとって、光明をもたらすのでしょうか。
 デンマーク・モデルを歴史的背景や文化の異なる国、例えば、英国やフランス、米国、そして我が国にそのまま持ち込むことは難しいと思われます。デンマーク・モデルは、北欧の小国たるが故に、成功しているかもしれません。しかし、少なくとも労働者教育の面では、我が国にとっても示唆に富む話だと思われます。

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