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化学の偉人伝化学記念館 「沈黙の春」で化学物質管理の大切さをうったえた科学者 レイチェル・カーソン
「沈黙の春」で化学物質管理の大切さをうったえた科学者
レイチェル・カーソン

レイチェル・カーソンは、1907年5月27日にアメリカ合衆国東部のペンシルベニア州の自然豊かな小さな町で生まれました。子供の頃、体が弱かったレイチェルは学校を休みがちでしたが、成績は常に優秀で特に理科と文章を書くことが好きだったと言います。

1924年、作家を目指してペンシルベニア女子大学英文学科に入学しますが、一般教養の生物学の授業に魅せられたレイチェルは、1926年、専攻を生物学に変更します。1928年、ジョンズ・ホプキンス大学院修士課程に入学し、1932年には修士号を取得、大学で講師をしながら生物学の研究を進めました。1936年、レイチェルは生活のために公務員となり、職場では生物学者として政府刊行物の編集・執筆や調査船に乗り込んで水中調査などを行うかたわら、個人として本の出版を行うなど執筆活動も行っていました。

イラスト:食物連鎖1957年、執筆活動に専念するようになっていたレイチェルは、農薬であるDDTが空中散布された地域で小鳥が死んでいるという手紙を受け取ります。DDTは木につく害虫を殺す目的で散布されていましたが、害虫だけでなく小鳥も殺していたのです。また、農薬のついた葉は地面に落ちて、ミミズが食べ、そのミミズを小鳥が食べます。食物連鎖を続けているうちに、農薬の毒性は高まっていきます。これは人間にも関係のあることです。当時、殺虫剤が害虫だけでなく他の生物の命を奪い、人間を含んだ生態系の食物連鎖のなかで多くの生物を死に追いやるということを考える人はあまりいませんでした。

レイチェルはこの事実を科学的な裏付けをもとに、だれでも理解できるように書かなければならないと考えました。このままでは地球全体が汚染されてしまう。春が来ても、小鳥は鳴かず、世界は沈黙に包まれるだろう。薬品を使うときには、自然界への影響を調査した上で使い方を考えたり、規制したりすべきだ。そうしてできあがったのが、「沈黙の春」です。

イラスト:「沈黙の春」1962年、「沈黙の春」が雑誌「ニューヨーカー」に連載されると、アメリカ中が大騒ぎになりました。本が出版されるとたちまちベストセラーになり、出版社には手紙や電話が殺到しました。この状況を深刻に考えたアメリカ政府は調査を進め、農薬や化学物質の使用に関して制限をもうける法律を制定しました。

このときレイチェルの体はガンにおかされていました。病と戦いながら沈黙の春の執筆を進めていたのです。1964年4月、レイチェル・カーソンは自宅で亡くなりました。その後、「沈黙の春」は30ヵ国以上で翻訳出版され、世界中の人々に、環境保護や化学物質を正しく使うことの大切さを知らせたのです。

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