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令和元年度 産業標準化事業表彰受賞者インタビュー Vol.20

経済産業大臣表彰/若井 博雄(わかい ひろお)氏
一般財団法人日本規格協会 標準化総括・支援ユニット 副ユニット長

若井博雄氏の肖像

 日本にとって、国際標準化への対応は苦闘の歴史である。これまで多くの国際的な議論において、主導役となってきたのは標準化“強者”の欧米勢。アジアの一国が“ルールメイキング”を有利に進めるのは、簡単なことではない。ただ近年は、日本発の国際規格が増えるなど、状況が改善されつつある。こうした日本の立場向上を陰で支えてきたのが、圧倒的アウェーの国際標準化の世界に根を下ろし、長年日本と欧米の橋渡し役を務めてきた規格のスペシャリストたち。2010年からISO(国際標準化機構)の理事を9年、2002年からTMB(技術管理評議会)委員を4年、延べ 13年務めた若井博雄氏も、その中の一人だ。実は同氏、かつて国際規格策定で手痛い失敗を経験し、その教訓が以後の活躍につながったという。

欧州に「してやられた」手痛い敗北。失敗を教訓に、国際標準化の“勘どころ”を学ぶ

 「日本に帰ってくるときは、顔面蒼白。まさに『合わせる顔がない』という感じだった。」若井氏は、成長の契機となった決定的な失敗を明かす。時は2000年代初頭。日本を代表してTMBの委員になりたてだった若井氏は、新たなTC(専門委員会)の幹事国ポストを取るべく、多国間TMBの交渉に参加。「私は90年代後半、化学兵器禁止機関(OPCW, Organisation for the Prohibition of Chemical Weapons)事務局にいた。綿密に発言の戦術を練って、国際機関帰りの自信を持って臨んだ。」という。

交渉の場、若井氏は自信を持って理路整然と日本の主張を展開したつもり。だが各国の反応は、なぜか手ごたえに乏しいものだった。「何かがおかしい…。」いつの間にか、私は孤立状態、是が非でも欲しかったその幹事国ポストを投票で負けて失うことになる。「まさに、『してやられた。』という感じ。日本を退けるというシナリオが、実は最初から出来上がっていた。」と若井氏は振り返る。

「その時分かったのが、TMBの会議の前にはたいてい主要国の会合が行われ、そこで事前調整が図られること。私は、そこに入れてもらえていなかった。」。戦う前から勝負は決し、日本は「負けるべくして負けた。」というわけだ。

手痛い敗北だが、その苦い経験が若井氏を変えた。

「事前調整がどれだけ大事かを思い知った。国際標準化は“独り勝ち”みたいなことはあまりない。『このテーマではこの国に勝たせて、あのテーマでは別の国に勝たせる』みたいな調整がいつも行われている。だから私が次にやったのは、その調整の場にとにかく入り込むこと。恥ずかしさと疲れを顧みず必死になって関係者の間を動き回り、なんとかメンバーに入れてもらえるようになった。」という。

こうして国際標準化活動の“勘どころ”を会得した若井氏は、その後さまざまな形で実績を上げ、ISO周りで存在感を高めていく。例えば、2010年に発行された、企業や公的機関の社会的責任(SR)に関する国際規格ISO26000(社会的責任に関する手引)。若井氏は日本の考えを持って世界を駆け巡り、日本は4つあったWG(作業部会)のうちの1つで議長国を獲得するなどイニシアティブをとった。

若井氏は過去の教訓を生かし、日本側の意向がSR規格に盛り込まれるよう各国の調整に奔走。各WGの上位役職者が規格の全体的な方向性を議論する会議での円滑な連携を促した。「このSR会議のリーダーだったスウェーデンとブラジルの方とは、とても良い信頼関係を築けた。彼らとはその後も種々の国際会議などで協力できたので、私にとっては非常に大きな財産。」とほほ笑む。

社会的責任(SR)の鍵となる7つの中核主題

「私達は規格の『パタンナー』」先端技術のバックグラウンドを持たなくても、国際標準化で活躍できる

 「標準化のナショナルセンター」をビジョンに掲げる日本規格協会(JSA)で活躍する若井氏。JSA、そして自らの役割を「ファッションデザイナーが作成したデザイン画から、型紙(パターン)を作る『パタンナー』みたいなもの。」と表現する。

規格を起草するのは、テクノロジーに携わる事業会社や社会組織の技術者や専門家らだが、彼らのアイディアを文書化に導き、国同士で議論できるよう素地を整えるのが、規格のスペシャリストたるJSAメンバーらの役目。「規格化を服作りに例えれば、企業の技術者がデザイナーで、我々がパタンナー。型紙を取るようにアイディアを形にし、規格の形にしていく。相互の協力があってこそ、良い規格が生まれる。規格に落とし込む知見も、素晴らしい技術といえるのではないか。」と胸を張る。

その上で若井氏は、「テクノロジーのバックグラウンドに自信がなくても、どんどん国際標準化の世界に飛び込んできて欲しい。」と若い世代に呼びかける。標準化は専門性が高く、個別テクノロジーに通じた専門家でないと携われないイメージがあるが、実情は異なる。そこは人間関係の世界である。若井氏は50歳を過ぎてからISOの国際標準化に関わるようになり、その後、前述のような目覚ましい成果を上げた。

もちろん、そのために「技術分野と交渉術については、かなり勉強した。」のも事実。「欧米で国際標準化をやっている人たちは、『交渉術のレベルが相当高い技術の専門家』なので、彼らに倍する勉強をせざるを得ないというのが正直なところ。」と苦笑いする。 だが、だからこそ成長機会には事欠かない。「そこにチャレンジする若い人が、これからもっと増えてほしい。JSAでは、若手職員を海外の標準化機関に2-3か月滞在させ、勉強させていた時期がある。そして今では国際機関に若い人を修行に出している。企業でもJSAのような組織でも、そうした取組みを通じて、若手で意欲ある人に、今以上にそんなチャンスが与えられるようになってくれたら。」と若井氏は次代に望みを託す。

【標準化活動に関する略歴】
2000年~2006年 財団法人日本規格協会 理事 規格開発・国際担当
2002年~2006年 ISO/TMB(技術管理評議会)日本代表委員
2006年~2011年 財団法人製品安全協会 専務理事
2010年~2019年 ISO理事、同理事会日本代表委員
2011年~2018年 ISO/DEVCO(発展途上国対策委員会)CAG(諮問グループ) 日本代表委員
2011年~2019年 一般財団法人日本規格協会 参与 企画・国際・規格担当
2019年~現在   同会 標準化総括・支援ユニット 副ユニット長

最終更新日:2020年8月3日