第1章 世界経済の動向

第2節 債務危機により混迷を深めた欧州経済

4.欧州の中長期的な経済成長に向けた課題

2012年はユーロが現金通貨として流通92し始めてから10周年の節目の年である。この間、欧州経済はユーロ導入やEU東方拡大による繁栄を享受した一方で、2008年以降は世界経済危機の影響によって景気が大きく落ち込み、さらに域内での景気の二極化や債務問題の顕在化などユーロ導入当初は想定されていなかった新たな課題も明らかになってきている。今後10年、20年先の欧州経済はどのような姿になっているだろうか。以下では中長期的な観点から欧州経済が抱える課題を整理するとともに、中長期的な経済成長に向けたEUの取組を紹介する。

92 2ユーロは1999年1月1日から銀行間取引等の非現金分野で導入され、2002年1月1日から現金通貨としての流通が開始された。


(1)人口減少と域外市場の取り込み

欧州主要国は、国によって程度の差こそあるが総じて我が国と同様に人口減少と高齢化の懸念に直面しており、とりわけEU27か国(以下EU27)の中で最大の人口規模のドイツにおいて、急激な人口減少に伴う潜在成長率の低下が大きな課題となっている。

第1-2-4-1図では欧州統計局が2011年6月に公表したEU27の2060年までの人口予測93のうち、人口規模上位5か国の見通しを示している。5か国の中ではフランスと英国で増加が続く一方で、ドイツは2010年の8,174万人から2060年には6,636万人と20%減少し、2040年代にはEUの人口第一位の座から転落する見通しである。2009年時点のドイツの出生率は5か国中最も低い1.36と、フランスの2.0、英国の1.94に大きく水をあけられている。EU27全体で見てもドイツの人口減少が影響し、2060年の人口は5億1,694万人と2010年の5億104万人から3.2%の増加にとどまっている。

93 Eurosta(t2011)。


第1-2-4-1図 EU主要5か国の人口見通し
第1-2-4-1図 EU主要5か国の人口見通し

Excel形式のファイルはこちら


ドイツでは高齢化も急速に進んでおり、欧州統計局によると、15〜64歳人口に対する65歳以上人口の比率である老年人口指数は2010年時点の31.3%から2060年には69.9%に達する見込みである(第1-2-4-2図)。高齢化と少子化の進展は労働力人口の減少をもたらし、労働投入量の寄与度の低下を通じて潜在成長率を押し下げるため、欧州委員会が欧州統計局の人口見通しを基に2008年12月に発表した潜在成長率の長期見通し94では、特にドイツの成長率が1%前後で推移するなど停滞が顕著である。ドイツ以外の主要国においても、着実な人口増加が見込まれる英国とフランスで2060年まで概ね2%前後での推移が見込まれている以外は、2060年まで1〜1.5%近傍と低水準で推移する見通しである(第1-2-4-3図)。労働力人口の確保に向けては、我が国同様高齢者や女性の就業率の改善などが必要であろう。

94 European Commission(2008)。なお、当該見通しでは欧州統計局が2008年4月に発表した域内の人口予測を基に潜在成長率を推計している。


第1-2-4-2図 EU主要国の老年人口比率
第1-2-4-2図 EU主要国の老年人口比率

Excel形式のファイルはこちら


第1-2-4-3図 EU主要5か国の潜在成長率長期見通し
第1-2-4-3図 EU主要5か国の潜在成長率長期見通し

Excel形式のファイルはこちら


少子化等の進展により国内では大きな人口増加が見込まれない中、これまで欧州ではEU拡大を成長の原動力に変えてきた。特に2004年の東方拡大95はEUと中東欧諸国を結ぶ生産ネットワークの形成による相互貿易の拡大などを通じ域内経済に大きなインパクトをもたらしたとされている96。しかし、2007年以降はEUの拡大は一段落しており、現在の新規加盟候補国(アイスランド、マケドニア、モンテネグロ、トルコ、セルビア)はトルコを除きいずれも人口数十万から数百万人の規模であることから、経済成長の後押しを期待することは難しい。今後の成長に向けては、成長著しいアジア等域外新興国市場の取り込みが課題であろう。

ECBは2011年12月の月報の中でドイツ、フランス、イタリアの自動車産業の現状について紹介し、ドイツの自動車生産が2011年第3四半期には過去最高を更新するなど好調な一方でフランス、イタリアの生産が停滞している(第1-2-4-4図)要因として中国など域外新興国市場の取り込みの相違を挙げている。第1-2-4-5表ではECBの指摘を参考にドイツ、フランス、イタリアの主な乗用車輸出先を比較しているが、ドイツはEU27への輸出シェアが約5割であるのに対し、フランス、イタリアはそれぞれ約8割、7割をEU域内市場に頼っている。最大の新興国市場である中国向けの乗用車輸出も(第1-2-4-6図)ドイツが着実に増加し、2010年時点で中国の総輸入に占めるシェアが37.5%と中国の最大の輸入先となっているのに対し、フランスは0.5%、イタリアは0.7%と現時点では市場取り込みに失敗している。自動車に限らず、高成長が期待できる新興国市場でいかに存在感を発揮しシェアを確保していくかが、今後の成長の分水れいとなるとみられる。

95 2004年に中東欧10か国(ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロバキア、スロベニア、エストニア、ラトビア、リトアニア)が新たにEUに加盟した。なお2007年にはブルガリアとルーマニアが加盟したほか、2012年7月にはクロアチアが加盟する予定である。

96 田中(2007a)。


第1-2-4-4図 フランス、ドイツ、イタリアの自動車生産の推移
第1-2-4-4図 フランス、ドイツ、イタリアの自動車生産の推移

Excel形式のファイルはこちら


第1-2-4-5表 ドイツ、フランス、イタリアの主な乗用車輸出先(2011年)
第1-2-4-5表 ドイツ、フランス、イタリアの主な乗用車輸出先(2011年)

Excel形式のファイルはこちら


第1-2-4-6図 中国の主要相手国別乗用車輸入の推移
第1-2-4-6図 中国の主要相手国別乗用車輸入の推移

Excel形式のファイルはこちら


(2)サービス産業の生産性向上と構造改革

製造業部門での新興国市場取り込みに加え、経済規模の面からも雇用の面からも非常に大きな部分を占める(第1-2-4-7図)、サービス産業の生産性向上やサービス輸出の拡大も今後の経済成長を促進する重要な鍵となる。

第1-2-4-7図 EU27の付加価値額と雇用者数の産業別シェア(2011年)
第1-2-4-7図 EU27の付加価値額と雇用者数の産業別シェア(2011年)

Excel形式のファイルはこちら


第1-2-4-8図は、欧州主要国と米国(英国はデータが未公表)の主要サービス産業の雇用者一人あたりの付加価値額を示している。ここから、総じて欧州主要国のサービス産業の生産性が米国を下回っていることがわかる。とりわけ情報・通信業、金融・保険業、専門・科学・技術サービス業の一人あたり付加価値額については、欧州各国は米国の30%から70%にとどまっていることから、今後の生産性の引上げ余地が大いに残されているとみることができる。

第1-2-4-8図 欧州主要国と米国の主要サービス産業の雇用者一人あたり付加価値額(2010年)
第1-2-4-8図 欧州主要国と米国の主要サービス産業の雇用者一人あたり付加価値額(2010年)

Excel形式のファイルはこちら


またサービス輸出拡大の観点から欧州主要国と米国の主な主要サービス分野のサービス貿易収支に基づく貿易特化指数(競争力係数)を参照すると(第1-2-4-9表)、米国と英国に比して概ね大陸欧州の係数が低く、国際競争力の面で米国・英国に後れを取っていることがわかる。サービス全体でみると、旅行分野で大幅な黒字を計上しているスペインを除き、いずれの国も英国、米国を下回るほか、分野別でも金融、保険、IT、ロイヤリティ、その他ビジネスサービス(コンサルティングなど)等両国が高い競争力を誇る分野で大きく水をあけられている。大陸欧州のサービス分野の国際競争力が米国や英国に劣後している要因としては、当該分野の過度な規制が生産性上昇を抑制しているとの指摘があり、例えばOECDの調査によると法律、会計、エンジニアリング等の専門サービス分野の規制度合いを指数化して主要先進国間で比較した場合、イタリアやドイツ等大陸欧州諸国の規制は米国や英国と比較して遥かに厳格である97(第1-2-4-10図)。インフラ輸出に伴う建設分野の輸出や旅行など、従来の得意分野をさらに伸ばしつつ、過度な規制を緩和・撤廃するなどの構造改革を通じて生産性の向上に努め、輸出を伸ばしていくことが期待される。

97 例えばOECDが2010年3月に発表したドイツ経済に関する報告書では、ドイツの専門サービス分野においては兼業規制や料金規制、広告に関する規制、事業者団体への加盟義務と複雑な加盟手続きなどの規制が存在し、これらの規制によるコスト上昇が当該サービスを利用する企業のコストを押し上げていると指摘されいる(OECD(2010))。


第1-2-4-9表 主要先進国の主要サービス分野のサービス競争力係数(2010年)
第1-2-4-9表 主要先進国の主要サービス分野のサービス競争力係数(2010年)

Excel形式のファイルはこちら


第1-2-4-10図 主要先進国の専門サービス分野の規制レベル(2008年)
第1-2-4-10図 主要先進国の専門サービス分野の規制レベル(2008年)

Excel形式のファイルはこちら


また、規制レベルが高いのはサービス分野だけではない。世界銀行が2011年6月時点で世界183か国を対象にその国での事業展開の容易さを調査した報告書98によれば、大陸欧州主要国の事業環境の総合評価は最高位のドイツでも第19位と第4位の米国や第7位の英国の後塵を拝しているほか、とりわけイタリアは総合評価で第87位と、第91位の中国など新興国並みの評価に甘んじている(第1-2-4-11表)。同報告書では高い税負担や納税に係る手続の煩雑さ、建設許可や各種契約の履行に長期間を要する点などをイタリアの低評価の要因としているが、前年の同報告書での総合評価(第83位)から順位を下げていることからみて、状況に改善の兆しはみられない。サービス業のみならず、幅広い分野でさらなる構造改革を進め、事業環境を改善していくことが求められる。

98 World Bank(2011)。


第1-2-4-11表 欧州主要国と英国、米国の事業環境評価
第1-2-4-11表 欧州主要国と英国、米国の事業環境評価

Excel形式のファイルはこちら


(3)イノベーションの推進

規制緩和と並び、イノベーションのさらなる推進も欧州の中長期的な経済成長を促す鍵となる。IMFは2011年10月に発表したユーロ圏経済見通しの中で「なぜイタリアはこの20年間成長しなかったのか」と題したコラムを掲載し、イタリアが近年低成長に甘んじてきた要因として、複雑な税制や労働市場の硬直性、低い労働参加率などと並んで特に中小企業において顕著なイノベーションの遅れを挙げた。世界経済フォーラムの作成している「世界競争力レポート」によると、企業の研究開発支出や研究機関の質、特許取得件数など7つの項目を合成した「イノベーション指数」の世界ランキングでイタリアは43位と先進国の中では最下位に近い順位となっている(第1-2-4-12表)。主要先進国の研究開発費のGDP比やベンチャーキャピタルによる投資のGDP比をみても、イタリアの低さが顕著である(第1-2-4-13図、第1-2-4-14図)。

第1-2-4-12表 主要国の「イノベーション指数」ランキング
第1-2-4-12表 主要国の「イノベーション指数」ランキング

Excel形式のファイルはこちら


第1-2-4-13図 主要先進国の研究開発費(2009年)
第1-2-4-13図 主要先進国の研究開発費(2009年)

Excel形式のファイルはこちら


第1-2-4-14図 主要先進国のベンチャーキャピタル投資(2008年)
第1-2-4-14図 主要先進国のベンチャーキャピタル投資(2008年)

Excel形式のファイルはこちら


イノベーションの遅れはイタリアに限ったことではない。「イノベーション」指数の上位は1位から5位がスイス、スウェーデン、フィンランド、日本、米国となっており、ドイツ、フランス、スペインはそれぞれ7位、17位、39位と、米国や北欧諸国に比べて見劣りする結果となっている。最先端技術の入手容易性やインターネット接続環境など6つの項目を合成した「技術受容度(technologicalreadiness)指数」でも同様である。また研究開発費やベンチャーキャピタルによる投資のGDP比も、フランス、ドイツ、スペインは主要先進国の中で低水準にとどまっている(前掲第1-2-4-13図、第1-2-4-14図)

上述のユーロ圏経済見通しでは、これらの指数と経済成長には正の相関があることから、ユーロ圏諸国にとっては、IT分野への人的投資、資本投資を進めてIT分野での生産性向上を図るほか、国境を越えたM&Aやベンチャーキャピタルによる創業企業への投資促進などによりイノベーションを推進していく必要があると指摘している。

(4)EUの成長戦略とさらなる統合深化

潜在成長率の低下が懸念され、新たな経済成長モデルの確立が求められる中、EUでは2010年6月の欧州理事会(首脳会議)で2020年を目標とする新成長戦略である「欧州2020」を採択した。同戦略は2000年から2010年までの成長戦略であったリスボン戦略99を引き継ぐもので、「知的な経済成長(Smart Growth)」、「持続可能な経済成長(Sustainable Growth)」、「包括的な経済成長(Inclusive Growth)」という3つの相互補完的な最重要課題を掲げ、EUの潜在成長率を高めることを目標としている(第1-2-4-15表)。第一の課題では知識とイノベーションに基づき経済を発展させるとし、既述のとおり米国等と比して後れている情報・通信分野の底上げなどに向けた施策を導入している。第二の課題では低炭素社会と資源の効率的利用を呼びかけつつ、単に経済成長を実現するだけではなく環境と成長のトレードオフを克服することを目標としている。第三の課題では社会的な結束を強化させ、雇用力に富む経済の建設を目指すとし、中長期的な減少が懸念される労働力人口の確保に向けた施策が中心となっている。各加盟国は本戦略の実現に向けそれぞれ国別の目標を設定し、毎年度の達成状況について欧州委員会の審査を受けることになっている。さらに欧州委員会が各国及びEUレベルの進ちょく状況についてとりまとめた結果を「年次成長報告(Annual Growth Survey)」として欧州理事会に提出することで、目標達成に向けた相互監視を行うこととされている。

99 リスボン戦略では「知識基盤型経済の創出」、「質の高いより多くの雇用の創出」、「社会的連帯の維持と強化」の3つを同時に達成することを目指し、2000年から2010年までの平均成長率を3%とすることや2010年に失業率を4%台とすることなどを数値目標に掲げたが、世界経済危機にも見舞われ、ほとんど全ての目標が未達成に終わった(田中他(2011))。


第1-2-4-15表 「欧州2020」の概要
第1-2-4-15表 「欧州2020」の概要

Excel形式のファイルはこちら


本戦略の実現に向けた手段としては、分野ごとの個別施策に加えてEUレベルでの分野横断的な取組も必要であり、中でも単一市場の統合深化に向けた制度調和の推進が強く求められている。1987年の単一欧州議定書で域内市場統合を1992年末までに完成することが明記され、人、モノ、資本、サービスの自由移動を中心とする単一市場形成に向けた制度整備が進められたものの、例えば本節2.(1)で労働市場の統合が進んでいない点を指摘したように、実体面での市場統合はいまだ道半ばである。2012年1月の非公式EU首脳会合では、(i)会計、公共調達ルールの簡素化、(ii)電子商取引、オンライン上での紛争処理の推進とEUの著作権制度の改善、(iii)税制面での協調推進、(iv)2012年6月末までのEU特許・標準パッケージの合意、などを通じた単一市場の完成が即時優先課題として打ち出されたほか、2012年4月には欧州委員会が雇用政策に関する提言の中で域内の他国でも失業手当の受給を可能とするなど労働分野での単一市場の完成も求めており、今後の展開が注目される。

さらに本戦略の一環として欧州委員会は2010年11月に「貿易、成長、世界問題:欧州2020戦略の中核的要素としての通商戦略」と題する新通商戦略を発表した。この中では貿易・投資のさらなる自由化を通じて経済成長と雇用創出、消費者便益の拡大を図るとして、具体的には(i)ドーハ・ラウンドの妥結、(ii)ASEAN諸国とのFTAや東欧、中東諸国など近隣諸国との深化した包括的な自由貿易協定(DCFTAs:DeepandComprehensiveFreeTradeAgreements)締結、(iii)戦略的な経済パートナーである米国、中国、ロシア、日本、インド、ブラジルとの関係深化、(iv)非関税障壁においてEUと他の諸国の不均衡是正メカニズムを設定し欧州企業の世界展開を支援、などの優先課題を明記している。戦略の中に盛り込まれた欧州委員会の試算によれば、これらがすべて実現するとEUの貿易のおよそ半分がFTAの対象になり、EUの輸出品に係る関税率は平均1.7%に半減、EUの輸入品に係る関税率は平均1.3%に低下(およそ5分の1の引下げ)することでEUの消費者には一人あたり年間600ユーロの便益がもたらされ、EUの成長率は1%以上引き上げられることになる。

2006年10月に発表された前通商戦略で我が国については特に言及されていなかったが、新通商戦略では我が国は特別に注意を払う必要がある戦略的な経済パートナーとされ、主に非関税障壁分野での連携が重視されている。両市場を合わせて世界のGDPの3割超を占める100大市場であり、相互に高いレベルの経済的・技術的蓄積を有する我が国とEUの間での経済連携協定の締結は、双方にとって中長期的な成長力強化に資するものとなるであろう。

100 2010年の我が国とEUの名目GDPの合計は約22兆ドルで、世界のGDPの34.5%を占めている(IMF(2012d))。





前の項目に戻る   次の項目に進む