経済産業大臣表彰/床次 眞司(とこなみ しんじ)氏
国立大学法人弘前大学 被ばく医療総合研究所 所長・教授
福島第一原子力発電所事故の経験を国際規格に反映し、海外からも高い評価を獲得
放射能や放射性物質による被ばくというと、レントゲンや原子力発電所などの人工の放射線による被ばくが一般的にはイメージされる。しかし、天然の放射性物質も存在しており、その代表的なものがラドン注1である。日常生活で年間に受ける天然の放射性物質からの被ばく線量は、世界の平均値で約2.4ミリシーベルト。そのうちの半分以上をラドンが占め、被ばくの影響が大きいといわれている。
注1)無色・無味・無臭でラジウム鉱石から放射性物質が崩壊したときに発生する放射性ガス。他の原子と化学結合しない。岩石や土にウランが含まれているので、温泉に限らず、あらゆる地面からラドンが放出され、空気中をただよっている。半減期(放射性物質が半分となる時間)は約3.8日
弘前大学被ばく医療総合研究所の床次眞司氏は「大学時代にラドンの研究室に配属されたことがきっかけでラドンと出会い、私自身のキャリアの出発点になった。」と話す。以来、環境中の放射性物質の測定や被ばくの影響を調べるための評価を行っている。
放射線による被ばくは大地から、宇宙から、空気中から、そして食物からも日常的に受けている。平常時の放射線を計測することは、体にどのような影響を及ぼすかを考える上での基礎的な資料となる。床次氏は、2006年からIEC(国際電気標準会議)/TC45(原子力)/SC45B(放射線防護)/WG10(ラドン及びラドン壊変生成物測定装置)において、IEC61577-2(放射線防護計装-ラドン及びラドン崩壊生成物計測計器-第2部:222Rn 及び222Rn計測器の特定要求事項)のプロジェクトリーダーとして活動。環境中のラドンの測定装置に関する規格の改訂を推進した。
(画像提供:国立大学法人弘前大学
被ばく医療総合研究所)
また、2008年からはISO(国際標準化機構)/TC85(原子力)/SC2(放射線防護)/WG17(放射能測定)でもプロジェクトリーダーとして活躍。2005年に床次氏が発表した論文がきっかけでISO16641(環境中の放射能測定-大気-ラドン220:パッシブ型固体飛跡検出器を用いた平均放射能濃度評価のための積分測定法)の規格が誕生した。「被ばくの影響の大きい天然のラドンと、ラドンの同位体であるトロン注2を、しっかり分けて測定することを規格に新たに追加した。今までラドンの同位体まで掘り下げたものはなかったので、全くのオリジナル規格。」と床次氏。この規格化のきっかけは、過去に日本で実施された屋内ラドン濃度の全国調査で予想外に高い結果が得られたことにある。予想外というのは、換気率の高い家屋が多く存在する日本では、屋内ラドン濃度が低くなると予想されていたからである。ところが、調査に用いたラドン測定器は同位体のトロンを一緒に測り込んでしまい、これらを区別できない測定器は高いラドン濃度を示した。このような経験から、日本ではこれらを区別できる測定器の開発が進められ、その結果、同位体のレベルを知ることでさらに詳しい線量を計測でき、身の回りの放射線に地域差がどの程度あるかがわかった。同位体とはいえ、同じ放射能濃度であっても放射性崩壊後の核種のエネルギーや半減期の違いによってラドンとトロンでは被ばくの影響が異なるためである。日本では、この国際規格に基づいた手法が放射能測定の全国調査に使用されるなど、社会的に大きく貢献し、今後は、この国際規格に基づき国際的な普及が期待される。
注2)ラドン同様、天然に存在する無色・無味・無臭の放射性ガス。半減期は約55秒と非常に短いので、測定が非常に難しい。
そして、現在、床次氏を中心として進行中なのが、2011年の福島第一原子力発電所事故の経験をベースに緊急時の環境中の放射能の測定や環境モニタリングデータに基づく線量評価を効果的に行うためのガイドラインの国際規格化である。この規格はISO20043-1とISO20043-2の2つのパートで構成され、それぞれ平常時と緊急時の被ばく状況を測定する上でのガイドラインを目指したものだ。
「ガイドラインがないと信頼性の高い測定データを出すことができない。また、標準化されれば、例えば、ISO20043-1に基づいたと表記できる。測定したデータの品質保証に必要なものだ。」と床次氏。事故後に信頼性の高い放射線量を把握することは、住民の避難、事故収束の作業、復旧作業などにおいて極めて重要である。この規格はさまざまな環境のモニタリング手法を体系化するというもので、例えば事故が起こったとき、どうするべきかといった一連の作業手順を体系化していくのが趣旨だという。
床次氏は、事故直後から現地に乗り込んで放射線量の調査を始めた。「緊急時では平常時のように丁寧に測定することはできない。精密さより状況に応じた合理的なやり方が肝心だと、事故のときに感じた。」と話す。それまでは、平常時は、一般環境中では、ほとんど放射線量は検出されないので、高感度で低レベルの放射線量までしっかり測れる装置が主流だった。しかし、事故後、現地で放射線量を測定してみると、あまりにも放射線量が高すぎて装置が動かなくなってしまった。一見すると正確に測定するためには、高感度にすべきであるが、その時、感度を下げることも実は重要なことだと気づいたという。
緊急事態のときは十分な装備や設備もない。サンプリングで推奨されてきた平らな場所もなく、雑草のある場所や山の斜面でも測らなければならなかった。「従来の測定マニュアルは実践的でなかった。身近に経験した者として、その経験を財産として形に残していくことが必要だと思った。」このことが、ガイドラインの提案につながっており、世界的にも貴重な経験をした床次氏の提案は各国からも高い評価を得ている。
私にとっての国際化は、国際標準化活動によって培われた
ISO/TC85など原子力分野の標準化活動は、原子力推進国であるフランスの発言力が強く、国際会議の場では議長などの主要なポストを半分ほど占めるなど、フランスが先頭を走っている。そんな中で床次氏がプロジェクトリーダーとして活躍しているのは、信頼される研究者として、高い評価を獲得しているからに他ならない。
ISO/TC85/SC2/WG17では2008年にエキスパートとして参画して以来、天然放射性物質を専門とするエキスパートだということが評価され、2019年にはフランス人との共同コンビ―ナに就任し、ISO/TC147(水質)/SC3(放射能)でも、水中にある放射性物質の放射能濃度を測る液体シンチレーション計数法と比例計数法の規格を取りまとめてきた。特に液体シンチレーション計数法の規格は水中に存在する放射性物質の放射能を測定する基準となっている。液体シンチレーションは液体状の物質に放射線が当たると発光するため、発光量を計測することで放射能の強度がわかるというものだ。福島第一原子力発電所の事故でも放射性物質の海洋流出が問題となったが、こうした際、簡便かつ実用的な測定方法として期待される。また、床次氏以外はほぼ欧米人という環境の中、福島原発事故の経験を基にした環境放射線モニタリング指針の規格策定を進め、的確なコメントなどで委員の信頼を得て国際規格の制定を実現した。
「国際標準化活動は日本の技術を世界に発信していく重要なものだが、自分自身のグローバル化にもいいチャンスだと思う。」と床次氏は語る。初めて外国の親友ができたのも学会ではなく、丁々発止の議論をすれど1つの規格をまとめ上げていくという国際標準化活動だという。会議で議論するだけでなく、夕食やコーヒーブレイクもずっと一緒。お互いにひざを突き合わせて、真剣に話ができる機会が持てた。
信頼関係が生まれてくると、国際標準化活動がスムーズになるという。 ISO20043規格化のきっかけも、フランス人研究者とのコーヒーブレイクの中で、重要性を理解してくれたことが大きかった。「ガイドラインを作った方がいいと後押しをされ、新規提案につながった。」そうだ。
「被ばく医療総合研究所として、国際標準化活動は研究活動の1つの柱ととらえている。プロジェクトリーダーに研究所の若手メンバーを推薦するなど、活躍する機会を用意するのも自分の役目だと思う。若い人たちにはどんどん世界に出て、国際舞台で活躍してほしい。ISOやIECは、まさに最適なフィールドだと思う。」と語る。
【標準化活動に関する略歴】
1994年 早稲田大学大学院理工学研究科物理学及び応用物理学専攻博士後期課程修了
1994年 科学技術庁放射線医学総合研究所 環境衛生研究部 研究員
1996年 米国エネルギー省環境測定研究所 客員研究員(~1997年)
2001年 独立行政法人放射線医学総合研究所 ラドン研究グループ 主任研究員
2006年~現在 IEC/TC45/SC45B/WG10 エキスパート
2008年~現在 ISO/TC85/SC2/WG17 エキスパート
2011年~現在 国立大学法人弘前大学教授
2017年~現在 ISO/TC147/SC3 国内審議委員長
2019年~現在 ISO/TC85/SC2/WG17 共同コンビーナ
2020年~現在 ISO/TC147/SC3/WG15(液体シンチレーション計数法及び比例計数法) コンビーナ
最終更新日:2024年5月21日