2026/03/12
国産の生成AI研究開発を後押しするGENIACでは、第3期の採択事業者がそれぞれの強みを持ち寄り、基盤モデルの高度化に取り組んでいます。楽天グループは、日本語に最適化した大規模言語モデル(LLM)、「Rakuten AI 2.0」と、小規模言語モデル「Rakuten AI 2.0 mini」をオープンモデルとして公開し、国内の開発コミュニティにも波及を広げてきました。今回は、楽天技術研究所の平手 勇宇氏と、フロンティアリサーチ部のMaksim Tkachenko氏に、楽天グループが独自の生成AIモデルを開発する意味や、GENIACで得た刺激、将来への展望を伺いました。
<プロフィール>
平手 勇宇(ひらて ゆう)
楽天グループ株式会社、楽天技術研究所のVice General Managerを務める。早稲田大学大学院で博士号(工学)を取得後、早稲田大学メディアネットワークセンター助手を経て、2009年より楽天グループに勤務。大規模データを対象とする知識発見技術の研究開発の取り組みを経て、同研究所の研究開発プロジェクトのマネージメントを行う。
Maksim Tkachenko(マキシム トカチェンコ)
楽天グループ株式会社、フロンティアリサーチ部でGeneral Managerを務める。シンガポール・マネジメント大学で博士号を取得後、2022年に楽天グループに入社し、自然言語処理と機械学習を中心とした研究開発に従事。現在、大規模限度モデルの開発プロジェクトの統括を行う。
触れて動かして学んだ原体験
──お二人がコンピュータやプログラミングに惹かれたきっかけを教えてください。
平手勇宇(以下、平手):中学生の頃にコンピュータを触り始めました。新しいOSを試すのが面白くて、当時はWindows 95のベータ版を入れてみたり、いろいろな設定をいじったりしていました。高校に入ってからは自作PCにのめり込み、名古屋の大須に毎週のように通ってパーツを探していたのを覚えています。数学と物理が好きだったこともあり、そこから自然にコンピュータサイエンス系の学科がある大学に進みました。
Maksim Tkachenko(以下、Max):私の父がコンピュータに関わる仕事をしていて、子どもの頃から父に教わりながら簡単なプログラムを書き、ゲームをつくることに興味を持ったのがきっかけです。自分でコンピュータに「こう動いてほしい」と考えたことを、プログラムという言語で書いていくのが面白かったですね。最初は難しさもありましたが、その面白さが興味につながりました。
──大学・大学院時代は、どのようなテーマを研究されていたのでしょうか。
平手:大学院ではデータマイニングを研究していました。ちょうど2002〜2004年頃は大規模データが利用できるようになり、そこから知識を見いだす技術が注目され始めた時期でした。今でこそレコメンド(推薦)の仕組みは広く知られるようになりましたが、当時はまだ企業などでも一般化している状況ではありませんでした。
ただ、大学の研究室では実データが手に入らないため、人工データで検証する場面も多く、成果が社会に還元される手応えを得にくいという悩みもありました。その時に企業との共同研究をする機会があり、実データを扱う面白さを実感しました。博士号取得後は、その延長線上で、豊富なデータを持つ企業の研究所に行きたいと考えるようになりました。
Max:大学では数学とソフトウェア工学を学んでいました。学生時代には同じ興味を持つ仲間と、競技プログラミングのような形で腕試しをすることも多く、大学対抗の国際的なコンテストにも参加しました。
その後、研究の進め方を含めて「人がどのように研究しているか」という根本的なことを知りたかったことや、新しい環境で異なる視点を学びたいという想いも強くあったので、スカラーシップ制度を利用してシンガポールの大学で博士号を取得しました。その中で、特に自然言語処理に関心があり、言語がどのように表現され、モデルがそれをどう扱うのかを掘り下げてきました。
「研究」と「事業」を往復できる楽天グループで基盤モデルをつくる意味
──楽天グループに参画するまでの経緯と、現在の役割を教えてください。
平手:「実データで研究したい」という想いが強かったので、データを豊富に持つ企業の研究所として楽天技術研究所を選びました。楽天グループには領域ごとに特化した開発組織がある一方で、グループ横断で技術開発を行い各事業に貢献する立ち位置の組織として、楽天技術研究所があります。
この研究所では、生成AIが注目される以前から顧客行動モデリング等、楽天グループのデータを活用した機械学習に関わる研究を続けてきました。ここ数年、私は組織運営や研究開発の推進に割く時間も増えています。
Max:シンガポールでは、データサイエンティストとしていくつかの企業に勤めながら、自然言語処理の研究と実装の両方を続けてきました。楽天グループは多様な事業を持ち、世界各地に研究拠点や開発拠点があります。当時楽天グループから発表された論文などを通じて、楽天グループの技術や研究の取り組みに触れ、これらの研究に参加したいと思うようになりました。
当初は機械翻訳に注力していましたが、2022年末のChat GPT登場以降はLLM開発に焦点を当てた研究をしています。現在は、楽天グループのCAIDO(Chief AI & Data Officer)であるティン ツァイ(Ting Cai)氏が率いるAI & Dataディビジョンで、LLM開発を加速するための専門チームづくりと研究開発を進めています。異なる文化や時間帯の中で研究成果を事業に接続していく仕事は刺激的ですね。
──楽天グループ内で、生成AIやデータ研究を行う魅力はどこにありますか。
平手:やはり一番の魅力は、「楽天市場」や「楽天トラベル」など、実ユーザーにひもづく多様なサービスがあり、学習や検証の起点となるデータ資産も豊富にあることです。これは研究として面白いだけでなく、サービスに適用することでユーザーのフィードバックを容易に得られ、さらによりよいモデルを構築することができます。だからこそ、生成AIモデルについてもモデル開発だけで完結させず、実運用を通して磨き込めます。
Max:楽天グループには多様なデータがあるので、サービスをお客様に合わせて最適化し、利用体験を向上できます。データとサービスがあるからこそ、独自に開発したAIモデルと組み合わせて価値を出せます。
また、サービスに最適化されたモデルを自分たちで持つことも重要です。もし外部のモデル提供者に依存しきってしまうと、サービスの文脈や要件に合わせた調整や改善の自由度が下がり、長期的には競争力にも影響します。自分たちでつくり、その動きを理解し、改善を続けています。
平手:補足すると、生成AIが出てきた当初は日本語の取り扱いについての課題もありました。例えば、同じ質問を日本語と英語で聞いたときに、回答の質が揺れることがありました。日本国内の楽天グループのお客様に提供するのであれば、日本語をしっかり理解できるモデルが必要でした。
──日本語に最適化した「Rakuten AI」をオープンモデルとして提供してきた狙いは何でしょうか。
平手:楽天グループのミッションは、「イノベーションを通じて、人々と社会をエンパワーメントする」ことです。日本語や日本文化に特化したモデルを構築し、楽天グループのサービスに適用してより良い顧客体験をお客様に届けるだけではなく、そのモデルを公開することで、日本の企業や開発コミュニティーに対して貢献していきたいと考えています。そのため、弊社はこれまでに、2024年3月に70億パラメータ規模の「Rakuten AI 7B」、2025年2月にはMoE(Mixture of Experts)を採用した「Rakuten AI 2.0」、および15億パラメータ規模の「Rakuten AI 2.0 mini」をオープンモデルとして提供してきております。
GENIACで得た刺激とTransformerの壁を越える次の一手
──第3期からGENIACに応募したきっかけと、参加前に抱いていた課題意識を教えてください。
平手:生成AIの開発は、モデル単体の性能だけでなく、データ整備、評価、運用、そして人材育成まで含めた総力戦の様相を呈しています。国内の開発事業者が同じ場に集まり、課題や工夫を交換できるコミュニティがあること自体に意義を感じています。
また、自社でも開発に注力してきましたが、より大規模なモデルの開発に挑戦するにはGPUなどの計算資源が必要です。GENIACの支援があれば、今よりもさらに大きなことが実現できて、その成果を広く社会に還元できるのではないかという思いもありました。
Max:私自身、日本でも研究活動を行う中で、どうしても言語の違いが壁となり、深い技術交流やコミュニティへの参加が難しくなる場面を実感してきました。日本には優れた人材と技術があるにもかかわらず、それが閉じてしまっているのはもったいないとも思っていました。だからこそ、組織や言語の壁を越えて人と知見をつなげる場であるGENIACは魅力的です。このコミュニティであれば、日本の強みを最大限に生かしながら、次の開発につなげられると感じていました。
──実際に参加してみて、得られた学びや刺激はありましたか。
平手:例えば、同時通訳や音声AIに強い事業者の発表を聞くと、言語の壁そのものを技術で越えようという取り組みをされている企業があり、非常に感銘を受けました。
中間報告会にも参加し、他社の取り組みから学ぶ機会を得ています。楽天グループのような大企業が参加する意義は、研究開発をサービス実装に落としやすいことや、運用の現実を開発に生かせる点にもあると思っています。
──第3期では「長期記憶メカニズムと対話型学習の融合」をテーマに掲げていますが、どのような課題意識があったのでしょうか。
Max:開発中の次世代モデルでは、既存のTransformerが抱える計算複雑性の問題の根本的な解決に挑んでいます。Transformerは、長いコンテキストを与えようとすると、計算量とメモリ消費が重くなる構造を持っています。
そのため、長い文章を入力して長く生成しようとすると、最初の応答に時間がかかり、やり取りを重ねるほど速度が落ちていきます。過去の会話(トークン)をキャッシュとして保持するためのメモリにも限界があり、現状の設計ですべてを抱えたまま性能を向上させるのが難しい、というのが根本の問題です。
そこで私たちは、計算量とメモリ使用量を下げ、ロングコンテキストでも現実的な時間内で扱えるようにすることを目指しています。発想としては、AIモデルのチューニングではなく、必要な情報に対するアテンション(Attention)の仕組みそのものを変えていく方向です。
平手:自動車に例えるなら、タイヤの交換で性能向上を図るのではなく、エンジンの内部構造自体を変えるような取り組みです。技術的に手探りの部分もありますが、計算量が入力の長さの二乗に比例して増える問題に対処するため、「選択的状態空間モデル」を用いた次世代の「Rakuten AI」モデルを構想しています。
AIがサービスの形をどう変えていくのか
──生成AIは5年後・10年後に、社会をどのように変えていくと見ていますか。
平手:進歩のスピードが速いので断言は難しいですが、少なくとも「AIが人の仕事を丸ごと奪う」という形にはなりにくいと考えています。むしろ執事のように、人がやりたいことを前に進める補助役として、多様な業務の中に自然に入り込んでいくのではないでしょうか。今はチャットが入口ですが、今後は検索、購買、予約、制作など、個別の作業フローに溶け込む形になると思います。
Max:様々なサービスのインターフェイスも変わっていくでしょうね。従来はキーワードで検索してページを見て判断してきましたが、今後は音声や画像も含めて、必要な情報や行動に直接つながる入口が増えます。将来的には、AIが「サービスの使い方」を変え、ユーザーが何を探し、どう決めるかという行動そのものが更新されていくと考えています。
──エンジニアや企業は、生成AIによる変化にどう備えるべきでしょうか。
Max:コーディングを支援する便利なツールが増えるほど、基礎理論を理解していることの価値が上がります。モデルの挙動を正しく理解し、運用上の制約についても考慮する必要があります。
そのためには、アルゴリズム、データ、ソフトウェア、ハードウェアまで幅広い層を見渡す視点が必要です。企業側も、モデルを導入するかどうかだけでなく、どのデータをどう扱い、どの業務にどう組み込むのかを先に設計しておくことが重要になってくると思います。
──今後チャレンジしたいこと、未来の開発者へのメッセージをお願いします。
平手:私はデータが好きなので、今の状況を見ていると「まだデータを使い切れていない」と感じます。現在の生成AIもテキストの活用が中心で、映像や音声など、まだ広げる余地があります。また、社内のデータ基盤も改善の余地があると考えていて、そこを良くしていくことでもっと面白いことができるはずです。
最終的には実世界に影響を及ぼすフィジカルAIの領域にも可能性を感じています。例えば、日本の強みであるものづくりと結びつく形で研究成果を社会に還元できたら面白いですね。楽天グループはハードウェアをつくる会社ではありませんが、得意領域を持つ企業と連携しながら、新しい体験をつくる余地は大きいはずです。
Max:若い開発者には、好奇心を持って本質を学び続けてほしいです。モデルの性能は上がり続けますが、そのためにどんなデータと評価が必要かを考える力は、これからも中心に残ります。長い時間軸で見ると、AIが目標設定そのものを支援する方向にも進むかもしれません。だからこそ、技術を使う側が目的と倫理を言語化し、社会にとって意味のある形に落とし込む姿勢が大切になります。
最終更新日:2026年6月5日