内閣総理大臣表彰 稲葉 敦(いなば あつし)氏
一般社団法人日本LCA推進機構 理事長
長年にわたってライフサイクルアセスメント分野の国際標準化に貢献
環境問題が世界的に大きな課題になっている。その中で、製品やサービスの環境への影響を原材料の調達から廃棄・リサイクルまでの全過程で評価するライフサイクルアセスメント(以下、「LCA」という。)が製品開発を行う上で重要な手法になっている。その国際標準化に30年以上取り組んできたのが内閣総理大臣表彰を受賞した日本LCA推進機構の稲葉敦氏だ。
稲葉氏は1992年ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)での「持続可能な発展」宣言後、1993年に設立されたISO/TC 207(環境管理)/SC 5(ライフサイクルアセスメント)の日本代表エキスパートなどを歴任し、国際標準化の推進に貢献してきた。その中で、LCAに関する深い専門的知見と広範な視野を活かして、環境ラベル、カーボンフットプリント、ウォーターフットプリントなど、多岐にわたる国際規格策定にもエキスパートとして携わってきた。
特に、ドイツ及びシンガポールと共同でコンビーナを務めて規格開発を主導したISO 14040(ライフサイクルアセスメント-原則及び枠組み)及びISO 14044(ライフサイクルアセスメント-要求事項及び指針)は、LCAを実施する際の基盤となっており、国内外において幅広く活用されている。
例えば、ESG投資において、投資先企業の環境影響を評価する際、LCAに基づく透明性の高いデータがより重要となり、活用されている。また、欧州では自動車・電機・建設資材等の分野で取引条件として、LCAに基づく環境情報の開示(製品環境フットプリント(PEF))が事実上必須となっており、日本企業もISO 14040及びISO 14044に準拠したLCAを活用し、対応している。さらにグリーン購入法に基づく公共調達において、環境負荷の低減に資する物品・役務(環境物品等)の評価にISO 14040及びISO 14044に基づくLCAが活用されている。
また稲葉氏は日本産業標準調査会では標準部会長及び環境・資源専門委員会委員長をそれぞれ務め、前者では「新市場創造型標準化制度」の導入に向けた部会内での議論を主導し、後者では環境マネジメント規格等の整備・普及に尽力した。
稲葉氏は「国際標準化は日本国内での活動がなければ意味はありません。日本の活動があって、それを国際的に共通化するのがISOなので、日本の企業や産業界の活動が損にならないよう、日本の活動を世界の標準にするためにISOの活動があるのです。」と述べる。

1993年にISO/TC 207が設立され、ISO 14001(環境マネジメント-要求事項及び利用の手引)とともにLCAの取組が始まった。当時、LCAは海外が先行していたが、日本でもその動きをキャッチアップし、産業界が遅れを取らないよう、1995年に産官学のプラットフォームとしてLCA日本フォーラムが設立された。現在、稲葉氏は同フォーラムの会長を務めている。そして、同フォーラムでは、日本の企業や産業界がデータを収集し、国内の環境政策に沿った形で国際標準化を提案していく取組を推進することとなり、その提言を受ける形で、1998年から5年間のLCA国家プロジェクトがスタートした。このプロジェクトにおいて、稲葉氏はLCAの方法論、データベースとソフトウェア、環境影響評価法の開発などに尽力した。
稲葉氏は「それまで私が取り組んできたエネルギーシステムの研究とLCAには若干の違いがありました。LCAでは製品の評価をやらなければいけないので、そのためには例えば鉄1kgを製造する際のCO2排出量というようなデータが必要になります。」と述べる。
中小企業まで含めたLCA普及に向けた取組が進む
LCAの考え方をもとに、気候変動を評価するのがカーボンフットプリント(以下、「CFP」という。)、水の使い方を評価するのがウォーターフットプリントというように対象分野に違いはあるが、考え方は同じだ。CFPはイギリスの先行的な取組を受けて、2008年から国際標準化作業が開始され、2013年にISO 14067(温室効果ガス-製品のカーボンフットプリント-定量化のための要求事項及び指針)の初版が技術仕様書(TS)として発行され、2018年に国際規格(IS)として改訂された。
稲葉氏は「欧州では2010年ごろから製品・組織の環境負荷を総合的に評価する環境フットプリント(EF)の導入が進められています。それに対して、日本が脱炭素だけに着目し、「世界的に脱炭素だから遅れをとるのはまずい」という構図になっていると思います。その意味で、環境負荷を全体として評価して削減を進めないと地球が守れないと考えている欧州とのギャップは大きいと思います。」と振り返る。
今、日本がLCAに取り組む上での最大の課題は「どう普及させていくか」という点にある。現在、LCAやCFPの活動は大企業が中心となっている。しかし、日本の産業の屋台骨を支えている中小企業においてLCAが普及することが重要となる。
稲葉氏は「例えば、自動車1台のLCAを行う際には、本来であれば部品を製造する際のCO2排出量を自動車会社に伝える必要があります。ところが完成車メーカーには自動車1台に使われる鉄の量をデータベースで参照してCO2排出量を計算している会社もあり、そのやり方だと本当は必要となるはずの部品の加工段階での負荷のCO2排出量が入らなくなってしまうのです。」と語る。
これに対して、中小企業が部品を製造する際のCO2排出量も含めて積み上げていくことで、日本の産業全体のCO2排出量を計算することができる可能性も出てくる。近年、中小企業も含めてCO2排出量を積み上げていくやり方に基づく、LCAの活動は着実に進んでいて、日本が世界をリードするようになっている。
「日本の企業はCO2削減などターゲットを決めれば懸命に取り組む面があります。先ほど話したように、我が国でもLCAの普及に向けた取組は着々と進んでいます。」と稲葉氏は話す。
海外に出て行き、ISO化の根底にある哲学的要素を理解する
脱炭素の分野では、欧州を中心にISOを戦略的に使う動きが強くなっている。今までのISOはネジの規格のように、各国で異なると使う上で問題になるため、共通化しようというものだった。それが現在、策定が進められているISO 14060(ネットゼロに向かう組織)のように「こうでなければならない」という政策的な規格になってきている。EUはEU排出量取引制度(EU ETS)に基づいてEU域内で生産される対象製品に課される炭素価格に対応した価格を域外から輸入される対象製品に課すCBAM(炭素国境調整措置)の導入を進めていて、国際的な交渉が行われている。
稲葉氏は「CBAMはEUの政策で、それにLCAやCFPが使われることになります。そのため、LCAやCFPの算定の仕方は共通化しつつ、政策としてISOを策定しようという動きには、日本が不利にならないように気を付けなければなりません。」と話す。

また最近新しいCFPの算定方法が産業界から提案されている。その代表的な例がマスバランス・アプローチで、例えば、バイオマス原料のエチレン1tと石油原料のエチレン9tを混ぜてポリエチレン10tを製造してできたポリエチレンの1tを100%バイオマス由来の製品として表示するというものだ。
稲葉氏は「今、ISO/TC 308(加工・流通過程の管理)において議論が進められています。例えばバイオマスの利用を促進するために、バイオマスが大量に使用できるようになるまでの移行期ではマスバランス・アプローチを使うという考え方です。ただし、行き過ぎるとグリーンウォッシュ(注)になる恐れがあります。産業界のわがままと思われる規格にならないようにしていくことが重要です。」と述べる。
(注)グリーンウォッシュ:企業が実際には環境に配慮していないのに、あたかも環境に優しいかのように見せかけて消費者を欺くマーケティング手法や行為のこと。「グリーン(環境)」と「ホワイトウォッシュ(ごまかしや隠ぺいを指す俗語)」を組み合わせた造語。
これから標準化に取り組む人たちには、表面的な活動だけではなくて、規格化の背景にある思想をしっかり認識することが求められる。
「特に欧州の人たちとはきちんと付き合うことが大切です。そうしないと、その根底にある哲学的な要素を理解することができません。それを知るためにもぜひ積極的に海外に出るチャンスを生かしてほしいと思います。」と稲葉氏は述べた。
| 1981年4月~1991年3月 | 通商産業省 工業技術院公害資源研究所 |
| 1993年~現在 | ISO/TC 207(環境管理)/SC 5(ライフサイクルアセスメント)国内委員会 委員・委員長、日本代表エキスパート、コンビーナ |
| 2001年4月~2008年3月 | 独立行政法人産業技術総合研究所 ライフサイクルアセスメント研究センター長 |
| 2005年12月~2009年3月 | 東京大学人工物工学研究センター 教授 |
| 2008年4月~2009年3月 | 独立行政法人産業技術総合研究所 安全科学研究部門 副部門長 |
| 2009年4月~2020年3月 | 工学院大学 先進工学部 環境化学科 教授 |
| 2011年4月~2015年3月 | 日本工業標準化調査会(現 日本産業標準調査会、JISC) 標準部会 部会長、環境・資源循環専門委員会 委員会長 |
| 2013年4月~現在 | ISO/TC 207/SC 7(温室効果ガスマネジメント)国内委員会 委員 |
| 2019年4月~現在 | ISO/TC 323(循環経済)国内委員会 委員 |
| 2020年4月~現在 | 一般社団法人日本LCA推進機構 理事長 |
| 2020年4月~現在 | ISO/TC 207/SC 3(環境ラベル)国内委員会 委員長 |
| 2020年4月~現在 | ISO/TC 322(サステナブルファイナンス)国内委員会 委員 |
| 2024年4月~現在 | ISO/TC 308(加工・流通過程の管理)国内委員会 委員 |
最終更新日:2026年2月16日