第6節 ルールベースの国際経済秩序の維持・強化と我が国の役割
これまで述べてきたとおり、世界経済は様々な困難に直面しており、再び安定成長の軌道に乗せるための岐路に立たされている。足下の世界経済では、各国の経済政策や地政学的な要因を背景とした不確実性の増大リスクが潜んでおり、経済的な依存関係等を悪用した威圧行為と見做されるような事案も増加している中で、従来、貿易紛争を解決する機能を担ってきたWTOの上級委員会が機能しない状態が続いている。また、こうした厳しい経済安全保障環境の下で、各国による輸出・投資管理政策の強化や自国中心主義的な産業政策の動きなど、世界経済のブロック化につながりかねない動きが見られることも事実である。一方、グローバル・サウス諸国はアジアを筆頭に経済規模・貿易の双方において存在感を増していくことが見込まれ、こうした国々とも連携しながら世界経済の包摂的で持続可能な成長を確保していく必要がある。
困難に直面する世界経済を再び成長の軌道へと導いていくためには、以下の三つの対応の方向性について一体的に取り組んでいくことが必要となる。
第一に、世界経済が分断の危機に直面する中においても、ルール重視の姿勢を堅持し、ルールに基づく国際経済秩序の維持に貢献する。その際、我が国にも裨益する形でのルール形成に取り組むことが重要であり、例えば、貿易多角化によるサプライチェーンの強化や保護貿易主義への対抗としてのEPAの有効性も認識し、EPA・投資協定の交渉を進める。また、WTO改革にも取り組むとともに、WTO・EPAを活用し、不公正な貿易措置の是正・予防を図る。加えて、近年関心が高まっている非貿易的関心事項について適切に対処しつつ、行き過ぎた措置により公正な貿易が歪められないよう、ルールの活用・形成に関与していく。第二に、強靱で持続可能なサプライチェーンを構築し、途絶リスクに備える。経済安全保障の観点も踏まえながら、重要物資の調達や供給先の多様化を図る。その際、保護主義を回避し、域内市場の公平な競争条件(レベルプレイングフィールド)を確保できるよう、同志国との対話・協力を強化するとともに政策協調を図る。第三に、産業面を中心にグローバル・サウス諸国を含めた各国との互恵的な関係を構築するとともに、我が国産業の新たな市場を開拓する。
こうしたルールに基づく国際経済秩序の維持に向けた我が国の取組としては、まず、WTOの機能回復に向け、WTOの有する三つの機能(紛争解決、交渉、監視・審議)それぞれについて改革を推進していく。紛争解決機能に関しては、小委員会と上級委員会の二審制が取られる中、上級委員会の新任委員の選任が行われないために2019年末以来現在に至るまで新たな審理が行えない状況となっている。これに対し、WTO閣僚会議では、2024年内に全ての加盟国が利用でき、完全なかつよく機能する紛争解決制度を実現することを目的として議論を行うことで合意しており、引き続き議論が継続されている。紛争解決機能が回復するまでの間は、上級委員会を暫定的に代替し上級委員会への上訴でなく仲裁で解決することを定める多国間暫定上訴仲裁アレンジメント (MPIA) やEPA等の紛争解決制度、また、WTOの各種委員会の場も活用しながら、ルールの確実な執行を担保していく。交渉機能に関しては、新たなルール作りに向けた取組として、電子商取引、国境を越えた投資円滑化、国際貿易において大企業に比べ弱い立場に置かれがちな中小零細企業に対する貿易促進、サービス分野での企業の海外進出を円滑化するサービス国内規制といった新たな分野に関する有志国による共同声明イニシアティブ等が立ち上げられ、交渉機能の向上に向けた取組を行ってきている。特にデジタル貿易に関する国際的なルール作りを目指す電子商取引交渉では、我が国は共同議長国として交渉を主導している。審議・監視機能に関しては、産業補助金や強制技術移転等、貿易に影響を与える産業政策について、将来的な透明性の向上や規律強化を見据えて議論する場の立ち上げを提案している。特に、産業補助金については、WTO加盟国は特定性を有する補助金について、その内容をWTOへ通報する義務が補助金及び相殺措置に関する協定によって定められているが、この通報義務が十分に遵守されていない場合も多く、既存の義務の履行の徹底と、規律の強化の検討が求められている。
貿易・投資の関係強化を通じたサプライチェーンの強靱化や、保護主義的な政策への対抗など、まずは価値観を共有する有志国や個別国との間で取り組むべき課題に関しては、EPA/FTAや新たな多国間連携の枠組みを活用してルール形成を推進していく。二国間での取組としては、原油・天然ガスといったエネルギー資源の輸入先として重要であり、また、オイル・マネーをベースとした政府系ファンドによる経済多角化や脱炭素化のための新たな産業への投資が盛んに行われているGCC(湾岸協力理事会)との間では、2023年7月に岸田総理がサウジアラビアを訪問した際に、長らく中断していた日GCC・FTAの交渉を2024年中に再開することで一致した。また、欧州や周辺国市場への生産・供給拠点として注目されているトルコとの間では、EPAの早期締結に向けた協議を続けることで一致しており、交渉を加速している。さらに、近年繊維を中心とした輸入が増え、また我が国からは鉄鋼・自動車等の輸出が伸び、経済的な結びつきが強まっているバングラデシュとの間では、約1年間の共同研究を経て2024年3月にEPAの交渉開始決定を発表した。なお、相互の直接投資を円滑に行うためのルールを定める投資協定の、今後の投資先として潜在性を有する国との交渉開始の可能性につき、グローバル・サウスの一角として注目が高まり、我が国企業の投資意欲も高まっている中南米及びアフリカを中心に検討することとしている206。既に締結済みのEPA/FTAの見直しについては、日・インドネシアEPAについてデータ越境移転の制限禁止など電子商取引を円滑に行うためのルール追加等を織り込むことで2023年12月にインドネシアと大筋合意に至った。また、日EU・EPAについても、「データの自由な流通に関する規定」等を含めることに関する改正議定書が2024年1月に署名に至っている。多数国間での取組としては、自由で開かれたインド太平洋地域での経済協力枠組みであるIPEFにおいて2024年2月に発効したサプライチェーン協定を確実に履行し、そこに定められたサプライチェーン強靱化のための協力を行っていく。また、幅広い分野での新たな経済統合ルールを構築する枠組みであるCPTPPにおいては、その一般見直しのプロセスの中で、市場歪曲的慣行や経済的威圧への対処等について議論を行うこととしている。さらに、世界経済の成長センターである地域の経済連携協定であるRCEP協定においては、締約国間での自由で公正なルールに基づく経済活動の実現に向けて透明性のある履行を確保していく。
上述のような取組に加えて、各国の政策の動きが激しい領域や、技術進歩のスピードが早く迅速なルールづくりが求められる領域については、既存のルールのみならず、法的拘束力がなく自主的な履行を促すようなソフトローも含めた新たな規範の策定・活用を検討していく。例えば、国有企業の効率的で透明性をもった経営を促進し、国際市場でのレベルプレイングフィールドを確保する観点からは、OECDの「国有企業のコーポレート・ガバナンスガイドライン」の改訂作業を行い、2024年5月に我が国が議長となり開催されたOECD閣僚理事会において採択された。また、技術進歩が著しく、適正で安全な発展・普及が求められている生成AIに関しては、2023年5月に我が国が議長国を務めて開催したG7広島サミットの結果を踏まえて、その国際指針や行動規範が「広島AIプロセス包括的政策枠組み」207としてまとめられ、同年12月にG7において承認された。その後、2024年5月のOECD閣僚理事会において、49か国・地域の参加を得た、広島AIプロセスの精神に賛同する国々の自発的な枠組みである「広島AIプロセス フレンズグループ」の立上げが岸田総理により表明されており、今後より多くの国々やステークホルダーによる賛同の輪が拡がり、生成AIに関する包摂的な国際ガバナンスの形成が促進されることが期待されている。
206 経済産業省Webサイトを参照 (https://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/epa/investment/actionplun-kensho.pdf)。
207 総務省Webサイトを参照 (https://www.soumu.go.jp/hiroshimaaiprocess/documents.html)。