第Ⅲ部 第1章 ルールベースの国際通商システム

第3節 WTO 全体の動向

1.WTO254全体の動向

2001年にカタールのドーハで行われた第4回WTO閣僚会議においては、WTO設立後初のラウンド交渉として発展途上国の要求に配慮する形でドーハ開発アジェンダ(以下「ドーハ・ラウンド」)が立ち上げられた。同ラウンドは農林水産物や鉱工業品の貿易のみならず、サービス貿易の自由化に加え、アンチ・ダンピングなどの貿易ルール、貿易と環境、開発のほか、ルール作りを検討すべき分野として投資、競争、貿易円滑化なども含んでいた(第Ⅲ-1-3-1表)。

第Ⅲ-1-3-1表 ドーハ・ラウンド一括受託の交渉項目と主要論点255
ドーハ・ラウンド一括受託の交渉項目と主要論点の表

その後、交渉分野や参加国の多さ、先進国と新興国の意見の懸隔といった理由から、交渉は長期化した(第Ⅲ-1-3-2図)。第10回WTO閣僚会議(MC10)においては、農業の輸出競争(輸出補助金撤廃、輸出信用の規律強化等)、開発分野で合意を得るとともに、ITA拡大交渉の妥結をみた(後述)。ドーハ・ラウンドの今後の扱い及び新たな課題への取組については、最終的に見解は一致せず、閣僚宣言にドーハ・ラウンド交渉についての「新たなアプローチ」が必要であるとの考えと、交渉を継続すべきとの考えが両論併記され、時代に即した新たな課題への取組を求める国があることも明記された。

第Ⅲ-1-3-2図 ドーハ・ラウンド交渉の経緯
ドーハ・ラウンド交渉の経緯の図

2017年12月にアルゼンチンのブエノスアイレスで行われた第11回WTO閣僚会議(MC11)に向けては、主要分野では大きな前進が得られず、成果文書についても、議長声明の発出にとどまった。そうした中でも、各加盟国からはWTOに関与し続ける姿勢は示され、漁業補助金について、第12回WTO閣僚会議(MC12)に向けて議論を継続することとなったほか、電子商取引、投資円滑化、中小零細企業(MSMEs)、サービス国内規制といった今日的課題について、今後のWTOにおける議論を後押しする有志国の共同声明が発出された。

なお、本閣僚会議のマージンで、日本の呼びかけにより、世耕経済産業大臣、マルムストローム欧州委員(貿易担当)及びライトハイザー米国通商代表(いずれも肩書は当時)により日米欧三極貿易大臣会合が開催された(後述)。

現状の貿易を取り巻く問題は、市場歪曲的な措置やデジタル保護主義の広がりなど多様化しているが、WTOはこれらに十分に対応できず、一方的な貿易制限措置や対抗措置の応酬や紛争解決機能の停止の誘因の一つになっていることから、WTOの機能改善に向けた「WTO改革」の機運が高まっている(後述)。WTO改革の議論の加速が期待される中、2020年春以降の新型コロナウイルス感染症の拡大により、MC12は複数回延期となったが、まず2021年12月にはサービス国内規制、投資円滑化、電子商取引、貿易と環境持続可能性といった多様な分野で有志国による共同宣言・声明が発出され、その後、2022年6月、スイスのジュネーブでMC12が開催された。会議では、特に新型コロナウイルス感染症によるパンデミックや食料安全保障等の喫緊の危機への対応が焦点となり、6年半ぶりに全加盟国での閣僚宣言を採択した。パンデミック対応については新型コロナワクチンの特許権免除(TRIPSウェイバー)が議論され、最終的に、新型コロナワクチンを生産・供給するために必要な特許について、TRIPS協定上の強制実施権に係る手続を明確化・簡素化する内容に合意したほか、医療物資の緊急的な輸出規制を適切に抑制することで一致した。食料安全保障については、ロシアによるウクライナ侵略の影響を受けて食料価格が高騰したことを受けて議論がなされ、食料安保の観点からの緊急的貿易制限措置を行う場合も可能な限り貿易歪曲性が低くなるよう抑制すること等に合意した。

また、WTO改革については、2024年までに全加盟国が利用可能な、完全かつよく機能する紛争解決制度の回復を目指すことを含め、必要な改革に取り組むことにコミットすることに全加盟国が合意し、漁業補助金協定については、違法・無報告・無規制漁業に対する補助金の禁止及び濫獲された資源に対する補助金を原則禁止すること等に合意した。また、電子的送信に対する関税不賦課モラトリアムについては、これまでと同様、次回の閣僚会合までの延長をすることで決着し、第13回WTO閣僚会議(MC13)までの継続延長に合意した。

MC13は、2024年2月にアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビで開催された。会議では、紛争解決(DS)制度改革、審議機能強化、電子商取引、開発、漁業補助金、農業等に焦点を当てて議論が行われ、成果として、閣僚宣言と個別の閣僚決定を採択する形となった。多くの国にとって最も大きな関心事項の一つであるDS改革については、これまでの進捗を土台として議論を加速させ、MC12で合意した2024年までの目標の達成に向け、上訴レビューやアクセシビリティ等の未決着の論点に取り組むことが合意された。また、電子的送信に対する関税不賦課モラトリアムについては、第14回WTO閣僚会議(MC14)又は2026年3月31日のいずれか早い日まで延長することが決定された。また、WTOにおける発展途上国の声の拡大に伴い、発展途上国の経済発展や開発に着目した決定もなされ、例えば、後発開発途上国(LDC)から卒業した国に対しては、一定の移行支援を実施することが確認されたほか、衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定)及び貿易の技術的障害に関する協定(TBT協定)の効果的な実施を支援するため、LDCを含む途上加盟国に対する技術支援、訓練及び能力構築の重要な役割等について確認するという閣僚宣言が採択された。一方で、日本を含めて多くの国が追求していた論点の中には、一部のメンバーの反対により合意できなかったものもあり、例えば、審議機能の強化の一環として目指していた新たな審議課題に関する議論の場の立上げや、漁業補助金協定の追加規律への合意は実現されなかった。

254 1930年代にまん延した保護主義が第二次世界大戦の一因となったとの反省から、多国間の貿易自由化を目指し、1948年に、最恵国待遇・内国民待遇を大原則とするGATT(関税及び貿易に関する一般協定)が発効した。1995年には、GATTを発展的に改組してWTO(世界貿易機関)を設立した。現在164か国・地域が加盟するWTOは、①交渉(ラウンド交渉などによるWTO協定の改定、関税削減交渉)、②紛争解決(WTO紛争解決手続による貿易紛争の解決)、③監視・透明性(多国間の監視による保護主義的措置の抑止)の機能を有し、多角的な貿易を規律する世界の貿易システムの基盤となっている。

255 ラウンド立上げ当初は、投資、競争、貿易円滑化、政府調達の透明性のいわゆる「シンガポール・イシュー」が検討の対象として含まれていたが、カンクン閣僚会議で貿易円滑化のみにつき交渉を始めることとされた。

2.WTO改革の必要性

1995年にWTOが設立されてから四半世紀が経過し、その間の新興国の台頭や産業構造の変化により、WTOは現状の貿易を取り巻く問題に十分に対応できていないとの批判があり、一部の国による一方的な貿易制限措置や対抗措置の誘因の一つになっている。このため、保護主義を抑止し、自由で開かれた貿易体制を維持するためにも、WTOの機能改善に向けた「WTO改革」の機運は引き続き高まっている。

WTOは、①交渉、②紛争解決、③監視・審議の三つの機能を有している。

交渉機能について、ドーハ・ラウンド交渉立上げから20年以上経過する中で、2022年のMC12では漁業補助金に係る協定に全加盟国で合意するとの成果があったものの、全加盟国による全会一致(コンセンサス)の原則の下でのルール形成は困難な状況となっている。2017年のMC11において立ち上がった、電子商取引、投資円滑化、中小零細企業(MSMEs)、サービス国内規制といった現在の世界経済が直面する課題に即した分野に関する有志国による四つの共同声明イニシアティブ(JSI)に加えて、2021年3月には、環境への関心の高まりを受け、有志国による「貿易と環境持続可能性に関する体系的議論(TESSD)」が始動する等、交渉機能向上に向けて取り組んでいる(後述)。特に、サービス国内規制については、2024年のMC13期間中に、新たな規律をGATSの約束表に組み込むためのWTO認証手続が完了し、JSIを通じた有志国によるルール形成がWTOにおいて発効した初めての具体的成果になった。

②紛争解決機能について、小委員会(パネル)、上級委員会の二審制がWTOにおいて導入されている。上級委員会は、紛争解決機関(DSB)によって設置された「小委員会(パネル)が取り扱った問題についての申立てを審理する」常設機関であり、「7人の者で構成するものとし、そのうちの3人が一の問題の委員を務める」とされている。通常、上級委員の任期終了前に、次の委員の選任が行われるが、2017年6月以降、DSBにおいて、上級委員選任プロセスを開始するためのコンセンサスが形成されていない。これにより、次々と委員が任期を終える一方で、新たな委員の選任がなされない状況が続き、2019年12月には残る上級委員が1名となり、新たに審理を行うことができなくなった。2020年11月には、残っていた最後の1名の任期も切れ、上級委員は現在空席となっている。上級委員会がWTO協定に定められた(加盟国の)権利・義務を追加・縮減していると批判を強めている米国の問題意識も踏まえ、2019年1月より、ウォーカーNZ大使(DSB議長、その後一般理事会議長)がファシリテーターとなり、上級委員会の機能を改善するための解決策(「ウォーカー原則」)の採択が目指されたが、一部加盟国の反対により採択には至らなかった。上級委員会の機能回復に向けた実質的な議論は、米国の関与を得て進捗するに至らず、パネル判断について上訴(空上訴)されるが、上級委員会の審理がなされないため、パネルによる判断が確定しない事案が累積してきている。こうした中、WTO加盟国は、2022年6月に開催されたMC12において、「2024年までに全ての加盟国が利用できる完全なかつよく機能する紛争解決制度の実現を目的として議論を行うこと」に合意した。MC13においても、MC12における合意を再確認し、これまでの作業の進捗を今後の議論の土台とした上で、2024年までの目標の達成に向け、上訴レビュー等の未決着の論点に取り組むこととなった。

また、EU等の一部の加盟国は、2020年4月に、多数国間暫定上訴仲裁アレンジメント(Multi-party Interim Appeal Arbitration Arrangement、MPIA)を立ち上げ、DSBに通報した。MPIAは、上級委員会が完全に機能するまでの間に限り、パネルの判断を不服とする場合には、機能停止中の上級委員会に上訴するのではなく、仲裁により解決することを定める紳士協定である。日本も、2023年3月に参加した(2024年3月時点で、日本を含め53か国・地域が参加)。

③監視・審議機能について、加盟国が貿易に影響を与える措置(補助金等)を導入した際にWTOに通報する義務が各協定において規定されているが、この通報義務が遵守されていない場合も多い。措置の透明性の低さは市場歪曲的な政府支援等を助長しやすく、例えば過度な補助金が過剰生産能力の問題をもたらすなど、貿易に悪影響を及ぼすおそれがある。このため、通報義務の適切な履行を促す、より効果的な監視メカニズムの構築に向けて、2018年11月、物品の貿易に関する理事会へ日米欧等が共同提案を示した。その後、共同提案国以外のコメントを踏まえ、米国が主導して2021年7月と2022年7月の二度にわたって改訂案を提示したが、合意に至っていない。

こうした中で、WTOの各委員会の運営を通じた実態改善を志向する動きがあり、2023年3月の一般理事会においてEUから透明性の向上も視野に入れた審議機能改善に係る提案が示された。本提案は、多くの国が産業補助金を始めとする様々な産業政策上の措置をとりつつある中、「貿易と国家介入」の分野について、WTOにおける審議機能を強化するという目的を持つ。各国による産業政策上の措置については、従前より、各委員会等において個別協定の実施に係る議論は行われており、例えば、「補助金及び相殺措置に関連する協定」に関する論点は補助金委員会で、「貿易に関する投資措置に関する協定」(TRIMs協定)に関連する課題についてはTRIMs委員会で、それぞれ議論されてきた。他方、近年、産業セクターにおける政府支援は、既存協定が規律する範囲に留まるものではなくなっており、個別協定の枠を超えて様々な政策・措置が取られているほか、各措置が相互に関わりを持つものとなっている。そうした状況を受けて、産業補助金や国有企業等を含めた産業政策全般が貿易にもたらす影響を議論すべきであるという問題意識に基づき、2024年2月末に開催された第13回WTO閣僚会議(MC13)において、「貿易と国家介入」に関する審議の場の立上げが提案され、日本やEU、カナダ等を始めとする国々が支持し、その重要性を主張した。WTO閣僚会議における初の試みとして実施された「貿易と産業政策・政策余地を含む持続可能な成長」に関する対話形式の議論においても、日本は、「貿易と産業政策」に関する審議の場を立ち上げるべきと主張し、発展途上国を含めた多くの国の賛成があった。最終的には、一部の加盟国の反対によりMC13における立上げは実現していないものの、MC13においても最後まで議論が続けられた。なお、一部の加盟国からは、発展途上国地位の在り方について議論が提起されている。WTO協定上、発展途上国は、無差別原則及び相互主義に対する例外として「特別かつ異なる待遇」(協定上の義務の一部猶予、補助金削減目標の緩和、技術的支援等)を受けることができる。しかし、WTOには、これらの待遇の対象となる発展途上国について明確な基準がなく、各国は自己申告により当該待遇を享受できる(自己宣言方式)。経済発展を実現した発展途上国がこのような待遇を享受することを問題視する意見がある中、ブラジル、シンガポール、韓国、台湾、コスタリカは現在・将来の交渉でこのような待遇を求めないことを宣言している。一方、「特別かつ異なる待遇」は発展途上国の発展に不可欠であると多くの発展途上国が主張しており、各交渉分野において「特別かつ異なる待遇」の対象及び程度についても議論されている。また、発展途上国に対して、産業化のための「政策余地」を求める提案もある。既存のWTO協定の適用緩和を求めるものだが、これについても、先進国を中心に一律に全ての発展途上国に対して柔軟性を導入することには反対する声があり、議論が続いている。

3.ITA(情報技術協定)交渉

ITA拡大交渉に先行して合意されたIT製品の関税撤廃に関するITA(情報技術協定)は、1996年12月のシンガポールWTO閣僚会議(MC1)の際に29メンバーで合意され、1997年に発効した。その後の参加国拡大の結果、2024年3月現在、ITA対象製品の世界貿易総額の97%以上256を占める83メンバーが協定に参加している257。今日、IT製品の貿易は世界貿易全体の約10%を占めている258。主な対象品目は、半導体、コンピュータ、通信機器、半導体製造装置等である。

ITAの発効からの技術進歩や各国産業界からの期待の高まりを受け、新たにITAの対象とする品目リストの拡大や、対象品目の明確化を目的として、2012年5月にITA拡大交渉が立ち上げられた。2015年9月からは我が国がITA拡大交渉の議長を務め、個別の対象品目の関税撤廃期間等に関する交渉を行い、同年12月、ケニア・ナイロビで開催された第10回WTO閣僚会議(MC10)において、林経済産業大臣(当時)が議長を務める中、対象品目の世界貿易額の90%以上をカバーする53メンバーで交渉妥結に至った。交渉妥結当時の対象品目201品目の全世界貿易額は年間1.3兆ドルを上回り、世界の貿易総額の約10%に相当し、自動車関連製品が世界貿易に占める割合4.8%を大幅に上回る規模である。日本からの対象201品目の対世界輸出額は約9兆円と総輸出額約73兆円の約12%を占め、関税削減額は約1700億円と試算されていた259。主な対象品目は、新型半導体、半導体製造装置、デジタル複合機・印刷機、デジタルAV機器、医療機器等である。2023年3月現在、56メンバーが拡大ITAに参加しており55メンバーは2024年に、1メンバー(2021年11月に新規で参加承認されたラオス)は2026年に対象品目201品目の関税が完全に撤廃される予定である。

なお、2021年9月に開催されたITA25周年シンポジウムでは各産業界からIT技術の発展や世界経済への貢献とともに更なる対象品目拡大交渉の開始などを望む声が寄せられ、2022年5月には世界のIT産業界43団体は新たな対象品目拡大交渉を支持する共同ステートメントを発出した。

256 WTO Webページから取得(https://www.wto.org/english/tratop_e/inftec_e/inftec_e.htm外部リンク)、2024年4月26日確認。

257 WTO「ITAの貿易拡大に関する加盟メンバー委員会」、(https://docs.wto.org/dol2fe/Pages/SS/directdoc.aspx?filename=q:/G/IT/1R60.pdf&Open=True外部リンク)。EUは27加盟国を合わせて28メンバー、スイス/リヒテンシュタインは2メンバーとカウント。ただし、東ティモールは国内手続未了のため、カウントに含めない。

258 WTO Webサイトから取得(https://www.wto.org/english/tratop_e/inftec_e/itaintro_e.htm外部リンク)、2024年4月30日確認。

4.EGA(環境物品協定)交渉

2001年のドーハ閣僚宣言において、「環境関連物品及びサービスに係る関税及び非関税障壁の撤廃及び削減」に関する交渉の立上げと、貿易と環境に関する委員会特別会合(CTESS)の設置が盛り込まれたことを受け、CTESSにおいて関税削減・撤廃の対象となる環境物品リストに関する議論が行われてきた。

その後、ドーハ・ラウンドが停滞する中、APECに場を移して環境物品の関税削減・撤廃が議論された。2011年11月のAPECホノルル首脳会議で、2015年末までに対象物品の実行関税率を5%以下に削減する旨合意され、2012年9月のAPECウラジオストク首脳会議で、その対象品目として54品目に合意された。

これを受け、2012年11月、環境物品の自由化推進国・地域で形成する「環境フレンズ」メンバー(日本、米国、EU、韓国、台湾、シンガポール、カナダ、豪州、ニュージーランド、スイス、ノルウェー)は、WTOでの今後の環境物品自由化の交渉の進め方について議論を開始。2014年7月には有志の14メンバー(日本、米国、EU、中国、韓国、台湾、香港、シンガポール、カナダ、豪州、ニュージーランド、スイス、ノルウェー、コスタリカ)でEGA交渉を立ち上げた。その後、議論が続けられ、2016年12月に妥結を目指し閣僚会合を開催したが、対象品目に関する立場の懸隔が埋まらず、妥結には至らなかった。なお、当時は46メンバーが交渉に参加していた。

EGA交渉の再開目途は立っていないが、我が国は2021年3月に世界全体のカーボンニュートラル実現に貢献する製品・技術の普及を円滑化させるため、WTO有志国で構成されたオタワグループの閣僚会合において、環境物品の関税撤廃(風力、燃料アンモニア、水素、自動車、蓄電池、カーボンリサイクル、住宅・建築物、太陽光、資源循環の9分野を例示)等を含む「貿易と気候変動」に関する提案を行った。同年12月には環境物品の貿易を促進するためのアプローチ等が盛り込まれた「貿易と環境持続可能性に関する閣僚声明」(後述)が発出された(2024年3月現在76か国・地域が参加)。今後、環境物品交渉に向けた議論が継続されると考えられる。

5.そのほかの有志国の枠組みによる交渉

(1)電子商取引共同声明イニシアティブ交渉

MC11で発出された共同声明に基づき、2018年3月から、将来のWTO電子商取引ルールに含まれるべき要素について議論を行う探求的作業が開始された。同年12月までに、110以上の加盟国が参加し9回会合が開かれ、電子署名、電子決済、オンラインの消費者保護、データ流通等幅広い論点について議論が行われた。2019年1月、スイス(ダボス)において、日本は、豪州、シンガポールと共に、WTOの電子商取引に関する非公式閣僚級会合を主催した。同会合で各国代表は、WTOにおけるルール作りの意義等について意見交換を行い、会合後、国際貿易の約90%を代表する76の加盟国260で、電子商取引の貿易側面に関する交渉を開始する意思を確認する共同声明を発出した。同年6月、G20大阪サミットの機会に、安倍総理が「デジタル経済に関する首脳特別イベント」を主催し、トランプ大統領、ユンカー欧州委員会委員長(いずれも当時)、習近平中国国家主席など27か国の首脳及びWTOを始めとする国際機関の長が出席した。「大阪トラック」を立ち上げる旨の「デジタル経済に関する大阪宣言」が発出され、電子商取引共同声明イニシアティブに参加する78か国・地域と共に、電子商取引共同声明イニシアティブ交渉について、MC12までに実質的な進捗を得ることを目指すことに合意した。2023年12月には、サイバーセキュリティやオンライン消費者保護等の13条文について交渉が実質的に妥結したこと、残された条文の収斂に向けて引き続き努力すること、さらに、2024年の適時に交渉妥結するために努力することについて宣言する共同議長声明を発出した(2024年3月現在、90か国・地域が参加)。

260 WTO「2019年1月25日報道資料」、(https://www.wto.org/english/news_e/news19_e/dgra_25jan19_e.htm外部リンク)。

(2)投資円滑化交渉

現在、包括的な投資に関するルールを定めた多国間協定は存在せず、二国間投資協定や経済連携協定で対応している。

2017年12月のMC11で、有志国による閣僚共同声明を発出(日本、EU、中国を含む70加盟国・地域が参加。米国、インド、南アフリカ共和国は不参加)した。当該声明を受け、開発のための投資円滑化に関するオープンエンド交渉会合(以下、オープンエンド交渉会合)にて、全WTO加盟国・地域が参加するマルチの枠組み作りを目指すとの前提で、投資に関わる措置のうち、①透明性・予見可能性等の向上、②事務手続の簡素化・迅速化、③情報共有等の連携、④開発途上国の特別待遇等について議論を行った。

2019年11月、上海WTO非公式閣僚会合にて「開発のための投資円滑化に関する有志国会合」が開催され、我が国を含む92の有志国・地域がMC12での具体的な成果を目指すとの閣僚共同声明を発出した。その後2020年9月からオープンエンド交渉会合が開始された。

2021年12月、有志国・地域の大使級による共同声明が発出され、交渉開始以降の進展を評価し、2022年末までの交渉の妥結を目指して交渉するとともに、全てのWTO加盟国・地域に対して本交渉への参加を呼び掛けた。2022年12月の有志国・地域会合にて議長声明が発出され、交渉に実質的な進展が達成されたと評価し、2024年2月に行われた第13回WTO閣僚会議において有志国・地域は「開発のための投資円滑化に関する協定」の交渉の妥結の宣言と協定条文を公表し、世界貿易機関を設立するマラケシュ協定の附属書4に同協定を組み込むよう要請したが、WTO加盟国によるコンセンサスを得ることはできなかった。同協定のマラケシュ協定への組み込みについては、引き続き議論が行われる予定である。(2024年3月現在、128の加盟国・地域が本イニシアティブに参加している)。

(3)中小零細企業(MSMEs)の貿易促進

2017年12月のMC11で、88か国の賛同を得て、中小零細企業(MSMEs:Micro, Small and Medium-sized Enterprises)の貿易促進を目的とする有志国会合が立ち上げられた。

MSMEsの貿易に関する障壁を低減し負担を緩和するための議論を行っており、2020年12月には貿易促進に資する行動計画パッケージを公表した。具体的には、WTO貿易政策レビュープロセスを通じたMSMEsに係る統計や政策情報の提供の推奨、関税率・非関税措置・原産地規則・貿易手続等の情報のプラットフォームへの集積促進、貿易円滑化協定の完全な実施による透明性向上及びキャパシティビルディング・技術支援の推奨、MSMEsの貿易金融アクセス向上に資するキャパシティビルディングや情報共有が取り込まれた。2021年12月にはMSMEsの国際貿易参画促進のためのウェブサイトであるTrade4MSMEsプラットフォームが立ち上げられた。2022年6月のMC12のマージンで、MC11以来のMSMEsの活動状況について報告があった。(2024年3月現在、98加盟国・地域が参加)。

(4)サービスに関する国内規制ルール交渉

サービスの貿易に関する一般協定(GATS)第6条4項は、資格要件、資格の審査に係る手続、技術上の基準及び免許要件に関する措置がサービス貿易に対する不必要な障害とならないようにするため、ビルトイン・アジェンダとして国内規制ルールの作成を規定している。

1999年以降、国内規制作業部会(WPDR)においてルール交渉を続けてきたが、加盟国の立場の違いから交渉が膠着した。2017年12月のMC11では、全加盟国の合意を達成するため、有志国において交渉の継続を確認する有志国閣僚声明を発出した。MC11以降、有志国によるオープンエンドの関心国会合を開催し規律案の議論を行ってきた。2021年12月、MC12のマージンでの妥結が予定されていたがMC12の延期を受けて、有志国・地域による大使級会合が開催され、交渉の妥結に関する宣言が発出された。その後、有志各国・地域が、GATSの約束表に追加的な約束として新たな規律を取り込む手続を進め、2022年12月以降、63か国・地域が効力発生に向けたWTO手続を開始した。2024年2月、EU 27か国を含む52か国・地域についてWTO手続が完了した。そのうち44か国・地域については同年2月27日付けで新たな規律の効力が発生した。日本を含む8か国・地域は国内手続完了後に各国が指定する日に効力を発する(2024年3月現在、72加盟国・地域が参加)。

(5)貿易と環境持続可能性に関する体系的議論(TESSD)

2020年11月、環境への関心の高まりを背景に、MC12に向け、日本を含む50か国以上が貿易と環境問題に関する様々な論点を議論していく提案を行い、2021年、WTOにおける事務レベルの議論を開始した。同年3月、日本より、温室効果ガス削減に資する製品・技術の普及を円滑化するため、関税撤廃や規制面に関するルール作り等を柱に置いた提案を行った。

MC12での発出が予定されていたがMC12の延期を受けて、2021年12月、貿易と環境持続可能性に関する閣僚声明を71か国・地域(日本、米国、EU、中国等)で発出し、環境物品・サービスの貿易を促進するためのアプローチの検討、WTOルールに合致した気候変動対策についての専門的な議論の開始など、TESSDで継続して議論することに合意した。2022年は、年初に合意された作業計画に基づき、①貿易関連気候措置、②環境物品・サービス、③循環経済、④補助金の四つのワーキンググループで議論が行われた。2024年2月に行われたMC13では、それまでの議論の成果を踏まえて、共同議長声明、作業計画のアップデート、四つのワーキンググループの成果文書が発出された。参加国・地域は2024年3月現在で76まで拡大している。

6.日米欧三極貿易大臣会合

日米欧の三極が、第三国による市場歪曲的な措置に共同対処するため、2017年12月、日本の世耕経済産業大臣(当時)が呼びかけ、米国のライトハイザー通商代表(当時)、EUのマルムストローム欧州委員(貿易担当)(当時)の参加により、ブエノスアイレスでのMC11のマージンで初めて三極貿易大臣会合を開催した。2020年1月までに7回の会合を開催し、産業補助金・国有企業の規律強化、強制技術移転、市場志向条件、電子商取引等、主にWTOでのルールメイキングを念頭に議論が行われている。

2021年の米国の政権交代後には、2021年11月にテレビ会議形式で開催され、萩生田経済産業大臣(当時)、タイ米国通商代表、ドンブロフスキスEU上級副委員長が参加した。会合では、第三国による非市場的政策や慣行がもたらすグローバルな課題に三極で連携して対処することや、そのために今後事務レベルで議論を行い定期的に閣僚が進捗を確認することに合意し、共同声明を発出した。その後、2022年9月には、ノイハルデンベルグでのG7貿易大臣会合のマージンで会合を実施し、強制労働排除に向けた協力を確認するとともに、市場歪曲的措置への対応について引き続き事務レベルの議論を継続することで一致した。

7.WTO協定(ルール)の実施

WTO協定は、加盟国・地域間に通商摩擦・紛争が生じた際に、ルールの解釈・適用を通じてその解決を図る紛争解決手続に係る規律を備えている。WTO協定では、履行監視手続や履行されない場合の対抗措置等も用意されており、紛争解決手続による措置の是正勧告は履行率が高く、実効性が高いものとなっている。また、通商摩擦を政治問題化させずに解決することができるという点でも有益である。1995年のWTO発足以来、紛争解決手続が利用された案件は623件(2024年3月現在。協議要請が行われたがパネル設置に至らなかったものを含む。)に上っている。

我が国が当事国としてWTO紛争解決手続に付託している案件のうち経済産業省が関与して、解決を図っている最近の事例の詳細は、下記を参照されたい。

(1)韓国の日本製ステンレス棒鋼に対するアンチ・ダンピング措置

2016年6月、韓国政府は、日本からのステンレススチール棒鋼に対する第3次サンセット・レビューを開始し、2017年6月、3年間課税措置を延長する旨の決定をした。

本措置は、日本産品が韓国産品やインド産品と競争関係にない可能性や、中国等第三国産品の輸入が増加している点を考慮せず、日本産品に対する課税を継続しなければ損害が再発する可能性があると認定しており、AD協定に非整合である可能性がある。

我が国は、2018年6月、韓国に対してWTO紛争解決手続に基づく協議要請を行い、同年9月に、我が国はパネル設置を要請し、同年10月にパネルが設置された。以後、パネルにおいて審理が行われた。

2020年11月に発出されたパネル報告書は、日本産輸入品が韓国産品より相当程度高価であることや中国等からの低価格輸入が大量に存在していることが適切に考慮されていないため、日本産輸入品に対するAD課税の撤廃により、韓国国内産業への損害が再発する可能性があるとする認定に瑕疵があり、AD協定第11.3条に非整合的であると判断した。

2021年1月、韓国は、WTO上級委員会に申し立てたが、上級委員会は既に機能を停止していたため、審理がなされていない(いわゆる空上訴)。

また、2020年1月に第4次サンセット・レビューが開始され、2021年1月に3年間課税措置を延長する旨決定された。第5次サンセット・レビューについては、国内生産者からの要請がなかったため行われず、2024年1月に課税が終了した。

(2)インドのICT製品に対する関税引上げ措置

2014年7月以降、インド政府は、自国のWTO協定譲許表において無税としている一部のICT製品(携帯電話、基地局、通信機器、電話機・通信機器部品等)について、予算法案(並びにその後の予算法)及び関連通達により10~20%の関税引上げ措置を導入した。

インドは、同国のWTO協定譲許表において、当該ICT製品の譲許税率を無税と定めているにも関わらず、それを超える関税を賦課しており、譲許税率を超えない関税率の適用を義務付けるGATT第2条に非整合的である可能性がある。

我が国は、前出の品目について、2019年5月にWTO紛争解決手続に基づく協議要請を行い、インドと二国間協議を実施した。しかしその後も、インド側からは、状況の改善に向けた見通しが示されなかったため、2020年3月に、我が国はパネル設置を要請し、同年7月にパネルが設置された。なお、インドは、パネル設置要請後、2020年2月の予算法案及び関連通達、2022年1月の実行関税率表の改訂において、電話機・通信機器部品の一部の関税を更に引き上げた。2023年4月、パネルは我が国の主張を受け入れ、インドの措置はWTO協定に非整合的であるとし、インドに対して同措置の是正を勧告するパネル報告書が公表された。2023年5月、インド政府はパネル報告書を不服として、上級委員会へ申し立てたが、上級委員会は機能停止中のため、上級委員会に申し立てられたまま審理が行われない状態となっている(いわゆる空上訴)。

(3)中国のステンレス製品に対するアンチ・ダンピング措置

2018年7月、中国政府は、我が国からのステンレススラブ、ステンレス熱延鋼板及びステンレス熱延コイルの輸入に対するアンチ・ダンピング(AD)調査を開始し、2019年7月に課税措置が開始された。

本措置は、ダンピングによる国内産業への損害及び因果関係の認定等に関し、アンチ・ダンピング協定に非整合的である可能性があるため、我が国は、2021年6月に、中国に対してWTO紛争解決手続に基づく協議要請を行い、同年8月に、パネル設置を要請し、同年9月にパネルが設置された。2023年6月、中国の措置がアンチ・ダンピング協定に非整合的であることを認定し、中国に是正を勧告するパネル最終報告書が公表され、翌7月、WTO紛争解決機関(DSB)により採択された。中国はパネル勧告を履行する意向を示しており、履行のための期間は2024年5月までと日中間で合意されている。

<<前の項目に戻る | 目次 | 次の項目に進む>>