第4節 ASEAN経済
ASEAN諸国の経済は、外需の拡大が景気回復を牽引する一方、内需には一部に弱さも見られる。このため、内需喚起に向け金融緩和に転換した国もあるが、米国の金利高を背景とした通貨安圧力もあり、金融緩和を進められるかどうかは不透明な状況である。また外需依存の高いASEAN諸国では、先進国経済の減速や米国を始めとする各国の関税政策等が大きな下方リスクとなっている。
1. GDP
2024年のASEAN諸国の実質GDP成長率は、AI用途を含めた半導体需要の拡大等を背景とする輸出の回復により、総じて2023年から加速した。直近では、回復が遅れていたタイが大型の財政出動により成長率を高め、エレクトロニクス関連の輸出拡大が続くベトナムも加速が続いている。他方、マレーシアやシンガポール、フィリピンでは2024年後半にかけてやや頭打ちの傾向も見られる(第I-5-4-1図、第I-5-4-2表)。
第Ⅰ-5-4-1図 ASEAN諸国の実質GDP成長率推移
第Ⅰ-5-4-2表 ASEAN諸国の実質GDP成長率
(1) インドネシア
インドネシアの実質GDP成長率は、前年比+5%前後での推移が続いている(第I-5-4-3図)。需要項目別に見ると、民間消費や総固定資本形成などの内需が堅調なほか、コモディティ需要の持ち直しを受けた輸出増加の寄与が高かった。また、ニッケルを中心とする鉱物分野への投資も堅調で、全体の成長を押し上げた。ただし、利上げの影響を背景に自動車販売等の一部消費には弱さが見られる。産業別には、2024年以降、主力のサービスの寄与度が徐々に低下する一方、製造業の伸びが成長を下支えした。
第Ⅰ-5-4-3図 インドネシアの実質GDP成長率(需要項目別及び産業別寄与度)
(2) マレーシア
マレーシアの2024年の実質GDP成長率は、通年で前年比+5.1%と2023年の同+3.6%から加速した(第I-5-4-4図)。需要項目別に見ると、半導体需要の増加を受けた電子機器関連の輸出の拡大が成長を牽引したほか、大型の公共投資が進んだことや、データセンターなどサービス業への投資拡大が総固定資本形成を押し上げた。産業別には主力のサービスが堅調だったほか、製造業の回復が鮮明になっている。もっとも、足下では輸出や製造業の回復にピークアウトの兆候も見られる。
第Ⅰ-5-4-4図 マレーシアの実質GDP成長率(需要項目別及び産業別寄与度)
(3) タイ
タイの2024年の実質GDP成長率は、前年比+2.5%と2023年の同+2.0%から加速した(第I-5-4-5図)。エレクトロニクス関連の輸出拡大に加えて、年後半以降は、選挙後の政治の空白により低迷していた予算執行が進み、政府支出及び公共投資の拡大が成長を牽引した。他方で、主力の民間消費は徐々に力強さを失っている。政府は景気回復に向けて大規模なデジタルマネーの給付を含む各種景気刺激策を打ち出し、2024年9月にはその第一弾として、貧困層を中心とする約1,500万人に対し、1万バーツの現金支給を実施した。産業別には、外国人観光客数の回復を背景にサービスが堅調だったが、製造業は弱さが続いている。
第Ⅰ-5-4-5図 タイの実質GDP成長率(需要項目別及び産業別寄与度)
(4) シンガポール
シンガポールの2024年の実質GDP成長率は、前年比+4.4%と前年の同+1.8%から急拡大した(第I-5-4-6図)。半導体関連の需要拡大を受けた電子機器・部品関連の輸出増加が景気回復を牽引した。産業別にも、2023年に低迷していた製造業の回復が2024年後半以降に顕著となり、全体の景気回復を押し上げた。ただし、輸出の伸びは期を経るごとに鈍化しており、外需の力強さは徐々に弱まっている。
第Ⅰ-5-4-6図 シンガポールの実質GDP成長率(需要項目別及び産業別寄与度)
(5) フィリピン
フィリピンの2024年の実質GDP成長率は、前年比+5.6%と前年の同+5.5%から僅かに加速した(第I-5-4-7図)。その内訳を見ると、政府支出が加速し、財輸出のマイナス寄与は縮小した。その一方で、総固定資本形成(民間部門と政府部門による固定資産への投資)とサービス輸出は減速し、輸入はマイナス寄与が拡大した。コメを中心とする食料価格の高騰を背景に2024年以降インフレが再加速し、主力の民間消費は弱さが続いた。足下では、食料価格の安定化や政府によるコメの輸入関税引下げ等の政策を背景にインフレが落ち着いており、中央銀行は内需喚起に向けた利下げを行っている。
第Ⅰ-5-4-7図 フィリピンの実質GDP成長率(需要項目別及び産業別寄与度)
(6) ベトナム
ベトナムの2024年の実質GDP成長率は、前年比+7.1%と2023年の同+5.1%から大幅に加速した(第I-5-4-8図)。電子機器・部品関連の輸出が大幅に伸び、第1四半期の同+6.0%から第4四半期の同+7.6%まで加速が続いている。外需の回復に支えられて消費や投資の伸びも加速しており、景気回復が鮮明になっている。産業別には、2023年に低迷していた製造業が2024年以降回復し、全体を押し上げた。
第Ⅰ-5-4-8図 ベトナムの実質GDP成長率(需要項目別伸び率及び産業別寄与度)
2. 消費動向
ASEAN諸国の自動車販売台数は、自動車所有権の割当増加や登録料半減措置といった政策が実施されたシンガポールやベトナムを除くと、高金利環境を背景に弱さが続いている(第I-5-4-9図)。一方、小売売上高を見ると、景気回復が続くベトナムやマレーシアでは回復傾向が見られる。タイでは外国人観光客の戻りや政府の現金支給の政策等により前年比プラスを維持していたが、2025年2月は再び前年比マイナスに転じた。
第Ⅰ-5-4-9図 ASEAN諸国の自動車販売台数と小売売上高
3. 外需動向
電子機器・部品等の輸出シェアが高いASEAN諸国では、半導体市況の回復に伴い財輸出の回復が鮮明となっているが、足下ではグローバルな半導体売上高が頭打ちとなっており、輸出の伸び率はピークアウトの兆しも見られる(第I-5-4-10図)。インドネシアでも、コモディティ関連の輸出拡大等に伴い回復基調が続いていたが、足下では軟調な動きとなっている。サービス輸出は、観光客数の回復に伴い各国で前年比二桁台の伸びが続いているものの、勢いは幾分弱まっている(第I-5-4-11図)。特にフィリピンでは、中国人観光客の戻りが鈍く、コロナ禍前の水準を大きく下回る状況が続いている。
第Ⅰ-5-4-10図 ASEAN諸国の財輸出と半導体売上高推移
第Ⅰ-5-4-11図 ASEAN諸国のサービス輸出と観光客数の推移
4. 経常収支
ASEAN諸国の経常収支は、財輸出の回復に伴い改善基調にあるが、インドネシアでは貿易黒字、フィリピンではサービス収支黒字の縮小を背景に、赤字が続いている(第I-5-4-12図)。インドネシアは金や石油ガス等の輸入拡大が続いたほか、フィリピンでは2024年以降拡大している旅行関連のサービス赤字が重荷となっている。
第Ⅰ-5-4-12図 ASEAN諸国の経常収支
5. 通貨
ASEAN諸国の通貨は、米国の金利高を背景にボラティリティが高い状況が続いている(第I-5-4-13図)。2024年9月頃、米国の金融緩和期待が高まったタイミングでは、軒並み対ドルで通貨高となったが、その後の米国の緩和期待の後退や足下の関税政策に伴う投資家のリスク回避姿勢の強まりにより通貨は再び下落傾向にある。
第Ⅰ-5-4-13図 ASEAN諸国の対ドル為替レートと米国の長期金利
6. 生産活動
ASEAN諸国の鉱工業生産は、2024年に入り総じて回復基調が続いている(第I-5-4-14図)。エレクトロニクス関連が主力のベトナムやマレーシアは前年からの伸びが続いている。他方で、タイやフィリピンでは軟調な動きとなっており、品目別に見るとタイでは自動車や金属等が弱く、フィリピンでは金属の生産減が足を引っ張っている(第I-5-4-15図)。
第Ⅰ-5-4-14図 ASEAN諸国の鉱工業生産指数
第Ⅰ-5-4-15図 タイ及びフィリピンの産業別鉱工業生産指数
7. 雇用動向
ASEAN諸国の失業率は、2022年から改善傾向にあったが、2024年に入り内需が弱含んだインドネシアやシンガポール、フィリピンでは横ばいとなっている。足下で景気回復が続いているマレーシアやベトナム、タイでは低下基調が続いている(第I-5-4-16図)。
第Ⅰ-5-4-16図 ASEAN諸国の失業率推移
8. 物価・金融政策動向
ASEAN諸国の消費者物価上昇率(インフレ率)は、総じて鈍化基調にある(第I-5-4-17図)。ベトナムやフィリピンでは、2023年半ば以降のコメ価格の高騰を受けて、一時的に再加速が見られたが、その後は天候要因が解消し、再び鈍化基調となっている。インフレ率の低下を受け、インドネシアやフィリピン、タイでは利下げが行われた。また、名目実効為替レートの調整で金融政策を実施するシンガポールも、2025年2月の金融政策決定会合において、為替レートのバンドの傾斜を緩やかにする(一定の通貨安を容認する)ことを決定し、金融緩和に転換した。他方で、景気回復が続くマレーシアやベトナムでは、政策金利は据え置かれている。各国は、弱含んでいる内需を、更なる金融緩和により活性化することを狙っているが、米国の関税政策と金利高を背景に、想定どおりに利下げが進むかどうかは、不透明な状況となっている。
第Ⅰ-5-4-17図 ASEAN諸国の消費者物価上昇率と政策金利の推移
9. 今後の見通し
IMFによる2025年4月時点のASEAN諸国の実質GDP成長率見通しは、下表(第I-5-4-18表)のとおりである。2025年については、関税の影響を受け、軒並み減速する予想となっている。1月の同見通しからの下方修正については、内需依存型かつ他国に先んじて金融緩和に転換したインドネシア、フィリピンでは、下落は比較的小幅にとどまる見通しとなっている。他方で、財輸出の拡大で2024年に高成長を記録したマレーシア、シンガポール、ベトナム、タイでは、関税による輸出減少の影響が大きく、実質GDP成長率の落ち込み幅も大きい。特にタイでは、当初、2025年はデジタルマネーの給付を含む大型の財政出動等で景気回復が続く予想だったが、関税の影響により減速する予想となっている。
第Ⅰ-5-4-18表 ASEAN諸国の実質GDP成長率の見通し