第2節 投資関連協定
1.世界の投資関連協定を巡る状況
1980年代以降、世界の海外直接投資は急速に拡大しており、世界経済の成長をけん引する大きな役割を果たしている。海外直接投資残高の対GDP比は、1980年には対外直接投資額で5.8%、対内直接投資額で5.3%であったのに対し、2016年にはそれぞれ35.5%、34.7%に伸びている6。
海外直接投資の拡大を踏まえ、世界各国は、投資先国における差別的扱いや収用(国有化も含む)などのリスクから自国の投資家とその投資財産を保護するため、投資協定を締結してきた。投資ルールは、貿易におけるWTO協定のような多国間協定がなく、二国間若しくは地域協定が中心となっている。
世界の投資協定数は大きく増加しており、2016年末時点で2,957件に達している(第Ⅲ-1-2-1図)。国別では、ドイツ、スイス、中国、英国、フランス、エジプトといった国々が100件以上の投資協定を締結している。
第Ⅲ-1-2-1図 世界の投資協定数の推移(UNCTAD 「World Investment Report 2017」から作成)
6 UNCTAD「World Investment Report 2017」
2.投資関連協定の主な規定内容
従来の投資協定は、投資受入国における投資財産の収用や法律の恣意的な運用等のカントリー・リスクから投資家を守り、投資家を保護することを主目的として締結されてきた。こうした内容の協定は「保護型」の投資協定と呼ばれ、投資財産設立後の内国民待遇や最恵国待遇、収用の原則禁止および合法とされる収用の要件と補償額の算定方法、自由な送金、締約国間の紛争処理手続、投資受入国と投資家との間の紛争処理等を主要な内容とする。1990年代に入ると、そのような投資財産保護に加えて、投資設立段階の内国民待遇や最恵国待遇、パフォーマンス要求7の禁止、外資規制強化の禁止や漸進的な自由化の努力義務、透明性確保(法令の公表、相手国からの照会への回答義務等)等を盛り込んだ「自由化型」の投資協定が出てきた(第Ⅲ-1-2-2表)8。
第Ⅲ-1-2-2表 投資関連協定の内容
7 例えば、投資受け入れ国が一定の現地部材(ローカルコンテンツ)比率を満たすことや、製造したものの総量のうち一定の比率を輸出すること等を投資活動に関する条件として要求すること。
8 代表的なものとしてNAFTAの投資章があり、我が国の場合、二国間EPAの投資章や、日韓、日・ベトナム、日・カンボジア、日・ラオス、日・ウズベキスタン、日・ミャンマー投資協定等がこのタイプにあたる。
3.エネルギー憲章条約の主な規定内容
投資関連協定と同じように、国際仲裁への付託を可能とする条約としてエネルギー憲章条約がある。1998年に発効したエネルギー憲章条約は、エネルギー分野における投資の保護及び自由化に関し、一般的な二国間の投資協定と類似の内容(締約国が外国投資家の投資財産に対して内国民待遇(NT)又は最恵国待遇(MFN)のうち有利なものを付与すること、一定の要件を満たさない収用の禁止、送金の自由、紛争解決手続等)について規定している。エネルギー憲章条約の締約国は、2018年2月現在で東欧やEU諸国等48か国及び1国際機関である。なお、ロシア、豪州、ベラルーシ、ノルウェーは署名したものの未批准であり、また、オブザーバー参加にとどまる国及び国際機関等(米国、カナダ、中国、韓国、WTO、OECD、IEA、ASEANなど)も存在する。
4.我が国の投資関連協定を巡る状況
海外に拠点を構える日系企業の数は近年増加してきており、2016年10月時点で71,820拠点を数えるに至った。また、我が国の対外直接投資は2000年時点に比べ、2017年は約3.9倍となり、2005年度以降、第一次所得収支と貿易収支が逆転した。
このように、我が国から海外への投資が一層進んでいる。同時に、新興国を中心に世界の市場が急速な勢いで拡大を続ける中、日本企業や日系企業は、熾烈な海外市場の獲得競争に晒されている。我が国の経済成長をより強固で安定的なものにしていくためには、貿易投資立国としての発展を目指し、世界のビジネス環境をより一層整備していく必要がある。かかる観点から、投資家やその投資財産の保護、規制の透明性向上、機会の拡大等について規定する投資協定及び投資章を含む経済連携協定(EPA)/自由貿易協定(FTA)(以下、投資関連協定)は、投資支援のツールとしての重要性を一層増している。租税条約、社会保障協定と合わせて、国境をまたぐ資本・人・物の移動に係る課題の解決のために重要であり、企業のニーズも高い。
投資関連協定は、海外における我が国投資家の適切な保護を確保するとともに、国内外の市場に跨がる投資環境を整備し、日本企業の海外展開及び対日直接投資を促進する役割が期待されており、日本政府は、他の経済政策と並び、既存協定の改正を含む投資関連協定の締結を一層加速し、投資環境の整備を進めていく方針である。
我が国は、1978年、エジプトとの間で初の投資協定が発効し、以降、これまで重要な経済関係を有するアジア地域の国々を中心に、投資関連協定を締結してきた。現在、45件の投資関連協定に署名し、うち41件が発効している。(2018年5月現在)(第Ⅲ-1-2-3表)。我が国は比較的近年になってから投資関連協定の締結に取り組んできたが、産業界のニーズや相手国の事情に応じながら、新規協定の締結及び既存協定の改正に向けた交渉を一層積極的に進めていく必要がある。
第Ⅲ-1-2-3表 我が国の投資関連協定締結状況
5.投資関連協定を巡る新たな取組(投資関連協定に係るアクションプランの策定)
2016年5月、「投資関連協定の締結促進等投資環境整備に向けたアクションプラン」を策定し、今後は当該プランに基づいて投資関連協定の締結を始めとして、投資環境の整備を促進していくこととなった。その主な内容として、第一に、我が国として、投資関連協定の締結促進に集中的に取り組み、2020年までに、投資関連協定について、100の国・地域を対象に署名・発効することを目指す。第二に、交渉相手国の選定に当たっては、毎年度、我が国から相手国・地域への投資実績と投資拡大の見通し、我が国産業界の要望、我が国外交方針との整合性、相手国・地域のニーズや事情等を総合的に勘案の上、方向性を検討していく。第三に、投資関連協定の締結交渉に当たっては、投資市場への新規参入段階から無差別待遇を要求する「自由化型」の協定を念頭に、高いレベルの質を確保することを不断に追求する。同時に、産業界の具体的なニーズや相手国の事情等に応じながら、スピード感を重視した柔軟な交渉を行う。第四に、我が国は、二国間又は複数国間の投資関連協定の交渉を積極的に進めると同時に、多数国間フォーラムなどにおける投資環境整備に向けた国際的な議論に積極的に貢献していく。第五に、協定を締結するに当たっては、従来からの投資協定の内容のみならず、近年の経済・社会状況の変化も踏まえ、サービスや電子商取引等の分野を含めることも検討するなどして、新たな企業活動にも対応した投資環境を作り上げることにより我が国の経済成長を目指すこと等について盛り込まれている。
6.今後の課題
投資関連協定の規定に関する紛争は、それぞれ一定の条件下で国家対国家の紛争処理手続(SSDS)又は投資家対国家の仲裁手続(ISDS)の対象となる。我が国の投資関連協定におけるSSDSでは、投資関連協定の解釈、適用等に関する締約国間の紛争についての解決手続を規定している。
ISDSは、投資家が投資先国政府の投資関連協定違反により自らの投資財産に損害を受けた場合、ICSID9仲裁規則やUNCITRAL10仲裁規則に基づく国際仲裁に付託することを可能としている。
UNCTADによれば、投資関連協定に基づくISDSの件数(仲裁機関へ案件付託の数)は、1987年の最初の事案11以来、1998年までは累計で14件にとどまっていたものの12、1990年代後半から急増し13、2017年7月末時点で累計817件に上っている。一方、我が国企業が投資仲裁に訴えた事例は、公表されている中では2件14のみである。また、民間の調査15によれば、国際商事仲裁の経験がない日本の大手企業の割合は、8割に上るという結果が出ている。日本企業の現状として、未だ国際投資仲裁、国際商事仲裁が積極的に利用されているとは言い難い状況にある。
投資関連協定に基づく国際仲裁において、仲裁判断は先例として拘束力があるものではないものの、仲裁廷は過去の同様の仲裁判断を参考にする傾向がある。投資関連協定に基づく国際仲裁は2000年以降、急増しており、仲裁判断例が蓄積される一方で、判断の分かれる論点も少なからずある。国際投資仲裁において下された判断は、今後の我が国の投資関連協定交渉戦略に影響を与えうるものである。また、我が国企業が投資先国との紛争解決手段として国際仲裁を積極的に活用できる環境を構築することも今後の課題である16。
国際的な企業活動のルールは固定的なものではなく変動的であり、国際投資仲裁や国際商事仲裁はそのルールが形成されるフィールドとしての意味を持つ。国際ビジネスルール形成に影響を与えていくという観点からも、我が国の学者・実務家が国際投資仲裁や国際商事仲裁に積極的に関与することが望まれる。
国際仲裁の活用においては、仲裁ルール及び仲裁場所の整備も重要である。これまで、シンガポール17と香港がアジアにおける主な仲裁地であったが、近年は韓国も国際仲裁環境の整備に力を入れており、2013年5月には「ソウル国際紛争解決センター」を設立している。これらの国は、仲裁環境の整備を国際的なビジネス拠点であるために不可欠なツールと位置づけ、振興に努めている18。
9 International Centre for Settlement of Investment Disputes(投資紛争解決センター):世界銀行グループの1機関である常設の仲裁機関。所在地はワシントンD.C.。
10 United Nations Commission on International Trade Law(国際連合国際商取引法委員会):所在地はオーストリア(ウィーン)。
11 Asian Agricultural Products Limited対スリランカ政府の事案(ICSID Case No. ARB/87/3)。
12 UNCTAD(2005)“INVESTOR-STATE DISPUTES ARISING FROM INVESTMENT TREATIES: A REVIEW”。
13 1996年、NAFTAにおける「エチル事件」(米国企業がカナダ政府による環境規制がNAFTA上の「収用」に当たるとして提訴。カナダ政府が米国企業に金銭を支払って和解)をきっかけに、投資仲裁に対する関心が高まったとされる。
14 2015年から2016年にかけて、計2社の日本国企業が、スペイン政府による再生可能エネルギー関連制度の変更について、エネルギー憲章条約に基づき、投資紛争解決国際センター(ICSID)に仲裁を申立てたケース。
なお、この他の代表的な日系企業の仲裁事例としては、1998年、我が国の証券会社の在ロンドン子会社が、オランダ法の下で設立された法人を介して買収したチェコの銀行に対してチェコ政府がとった措置に関し、チェコとオランダ間の二国間投資協定に基づき、国連商取引委員会(UNCITRAL)仲裁規則による仲裁に付託したケースがある。
15 日本経済新聞2014年1月20日 16面
16 ISDS条項に関しては、公益が制限されるとの懸念を強調する意見も多く見受けられるが、これらの意見が仲裁判断などに関する正確な理解に基づかないと評価する意見もある。ISDS条項と公益制限論を結びつける議論について、引用されることの多いエチル事件及びメタルクラッド事件の概要を紹介した上で当該議論が一定の問題を有していることを指摘する資料として、日本弁護士連合会ADR(裁判外紛争解決機関)センター国際投資紛争特別部会作成「投資協定仲裁制度(ISDS)を巡る議論に関する報告書」(p. 31-33)参照(なお、当該資料は上記特別部会が日本弁護士連合会内の討議資料として作成したものであり、同連合会としての見解を示すものではない)。
上記資料では「二つの事件を精察すればわかるように、ISDS条項、あるいは、これを含む投資保護協定それ自体は、投資家の利益を無条件に公益に優先させるようなことは何ら目的としていない。ただ、前者の事件では、環境保護を達成するための規制手段が内外の事業者に差別的なものであったため、後者の事件では、特に国内法上で権限を与えられていない機関が規制を行ってしまったため、投資保護協定との関係で問題が発生してしまったのである。したがって、これらの二つの事件の特殊性を無視して、事件の最終的な結末のみからISDS条項を公益制限論に結び付けてしまう議論には、一定の問題があると言えるであろう。」との分析が行われている。
17 シンガポールは2015年1月に、シンガポール国際商事裁判所(SICC)を設立した。SICCはシンガポールの裁判所として開設されたものであるが、その審理手続は国際仲裁に類似した特徴を有している(外国の裁判官による訴訟指揮が可能、外国法弁護士による訴訟代理が一定範囲で許容されている、証拠調べに関するルールが柔軟に適用されうる等。)。「シンガポール国際商事裁判所(SICC)の創設及び関連する諸問題(上)」(国際商事法務Vol 43, No. 10, 2015 p. 1471-1479)参照
18 このような取組もあり、韓国における仲裁件数は増加傾向にある。