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第2章 グローバリゼーションの過去・現在・未来

第1章において、新型コロナウイルスの感染拡大に伴うフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションの制限という本質を踏まえて、人や物、資金、アイデア(技術やデータ)の交流という観点から、コロナショックが明らかにした世界経済の構造を分析した。

人の交流が拡大するグローバリゼーションの中で新型コロナウイルスは感染が拡大したが、これまでグローバリゼーションの進展の中で、人や物、資金、アイデア(技術やデータ)の交流が行われることによって、世界は発展を遂げてきた。

本章においては、そのグローバリゼーションの展開をアンバンドリングという概念から捉え直し、グローバリゼーションの過去・現在を踏まえ、未来を見据えていく。また、このグローバリゼーションの中で、国家の役割も変遷してきたが、現在の新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、国家の役割にも改めて注目が当たり、現在のグローバリゼーションに対応した国家のあり方が期待されていることを議論する。

さらに、グローバリゼーションの変化の中で、近年、日本は経済連携協定網も相まって、アジアを中心としたサプライチェーン・ネットワーク構築と対外直接投資が拡大する中で、貿易立国から投資立国へと変貌を遂げていることを示す。

一方で、世界の持続可能性という課題への対処の重要性も浮かび上がっている。また、グローバリゼーションの未来を見据えれば、デジタル化や人への投資がさらに求められる時代となることが予想される。このグローバリゼーションの未来への変化の過程において、新型コロナウイルスの感染拡大という危機が発生した。この危機はフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションの制限を伴うことで、人の交流のあり方に再検討を促すものであり、日本としても新型コロナウイルスの感染拡大という危機を機会と捉え、人の交流のあり方の進化に向けた投資を行うことが求められる。

第1節 3つのアンバンドリングから見るグローバリゼーションの過去・現在・未来

1.3つのアンバンドリング

まず始めに、グローバリゼーションの進展を、技術進歩の観点から分析していく。その技術進歩の切り口として、アンバンドリング(unbundling, 分離)という概念を用いて、産業革命以後の世界経済の発展を読み解こう60

グローバリゼーション以前の時代においては、風力を活用した帆船による海上での移動・輸送や家畜を活用した陸上での移動・輸送が行われていた。この時代には、最短距離以外の輸送で利益を上げられるものはほとんどなく、生産地と消費地は近接したものであった。つまり、距離が制約となり、物やアイデア・人の交流は主に地域内で完結していた。

グローバリゼーションは、この制約を克服するものと考えることができる。制約は、物を動かすコストだけではなく、アイデアを動かすコスト、人を動かすコストの三つがあり、それぞれが物・アイデア・人の交流の障害となっていた。

この三つの制約を克服する過程がグローバリゼーションの歴史であり、その制約を克服する技術の進歩がアンバンドリングを促してきた。この過程は一度に全てが進展したわけではなく、順次、異なる制約が克服されてきた。まず、輸送コストが低下し、物を動かす制約が克服された。その次に、通信コストが大幅に低下し、アイデアを動かす制約が克服された。そして、フェイス・トゥ・フェイスのコストを克服する技術が発展し、世界は人を動かす制約が克服されるという新たな局面を迎えている。

60 Richard Baldwin, 2016

(1)第1のアンバンドリング:1820年-1990年

グローバリゼーション以前の世界は、距離という制約により、世界経済はいわば地域単位の経済のかたまりであった。この状況は、物資の移動コストが低下したときに変わり始めた。これが第1のアンバンドリングである。米国を例に取ると、第Ⅱ-2-1-1図に見るように、移動コストは19世紀後半に鉄道貨物コストが劇的に低下した局面があり、このような輸送革命が第1のアンバンドリングを促進した。

第Ⅱ-2-1-1図 米国における移動コストの推移

移動という観点から見ると、産業革命は移動手段を変革するものであった。19世紀には蒸気船や鉄道を主役とする輸送革命が起こり、輸送時間を短縮し、輸送量を増加させ、貨物を効率的に運び、国境をまたいで生産と消費を分離させることが可能となった。この裁定取引が商品について当てはめられる場合、「貿易」と呼ばれる。これが、第1のアンバンドリングであり、農業から繊維業や鉄鋼業等幅広い産業において比較優位に基づく国際分業が本格化することとなった。国際貿易としては、原材料や完成品の貿易が盛んになった(第Ⅱ-2-1-2図)。

第Ⅱ-2-1-2図 第1のアンバンドリング

国際輸送が容易になったことで、人々が遠方の商品を購入するようになった。中所得層のイギリス人が、中国の葉で淹れた紅茶とジャマイカ産の砂糖で甘くした紅茶を飲みながら、アメリカ産の小麦で焼いたパンをインド綿のテーブルクロスの上で食べることができるようになったことをリチャード・ボールドウィンは紹介している。このプロセスが開始されたものが、1820年ごろである。

物を運ぶコストが大幅に低下した一方で、アイデアや人を移動させるためのコストについては低下があまり見られなかった。そして、物の移動コストとアイデア・人の移動コストの低下の差により、今日の先進国と途上国との間における発展の差を生み出すこととなった。

この時代に市場は世界的に拡大したが、産業は局所的に集積することとなり、産業は現在の先進国に集中していった。工業化は先進国においてイノベーションを促進したものの、アイデアの移動には大きなコストが存在したため、イノベーションは先進国に留まった。その結果、近代的なイノベーションを原動力とした経済成長は現在の先進国でより早く始まることとなった。それが、「大分岐」(great divergence)とも呼ばれるものであり、貿易コストの低さとコミュニケーションのコストの高さの組み合わせによって、今日の先進国と途上国との発展の差を生み出すものでもあった。

(2)第2のアンバンドリング:1990年-2015年

1990年頃からは、情報通信技術の発展によって、これとは異なる裁定が可能となった。アイデアの移動が可能となり、グローバリゼーションは次の段階に入った。工場の国際的な分離を伴うものであり、生産工程のタスクをひとかたまりのものとして分割し、タスク単位の国際分業が始まった。先進国の企業は、遠隔地からであっても、生産技術や経営ノウハウを新興・途上国へ持ち込み、効率的な生産を追求・実現するようになった。

それを可能としたものは、1990年以降の通信コストの低下である。この通信コストの低下は、アイデア(技術、データ等)の移動コストを低下させることになった。これが第2のアンバンドリングである。第Ⅱ-2-1-3図のように、1990年代以降に通信コストの低下が見られ、これが第2のアンバンドリングの契機となった。

第Ⅱ-2-1-3図 米国における通信コストの推移

通信コストが抜本的に改善されたことで、複雑な活動を遠隔地で調整することが可能になった。そこで、物と同様に工場が国境を越えるようになり、賃金の差に関する裁定から、先進国の技術と途上国の労働が結びつくようになった。このオフショアリングが実現可能になると、第1のアンバンドリングの間に生じていた先進国と途上国の賃金の格差が縮小するようになった。これが第2のアンバンドリング、すなわち生産段階の地理的分離であり、部品・中間財が国際貿易の大きな部分を占めるようになった(第Ⅱ-2-1-4図)。

第Ⅱ-2-1-4図 第2のアンバンドリング

生産段階の低賃金国へのオフショアリングによるグローバリゼーションの変化としては、雇用にとどまらず、生産段階とともにマーケティング、経営、技術のノウハウを先進国の企業が途上国に移すことにあった。その結果、グローバル・バリュー・チェーンが生まれ、アイデアが国境を越えて移動することとなった。産業競争力は、国単位よりも国際的な生産ネットワークによって定義されるようになった。

ただし、先進国の企業がこのアイデアを保有しており、先進国は途上国に一般的にアイデアを共有するわけではない。つまり、オフショアリングされたアイデアは、生産ネットワークの範囲内に主に留まるものとなる。これが、製造業の発展が少数の途上国に留まる理由である。

この段階におけるグローバリゼーションの制約は、物やアイデアではなく、人の移動のコストにあるとボールドウィンは見る。飛行機の運賃は低下したものの、人の移動に係るコストは上昇し続けている。そこで、国際的な生産ネットワークの施設間の移動には人を要するため、オフショアリング企業はいくつかの場所に生産を集中させる傾向がある。人の移動コストを節約するために、これらの場所はG7の産業大国、特にドイツ、日本、米国に近接した場となる傾向がある。第1章第2節において地域における生産ネットワークのつながりとしても見られたものである。

この第2のアンバンドリングが工業化に与える影響は地理的な集中も見られたが、途上国全体に経済発展の波及効果が見られ、「大いなる収斂」(great convergence)ともいわれるほどの広範な現象となった。第Ⅱ-2-1-5図のように、先進国では経済成長率が低下をしていたが、新興・途上国では90年代以降急速な成長を示し、先進国と新興・途上国の経済水準には収斂が見られた。

第Ⅱ-2-1-5図 世界経済の大いなる収斂(先進国、新興・途上国の経済成長率)

このように、国際的な生産体制の構築は世界の発展に寄与するものであったが、第2のアンバンドリングで構築されたサプライチェーン・ネットワークは、感染症、金融危機や自然災害においては、供給ショックを即座に伝播させるというリスクも内在するものであった。一つの部品の供給停止、物流網の遮断、人の移動の停滞に伴ってサプライチェーンの途絶に繋がることも見られた。

(3)第3のアンバンドリング:2015年-未来

更なる情報通信技術の発展によって、人の移動コスト(フェイス・トゥ・フェイス・コスト)が低下しており、第3のアンバンドリングが始まりつつある。デジタル技術の進展が加速したことを背景に、国境を越えたバーチャルな人の移動が可能となり、個人単位でのタスクの分離が起こるものであり、遠隔地に立地する人の間でサービス分野も含めて分業される時代が始まりつつある。

歴史的に、サービス業や専門職では直接顔を合わせる必要があったものの、デジタル技術はサービス部門においても国境を越えた結びつきを深めつつある。個人から労働サービスが物理的にアンバンドリングされることを可能とすることが予想される。そこで、先進国の専門家と途上国の労働者が遠隔で結びつく「バーチャル移民」がサービス分野で発生すると予想されており、リチャード・ボールドウィンはグローバリゼーションとロボティクスを合わせた「グロボティクス」という単語を考案し、新しいグローバリゼーションのあり方について予測を示している。それは、先進国の多くの下働き的な仕事から専門的な仕事までを、途上国の労働者や専門家が行うことができるようになるというものである。また、反対に先進国の専門家は、自分の才能をより広範囲に応用できるようになるものでもある。例えば、日本の技術者が東京から南アフリカに設置した高度なロボットを遠隔操作することで、現地の日本製資本設備を修理することができるようになることも考えられるのである(第Ⅱ-2-1-6図)。

第Ⅱ-2-1-6図 第3のアンバンドリング

このように、グローバリゼーションにおける第3のアンバンドリングは、デジタル技術を活用しながら、ある国の労働者が別の国でサービスを提供することになり、労働サービスを労働者から物理的にアンバンドリングすることを可能とすると予想されている。この第3のアンバンドリングの過程で新型コロナウイルスの感染拡大が発生し、経済、社会のデジタル化が加速することとなった。世界における第3のアンバンドリングに向けた移行については、第5節において分析する。

このように、技術の進歩がグローバリゼーションを進め、また、人、物、資金、アイデアの交流を促すことで世界経済は発展してきた。

2.グローバリゼーションの歴史

このように、人類は古くから、技術や輸送手段の進歩によって、離れた場に住み、物を生産し、交易を行ってきた。産業革命以降の19世紀から特に世界的な統合が始まったが、グローバリゼーションの最初の大きな流れとして、蒸気船、鉄道、電信その他の技術や移動の革命によりグローバリゼーションは推進され、また、各国・地域の経済協力によっても推進された。

その一方で、第一次世界大戦、第一世界大戦後の保護主義、大恐慌、第二次世界大戦と続く大惨事の中で、グローバリゼーションの流れは次第に弱まった。第二次世界大戦後、ブレトンウッズ体制のもとで国際貿易と投資が再び活発化した。その後、世界はつながりを増してきたが、多国間の枠組みへの不信に直面することも特に近年見られることが多くなっている。この19世紀以降のグローバリゼーションの歴史を以下で振り返っていく61

19世紀:技術の発展と産業化

蒸気機関や鉄道、電信という技術の発展、移動革命が工業化と大量生産に加えて、世界的な商業を加速させた。また、この時期には急速な人口の増加が見られ、財とサービスの需要を増加させた。

1816年に英国が正式に金本位制を採用した最初の国となった。この金本位制により、通貨が特定の量の金に交換可能となった。これにより、為替レートが安定し、貿易と投資が促進された。そして、他の国も英国に続き、金本位制を採用した。

1900年から1950年:新しい交通手段

飛行機や自動車といった新しい交通手段が生み出され、経済・社会の結びつきを更に強めた。

1914年から1918年:第一次世界大戦

この第一次世界大戦により、世界経済と貿易は大打撃を受けることとなった。敗北したドイツは巨額の賠償金を支払うこととなった。

1920年代:金本位制と経済ブーム

米国などは保護主義的な政策とともに金本位制に復帰。米国経済は、「狂騒の20年代」と呼ばれ、大量生産に刺激される好況を享受した。ドイツは第一次世界大戦の賠償金の支払いに苦しみ、戦争債務の支払いのために紙幣を発行し、ハイパーインフレを引き起こした。各国はドイツの賠償金支払いの遅れに対して報復を行った。

1929年から1939年:大恐慌と保護主義

1929年の米国の株式市場の暴落は大恐慌の引き金となった。多くの国が金本位制を捨て、貿易上の目的のために通貨の切り下げを行った。米国は1930年スムート・ホーリー関税法を採択。他国は米国製品に自国の関税をかけて報復し、世界的な景気後退が深刻化した。また、地域貿易ブロックが形成されていった。

1939年から1945年:第二次世界大戦

世界の分断から発生した第二次世界大戦は世界に大きな被害をもたらした。

1944年:ブレトンウッズ会議

その第二次世界大戦の最中に、米国と連合国は、貿易の自由化と経済成長の回復のために、戦後に向けた新たなルールと制度を設定した。ドルと金のペッグは、通貨の新しい世界的な枠組みとなった。ソ連は批准せず、冷戦(1945年から91年)は、西側の貿易秩序とソ連が分断されることとなった。

1948年:GATT体制(関税と貿易に関する一般協定)

世界初の多角的貿易協定は、戦後の自由貿易時代を支えるものとなった。

1950年代から1960年代:コンピューターとケネディラウンド

この時期にはコンピューターが発展した。また、経済協力の枠組みについては、GATTの「ケネディ・ラウンド」において、貿易自由化を加速させた。

1970年代:固定相場制の終焉

米国のインフレと貿易不均衡により、ニクソン政権は外国政府に対するドルの金兌換を停止せざるを得なくなった。その結果、各国は変動相場制を採用。また、石油輸出国機構(OPEC)によるエネルギー価格の高騰、二度のオイルショックは世界経済に高いインフレと失業をもたらした。

1980年代:債務危機、自由市場経済、プラザ合意

中南米で債務危機が発生し、国際通貨基金(IMF)をはじめとする国際機関は中南米諸国に厳しい緊縮財政と自由市場原則を用いたものの、反発を招いた。欧米では、レーガン大統領とサッチャー英首相は自由市場経済を掲げる。米国の貿易赤字が拡大し、為替協調介入であるプラザ合意につながった。

1989年から1991年:冷戦の終焉

ソ連の崩壊は、国際機関における協力を拡大し、貿易と金融の統合を促進するきっかけとなった。

1990年代:インターネットが世界を結びつける

インターネットは、世界の商取引を変化させ、また、強力な多国籍企業が世界経済への影響力を増している。

1993年:EUの発足

欧州連合(EU)の発足は、1950年代に発展し始めた単一市場を強化し、1999年のユーロ通貨の創設につながった。

1995年:WTOの発足

GATTに代わって、世界貿易機関(WTO)が発足し、ルールによる近代的な貿易システムが確立された。

1997年:アジア通貨危機

アジア通貨危機が発生し、国際機関への不満の高まりも見られた。

2001年:中国のWTO加盟

中国がWTOに加盟し、世界最大の途上国となる。

2008年:世界金融危機

国際的な銀行破綻と欧州債務危機は、世界恐慌以来最悪の世界不況となった。世界の金融ネットワークによりショックの波及と、一時的ではあるものの貿易も減少し、グローバリゼーションへの懸念も見られた。

2016年から:多極的な枠組みからの離反

英国はEU からの脱退を決める国民投票を行う。2020年1月末に英国によるEUからの離脱が正式に実現した。米国は環太平洋パートナーシップ協定(TPP)から離脱し、NAFTAをUSMCAと改定、WTOのルールは米国にとって不公平だと批判し、2019年12月以降に上級委員会が定足数に満たない状況となり機能停止が生じることとなった。中国との間で貿易摩擦も見られている(第Ⅱ-2-1-7図)。

第Ⅱ-2-1-7図 グローバリゼーションの歴史

61 Peterson Institute for International Ecoonomics, “What is globalization?”を参考に作成。

3.国家の役割、多国間の枠組みの役割の変遷

このようなアンバンドリング、グローバリゼーションの歴史の中で、国家の役割も変遷をしてきた。

第1のアンバンドリングにおいて、グローバリゼーションは比較優位を活用するものであり、比較優位にある財を輸出すると共に比較劣位にある財を輸入することで貿易による利益を享受してきた。そして、主に現代の先進国となる国々の産業競争力を押し上げるものであった。物品の貿易コストの低下は、製造業の革新と生産性の向上を促進し、新技術は開発した国の内部に留まる傾向があるため、国家単位のグローバリゼーションであったとも言える。

この第1のアンバンドリングの進展には国家も重要な役割を果たした。英国は1815年から関税の引き下げに向けて動き出し、最終的には1846年に穀物法の廃止により自由貿易を加速した。欧州の大陸諸国は、自由貿易を取り入れた英国の成功にならい、自由貿易政策が花開いた。その後、ドイツを統一したビスマルクは高率の関税を復活させ、大陸の関税は1879年から1914年までの間に2倍から3倍に増加した。これは、「幼児産業保護」であり、英国の産業競争力から大陸の製造業を保護することを意図していた。米国は1850年代に関税自由主義に傾倒したが、すぐに大陸ヨーロッパとともに保護主義的な姿勢に戻った。

このグローバリゼーションは二度の世界大戦によって、阻害されることとなった。第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦時中、貿易コストは急上昇し、関税や輸入管理も導入された。第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約の制定の過程では、米国のウッドロー・ウィルソン大統領が14のポイントの一つとして自由貿易を掲げていたが、1910年代後半から1920年代にかけて欧州などで保護主義が定着していった。その間に、英国の覇権は失われ、世界秩序にはそれに代わる覇権は存在しなかった。そして、1930年の米国の関税引き上げにより、貿易は大幅に縮小し、1930年代後半にはブロック経済圏が形成された。つまり、以上の時期は自由主義国家である英国が自由貿易を主導してきた中で、二度の世界大戦や1920年代末からの大恐慌を通じて、グローバリゼーションや国家の役割が見直されていく過程でもあった。

大恐慌による大幅な景気後退に対する反省もあり、英国が1942年にベヴァリッジ報告を作成し、「福祉国家」という概念が導入された。福祉国家は国家による社会保険や所得補償など様々な範囲を含むものではあるが、概念としての福祉国家が先進国で定着することとなった62。第二次世界大戦の戦後、先進国は高度経済成長を実現し、その税収で福祉国家の充実を図ることが可能でもあった。

同様に、貿易面でも第二次世界大戦の終結前から、貿易自由化への動きが見られていた。米国議会は1934年に互恵的貿易協定法を可決した。この法律は、米国を一方的な関税設定国から相互関税削減国へと転換させ、最恵国という概念を作り、第二次世界大戦後に世界貿易ガバナンスの礎となったものである。最恵国という概念は、どの相手国でも二国間で行った関税削減は、自動的にすべての相手国にも適用されなければならないというものである。そして、第二次世界大戦後のもう一つの特徴は、世界貿易を支えるグローバル・ガバナンスが構築されたことである。第二次世界大戦前には世界貿易は国際的な制度的枠組みが存在しなかったが、国際的なガバナンスの空白を回避するためにブレトンウッズ体制が連合国を中心として構築され、その一つが、関税と貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and Trade, GATT)であった。ブレトンウッズ体制の他の枠組みとしてIMFや世界銀行の設立、ドルと金の兌換性と固定相場制といった国際協調の枠組みが作られ、世界経済の安定が図られ、マクロ経済政策としてもケインズ政策が各国で採用されていった。

しかし、1971年のニクソンショックを契機に為替は変動相場制に移行し、1973年のオイルショックを受けて、米国などにおいてスタグフレーションを経験することとなった。そして、高度成長から安定成長に移行する中で、福祉政策の実現のもととなる税収が落ち込み、ケインズ型マクロ政策が見直され、英国のサッチャー政権や米国のレーガン政権では「小さな政府」が標榜されることとなった。

第2のアンバンドリングの波の中で、国家の役割は更に変化することとなった。1940年代から1980年代にかけて、先進国平均で関税を5%以下に引き下げた。しかし、途上国は1980年代までは高率の関税を課していた。第2のアンバンドリング以前は双方向貿易の多くは先進国間で行われていたが、第2のアンバンドリングにより先進国と途上国が結びつくようになると、途上国は自由な貿易と投資を推進するようになり、財、サービス、投資の国境を越える障壁を低下させていった。それまでは高率の関税が工業活動に親和的であったが、第2のアンバンドリングにより構築される国境を越えた生産体制は、ある部品を輸入して加工後に再輸出するとき、輸入された部品にかかる関税は輸入国の競争力を低下させるものであった。これが途上国における高関税を抑制することとなった。

その一方で、多国籍企業が存在感を強める中で、企業が国を選ぶ時代に入ったという考え方が普及した。こうした中で、先進国としても投資円滑化を推進することや、サプライチェーンに関してもグローバル企業が最も効率的な生産拠点を整備することや自由な立地選択をサポートすることが国家の役割として重視されることとなった。1995年のWTO成立とともに、透明性の高いWTOの紛争解決(DSP、Dispute Settlement Procedures)に対する期待も強まった。2001年には中国がWTOに加盟したことにより、国際分業は一段と進展した。このような国際的な生産ネットワークを構築する上でも、物品及びサービス貿易の自由化に加え、貿易以外の分野として人の移動や投資、政府調達、二国間協力等を含めて締結される包括的な協定である経済連携協定や投資協定は重要な役割を果たしてきた。

第3のアンバンドリングにおいては、第四次産業革命が進む中で、タスクの統合と自動化に直面し、製造業ではコンピューター化と自動化が進むことが予測されている。それは、製造段階でのロボットの使用を大幅に超えるものであり、新製品の設計やテスト、流通やアフターサービスのコンピューター化にもつながるものである。そこでは、コスト面での差を活用するオフショアリングよりも、企業レベルの優秀性の差に基づく競争力が生まれていくことが予測されるものである。

その中で、雇用の二極化の進行がリスクとして存在している。先進国では国内での格差が見られているが、ITの進展は、一方では高度なスキルとハイテク機械を必要とする職業と、他方ではルーティンの職業の二極化を進めるものであった。定型的でスキルの低い、反復的な作業がコンピューター化され自動化されやすくなっているため、IT化が進むと更に国内の格差が進行し、同時に、高度な生産機械の使用が増えることで、残る仕事はスキル、資本、技術の集約的なものになる。これは、スキルの内容の面での二極化につながる63

サービス業においても、これまではサービスの提供と消費の同時性が特徴的であったが、第3のアンバンドリングはサービスを物理的に遠隔化する。そこで、先進国の労働者は、遠隔地で労働サービスを提供する途上国の労働者と競争に陥る可能性がある。つまり、AI(Artificial Intelligence)にとどまらず、RI(Remote Intelligence)の影響も考慮に入れることが求められる。

このように、デジタル化が進み、個人単位での国境を越えたバーチャルな移動、AIや機械との競争という機会と危機の中で、国家の役割についても変化がより求められるであろう。

デジタル化の基盤となる投資が求められる中で、ネットワーク効果を有する投資は外部経済を有するものであり、そのインフラの投資について国家の役割が重要になる。それは、立地競争力にとどまらず、新しい競争力としてのデジタル化について、第4次産業革命でのロボット活用、無人化、非接触型経済モデルをすることも国家の役割となりえることを意味するものであろう。これは、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、第1章第6節において議論をしたコロナテックの急速な社会実装が進む中、国家と企業の役割が補完し合うものとなる可能性を示している。

コロナショックのインプリケーションの一つは、生活保障としての物資の調達や供給体制も含めた国家の役割の見直しであった。このような役割は企業のみでは対応しきれず、また、個人がAI・RIとの競争が激化する中で、人を中心に据えた国家の役割の重要性が再認識されている。つまり、イノベーションや新事業創出、国をまたいだ労働に対する保障などが国家の役割としてより重要なものとなる。その際には、デジタル化の活用のできる業種にはよりデジタル化を強化しつつ、デジタルにそぐわないものについてもデジタル・デバイドを避ける等の個人単位で生活の安全を保障しつつ、生産性を向上させる取り組みが重要となる。

そして、電子商取引や電子決済、データのフリーフローといった制度環境を確保し、その基盤として消費者保護、個人情報保護などを行うことが国家の役割としてより重要なものとなることが期待される。

62 エスピン・アンデルセンは福祉国家を社会民主主義、自由主義、保守主義の3つのレジームに分けて類型化している(『福祉資本主義の三つの世界――比較福祉国家の理論と動態』)。

63 David Autor et al. 2006. “The Polarization of the U.S. Labor Market”はコンピューターが補完となる場合と代替になる場合の二極化を議論する。

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