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- 第2部 第2章 第1節 ビジネスモデルの変革とそれを支える各国の政策
第2章 世界で稼ぐ力を支える各国の立地環境とグローバル経営力の強化に向けて
第1節 ビジネスモデルの変革とそれを支える各国の政策
1.ドイツ
(1)ドイツの経済状況
ユーロ圏経済の回復が進まない中、ドイツは、実質GDPの水準がリーマン・ショック以前を大きく上回っている。東西ドイツ統一後最も低い水準にある失業率を背景に、個人消費は2014年は第4四半期までプラスを維持、そして輸出は同国経済をけん引するなど、ユーロ圏の中で引き続き独り勝ちの状況にある。
一方で好調に見えるドイツも、日本と同様に構造的な課題も抱えている。
まず、新興国の追い上げ等、グローバル競争の激化は、輸出が好調と言われるドイツの製造業にも影響を与えている。
世界輸出シェアは、中国の顕著な伸びを背景に低下している(第Ⅱ-2-1-1-2図)。
第Ⅱ-2-1-1-1図 ドイツの実質GDP成長率
第Ⅱ-2-1-1-2図 主要輸出国のシェア推移(対世界)
労働コストは足下で上昇している上、2015年以降段階的に導入されている全国的な最低賃金制度を背景に、今後更に上昇する可能性がある。一方で、輸出物価指数の対生産者物価比率を見ると、2000年代半ばより上昇傾向にあるものの、1990年代の水準にはまだ戻っていない(第Ⅱ-2-1-1-3図)。
第Ⅱ-2-1-1-3図 輸出物価(全世界向け)÷生産者物価の推移
つまり、価格競争によらずに輸出を行う企業が多いとされるドイツも、輸出価格が伸び悩む中、国内生産を持続させるため、生産コストを抑制する必要が生じていると指摘できる。
第Ⅱ-2-1-1-4図 単位あたり労働コストの推移
次に、2024年には25%以上が高齢者となることが予測されているなど少子高齢化が進んでおり、内需の伸びは期待できないことから、引き続き、国内にとどまらず国際展開を促進することが必要とされている(第Ⅱ-2-1-1-5図)。
第Ⅱ-2-1-1-5図 主要国の高齢化率(予測)
第Ⅱ-2-1-1-6図 主要国の輸出比率(対GDP)
また、少子高齢化による将来の労働力不足の問題がある。既に高度技能者の不足が問題化しているが、今後、更にその傾向に拍車がかかる可能性が高い(第Ⅱ-2-1-1-7図、第Ⅱ-2-1-1-8図)。
第Ⅱ-2-1-1-7図 主要国の生産年齢人口推移(予測)
第Ⅱ-2-1-1-8図 ドイツ企業にとっての課題(アンケート調査)
最後に、エネルギーの効率化が大きな課題である。同国は2011年に2022年までに脱原発を完了することを閣議決定している。昨年からの石油価格の下落によりエネルギーコストは大きく低下しているものの、原子力から他のエネルギーへの切り替えは、エネルギー価格を押し上げる要因となる。企業の生産コストを抑制するため、引き続き省エネルギーの促進が必要とされている(第Ⅱ-2-1-1-9図)。
第Ⅱ-2-1-1-9図 主要国の産業用エネルギー価格
(2)Industrie 4.0への取り組み
〈概要〉
上記の構造的な問題を背景として、ドイツの産業界と政府が一体となって取組んでいるのがIndustrie 4.0である。
ドイツのIndustrie 4.0(第四次産業革命)145とは、情報通信技術と生産技術の統合によって、生産をデジタル化したスマートファクトリーを、中小企業を含めた国内企業に浸透させようとする構想である146。
生産プロセスの上流から下流までをネットワーク化し、また注文から出荷までリアルタイムで管理される複数のバリューネットワークも結ばれる。具体的には、産業機械や物流・生産設備のネットワーク化、機器同士の通信による生産調整の自動化などが実現し、センサー技術により製造中の製品を個別に認識し、現在の状態や完成までの製造プロセスを容易に把握できるようになる。
生産プロセスの上流から下流までをネットワーク化する技術は、先進国の一部大手企業では既に導入され、その生産効率向上に役立てられているが、これを、企業内のみならず、他の企業を含めてサプライチェーンをネットワーク化しようとする点、また中小企業にも浸透させることを重視している点が特徴と言える。
〈目的〉
サプライチェーンのネットワーク化や新しい製造プロセスの中小企業への普及は、データセキュリティやITインフラの整備等乗り越えるべき大きな課題を抱えている。それでも、その構想の実現に向けて様々なレベルの取り組みが進められているのは、Industrie 4.0が、同国の官民の明確な問題意識に基づいて打ち出されていることが背景にあると考えられる。
ドイツでは、自国が輸出に強みを有する一方で、グローバル競争の中で新興国の力が増し、また米国のIT企業等がソフトウェアサービスの強みを生かして製造業に進出する動きが見られる中、引き続きドイツの製造業が競争力を維持するためには、何らかの対策を講じる必要がある、という危機意識が明確である。Industrie 4.0は、それに対する必要な解決策であり、ドイツの製造業の生産拠点や研究開発拠点としての優位性を確保しつつ、ドイツの基幹産業である製造業の国際競争力を強化することが期待されている147。
連邦政府の文書においては、Industrie 4.0は、2014年8月の「第3次新ハイテク戦略」の、国が行う研究開発の優先課題のうち「デジタル経済・社会」に含まれ、また同戦略の主な要素のうち「産業界のイノベーション」の中で例示されている。同戦略は、その目標の一つとして、引き続きドイツが世界のイノベーションリーダーの地位を確保し続け、創造的なアイデアを具体的なイノベーションとして迅速に実現することを掲げている。同時に、イノベーションは産業国家・輸出国家であるドイツの従来の地位を一層強化するとともに、持続可能な都市の発展、環境にやさしいエネルギー、個人個人に適した医療、デジタル社会などの新たな課題への解決にも貢献するものであるとしている。
〈主な要素~①標準化〉
産業界が発表した「Industrie 4.0実現に向けた提言148」では優先分野として8つのテーマが挙げられているが、この中で最も進行していると言われ、対外的にロードマップが公表されているのは、「情報ネットワークの標準化と参照アーキテクチャ」149である。
2013年にドイツ電気技術者協会(VDE)が「インダストリー4.0」の標準化ロードマップ(Die deutsche Normungs - Roadmap Industrie 4.0)を発表し、Industrie 4.0の実現のために重要な領域として、特にオートメーション技術とIT技術を中心に標準化についての提言を行った。技術的な中立性を保ち、生産現場におけるあらゆるシステム、サービスに搭載して利用可能とするような、参照アーキテクチャの標準化については、2014年6月以降、国際標準化機関において検討が本格化している150。
また、具体的なファクトリーオートメーション技術として、異なるメーカーの生産モジュールから成る生産ラインの研究開発が行われている。通常、生産ラインにおいて異なるメーカーの工作機械を入れ替えることは簡単ではないが、必要な部分を標準化することによって、工作機械の入れ替えを、電源プラグを抜き差しするように簡単に行うことができるようにする、というものである。これについては、企業主体の組織であるスマートファクトリーKL(後掲)や産業クラスターの一つであるit’s OWL(Intelligent Technical System Ost Westfalen Lippe、後掲)等が、それぞれにIndustrie 4.0の推進を掲げて研究開発を進めている。
〈主な要素~②中小企業の支援〉
Industrie 4.0の狙いの一つは、グローバル競争においてドイツの競争力を維持するため、ドイツ国内の中小企業の生産効率を向上させることである。そのため、中小企業が参加しやすい条件を整えることが重要である。
新しい製造システムに対する先行的な投資は中小企業にとってリスクが大きいことから、中小企業に提供することを念頭に、ファクトリーオートメーション技術を開発する様々な政府プロジェクトが実施されている。例えば、Autonomik(Autonomous, simulation-based systems for small and medium-sized enterprises)は、中小企業向けの、自動化を進める様々なアプリケーションを開発する政府プロジェクトである151。また、it’s OWLという産業クラスターでは、フラウンホーファー研究機構と協力して、中小企業への導入を念頭においたファクトリーオートメーション技術を開発している。
この他にも、中小企業を対象に、革新的な技術の普及・啓蒙活動が、州政府や民間の経済団体等、様々な組織によって積極的に実施されている。
〈主な要素~③データセキュリティの確保〉
インターネットによって工場と工場をつなぐことは、従来工場に留まっていたデータを外部に開放することにつながるが、自社の技術情報やデータの流出は、高い技術力を誇るドイツ企業にとって致命的であり、国内企業のデジタル化を促進するには、信頼性の高いデータセキュリティの確保が必須である。
2014年8月に発表されたデジタルアジェンダ(2014~2017年)においても、新しいシステムの普及のために、データセキュリティの確保が必要であることが強調されている。
145 第一次産業革命:18世紀の蒸気機関による機械的な生産設備の導入。第二次産業革命:19世紀後半の電気による大量生産。第三次産業革命(ドイツ政府見解):1970年代のコンピューターによる生産の制御。(澤田(2015))
146 定義は定まっていない。
147 Industrie 4.0は、2011年11月にドイツ政府による高度技術戦略「ハイテク戦略2020行動計画」のイニシアティブとして、情報通信技術の製造分野への統合を目指す戦略として採択された。(内閣府総合科学技術・イノベーション会議(2015))
「ハイテク戦略2020」(2010年策定)を具体化するために2012年に閣議決定された「未来プロジェクト」においては、10件の対象プロジェクトクトの一つとしてIndustrie 4.0に2億ユーロの予算が割り当てられた。(JETRO (2013))
148 2013年4月、ドイツ工学アカデミー(AcaTech)等を中心とするIndustrie 4.0作業グループが「Industrie 4.0実現に向けた提言」を発表し、同時に、製造業の主要業界団体であるドイツ機械工業連盟(VDMA)、ドイツIT・通信・ニューメディア産業連合会(BITKOM)、ドイツ電気・電子工業連盟(ZVEI)などが協力して、同勧告内容を実施するための「Industrie 4.0プラットフォーム」が設立された。その後、同プラットフォームが、上記提言で指定された8優先分野の研究開発ロードマップ作成を行っている。(JETRO(2014))
149 複数の工場をネットワークで結ぶための、相互にシームレスな仕様や実用段階の規則を「参照アーキテクチャ」と総称する。
150 澤田(2015)。
151 Autonomikは2010~2013年に実施され、その後、関連するプロジェクトと併せてAutonomik für Industrie 4.0に引き継がれている。(ドイツ連邦経済技術省ウェブサイト(http://www.autonomik.de/en/index.php)、及びFederal ministry for Economic Affairs and Energy, Germany (2014))
(3) Industrie 4.0の背景となるインフラ・政策
Industrie 4.0においては、設計・開発・生産等を一体化するITのプラットフォームや3Dプリンタ、そしてレーザー技術といった先端の技術を国内の多くの製造業企業に普及させること、また、多様な企業の立場を踏まえた新たなビジネスモデルを打ち出すことが必要とされている。Industrie 4.0実現への道のりは途上であるものの、ドイツに存在する様々な要素が、こうした課題に対して「国全体で」取り組むことを可能にしていると考える。ここでは、中小企業のイノベーションを支える仕組みと、国内企業を集約する仕組みについて確認する。
①中小企業への効率的な技術移転の仕組み
(a)研究機関
Industrie 4.0の取り組みにおいては、IoT(モノのインターネット)や生産の自動化技術を駆使した新しいビジネスモデルを実現するため、研究機関の積極的な関与が見られる。
例えば、中小企業向けの設計・開発・生産等の自動化を進めるアプリケーション開発プロジェクトであるAutonomikは、フラウンホーファー研究機構その他の研究機関が企業と協力して実施している。また、工場の自動化に関する産学協力プロジェクトであるスマートファクトリーKLは、2005年に設立され、ITベンダーとユーザーである製造業企業、公的研究機関の協力によって、ファクトリーオートメーションの基礎技術や市場向けの製品開発を実施している。
ただし、同国の研究機関の産業界と積極的に協力する姿勢は、Industrie 4.0に限られるものではない。
ドイツの代表的な研究機関は、産業界との研究協力を重視する傾向がある。
中でも、応用研究に特化するフラウンホーファー研究機構は、基礎研究で生まれたイノベーションを新製品につなげるという、産業界への「橋渡し」をその存在意義としている。産業界への橋渡しとしては、まず人材の流動性がある。職員の2割以上が大学院生であり、彼らはフラウンホーファーでの研究開発の経験を経た後に、産業界に就職する。そして就職先の企業における研究開発において、フラウンホーファー研究機構を利用するという循環が、産業界との連携を促進する。産業界との橋渡しのもう一つの要素は、研究の受託である。収入のうち約1/3が企業からの受託収入であり、企業からの委託を受けて、製品企画、製品開発、設計、実証機開発等を実施する。企業からの受託は、双方の意思を細かく確認しながら進めるため、最終品が企業の意向とかけ離れたものとなるようなことはない152。更に、研究所は国内各地に立地しており153、各地域の大学等とも協力して研究開発を行っている。
また、研究開発機能の低い中小企業のために、イノベーション創出を支援し、最終的に市場で売れる製品化を目指すことを使命の一つとしており、産業界からの収入のうち、約3割を中小企業(250人以下)が占めている154。
基礎研究で生まれたイノベーションを新製品の開発や製造につなげ、また中小企業を支援するというフラウンホーファー研究機構の姿勢は、Industrie 4.0において顕著に発揮されているが、このような姿勢はIndustrie 4.0以外のテーマについても同様であり、中小企業を含めた産業のイノベーションを常に支えていると言える。
(b)高等教育機関
Industrie 4.0においては、高等教育機関が地域の産業クラスターに参加するという形でイノベーションに貢献している例が見られている。
ドイツでは、教育に関する権限の多くは州政府のものであり、州政府が高等教育機関を設立し、高等教育機関は地域経済に積極的に貢献している。
中でも、高等教育機関の一つでドイツに特有の専門大学(Fachhochshule、以下専門大学とする155)は、ドイツの大学数の約6割を占め、また工学を学ぶ人材の約6割が学ぶ。学術的基盤に基づいた実践志向の教育によって、産業の国際競争力強化を図ることを目的とし、実際のエンジニアリングへの応用に特化した教育により、産業界への技術移転に大きな役割を果たしている。
専門大学の予算の一部は産業界からの委託研究によるものが占めている156。また、産業界のニーズに応えるための教育を実施するため、産業界での経験157を有していないと、教授になることができない。一方、企業は地元の専門大学に講師を派遣したり、企業内実習を実施するといった形で、相互に利益のある関係が築かれている。
大学と企業の密接な関係を背景に、学生が地域の企業に就職するケースも多い。企業側にとっては、不足している技術者を確保でき、地域にとっては、若者の地元での雇用確保という大きなメリットがある(第Ⅱ-2-1-1-10図)。
第Ⅱ-2-1-1-10図 ドイツの修士課程の学生の就職可能性(アンケート調査)
第Ⅱ-2-1-1-11図 高等教育機関による研究開発に関する産業界の出資額
第Ⅱ-2-1-1-12図 欧州主要国の留学生比率(大学レベル)
総合大学及び工科大学は、専門大学よりも高度な設計開発や研究の実施を通じて、産業界に貢献している。大学の教授は産業界出身であることが多く、これによって、産業界のニーズに敏感に対応し、かつ効率的な技術移転を実施することが可能になっている。
なお、産業界との研究協力は、国内企業とだけでなく、国外企業とも積極的に実施されている。また、連邦政府は国外からの高度技能者の流入促進に積極的であり、留学生の学費についても国内の学生と同様に無料である。EUの調査によれば、EU内の中小企業の研究協力相手国としてはドイツが第一位となっている158。
152 企業から得たノウハウで企業の営業活動を妨害しないよう、自身による生産販売は禁止されている。
153 国内研究拠点は66(同研究機構ウェブサイト)。
154 経済産業省ヒアリング調査。
155 英語ではUniversity of applied sciences(応用科学大学)。
156 例えば、ミュンヘン専門大学では、第三者出資予算の16%程度が産業界からの研究開発委託を財源としている(HOCHSCHULE MÜNCHEN (2014))。
157 州によって異なるが、最低5年以上等。
158 経済産業省(2013)。
②国内企業を集約する仕組み
(a)産業クラスター
Industrie 4.0の構想には、中小企業の生産性向上や、サプライチェーンの統合も掲げられている。サプライチェーンの統合に関しては、企業間利益の配分やデータセキュリティといった課題が残っているが、ドイツの各地に分散する産業クラスターには、それぞれに多くの中小企業が参加していることから、サプライチェーンの統合や中小企業を含めた生産性向上についての議論を進めることが比較的容易である可能性がある。以下では、ドイツの産業クラスターについて確認する。
EUのクラスター・プロジェクトに対する評価159によれば、ドイツのクラスターは、評価点(“Star”)の平均が高い業種が多い。具体的には、自動車、化学品、IT、電気機器、医療機器等を含む15業種において、ドイツの平均点が欧州主要5か国の中で最も高い(第Ⅱ-2-1-1-13表)。
第Ⅱ-2-1-1-13表 欧州主要国の業種クラスター比較
〈ドイツ型産業クラスター〉
ドイツ型産業クラスターでは、中小企業が不得意とする機能に対する、研究所や大学、経済振興公社など第三者による協力・支援、また企業間の連携を通じて、参加企業が、擬似的に大企業と同等の競争力を持つことが期待されている(第Ⅱ-2-1-1-14図)。
第Ⅱ-2-1-1-14図 ドイツ産業クラスターの一般的形態
また、中小企業が、特にものづくりの前後の工程である「新製品開発」と「海外販路の開拓」に関して協力・支援を受けることによって、全工程を、Hidden Champion(隠れたチャンピオン企業)160と同等の水準にまでレベルアップし、世界で売れる製品を作り、世界市場で売ることを実現しようとする(第Ⅱ-2-1-1-15図)。
第Ⅱ-2-1-1-15図 ドイツにおける中小企業支援の考え方
新製品開発と海外販路の開拓は、人材・資金面でハードルが高いため、それを補う機能を得られることは、中小企業にとって大きなメリットであり、多くの企業が産業クラスターに参加している。
〈連邦政府によるクラスター・コンペティション〉
連邦政府によるクラスター政策は、コンペティション形式で、優れたプロジェクトを選び、資金を提供するというものである。
中でも、2008年より実施されている「先端クラスター・コンペティション」は、国際競争力を持つイノベーションクラスターの創設が目標とされている。
枠組みとしては、1件(5カ年)あたり最大で4,000万ユーロ161が政府から拠出されるが、民間企業による同額以上の拠出が条件とされる。なお、クラスターで行えるのは、市場競争に入る以前の基礎的な段階までであり、実際の製品開発は企業レベルで実施することとなっているほか、応募主体に関しては、既に存在しているクラスターに限定されている。
2012年までの3回にわたり採択され、多くの応募プロジェクト(3期合計で80以上)の中から、各期5クラスターが選ばれている。多くのクラスターが、選抜を目指し知恵を絞ってプロジェクトを策定することで、選抜の有無に関わらず、結果として、国内各地で優れたプロジェクトが創出されている。
〈業種間・企業間のネットワーク〉
ドイツの産業クラスターは、地方自治体、研究機関や大学に加え、複数の業種にわたる企業によって構成されることが多い。そのクラスターのテーマに正面から関与する業種だけでなく、サプライチェーンに関わる多様な企業が参加することで、ユーザー側と開発側の視点の双方を取り込み、新しいアイディアが生まれることが期待されている。ドイツのイノベーション企業比率162は非常に高い163が、人間の集積によってイノベーションが促進すると言われる164とおり、ドイツの産業クラスターではその多様性が、イノベーションを促進する要素の一つとなっていると言える。
例えばバイエルン州のMAICarbonは、素材からユーザーにわたる多様な業種が関与することによって、炭素繊維強化プラスチックに関する効率的な製造技術の開発が可能となっている。
更に、バイエルン州には、MAICarbonだけでなく、ナノテクノロジー、航空宇宙、自動車、バイオテクノロジー、化学、エネルギー、機械、ICT等様々なクラスターが存在している。クラスター内における他の業種との連携はもちろんのこと、異なるテーマのクラスターが近くに立地していることで、簡単に他の業種にコンタクトしその知見を活用できることが、バイエルン州に立地する企業の強みとなっているという。ドイツには、バイエルン州のように、一地域に多数のクラスターが存在するケースが多く、同様に企業のイノベーションを支えていると考えられる(第Ⅱ-2-1-1-16図)。
第Ⅱ-2-1-1-16図 ドイツの地域別産業クラスターの数
また、標準化に向けた活動においても、同一のテーマについて関心を有する複数の業種が集まるクラスターでは、情報収集や企業間の利害調整が比較的容易になると推測される。実際、多くのクラスターが標準化に関する取り組みを実施している165。
〈クラスター事例〉
例1:it’s OWL。
NRW(ノルトライン・ヴェストファーレン、以下NRW)州のオストヴェストファーレン・リッペという地域のクラスターで、Industrie 4.0の中心テーマである「考える工場」のモデル運用をテーマとし、ドイツ国内でも最も成功しているクラスターの一つと言われる。
当クラスターが取り組む内容は、センサー等システムの基礎部分から、スマートグリッドや製造工場等、ネットワーク化されたシステムまで幅広く、また分野横断的なものとなっている。
研究開発に主体的に関与する企業22社のうち上場企業はごく僅かであり、特定の企業に依存せずに、地域の大学、研究機関及び中小企業が共同して活動している166。2012年にはフラウンホーファー研究機構の拠点がOWL専門大学に近接して設立され、共同でスマートファクトリーに関するプロジェクトが実施されている。
国内及び国際的な標準化の取り組みに関しても、クラスター参加メンバーが積極的な活動を実施している167。また、専門人材の地域への継続的な供給のため、若い専門家や年配の技術者に対する教育プログラムを提供している168。
例2:MAICarbon(MAIカーボン)
バイエルン州の、炭素繊維強化プラスチックをはじめとする繊維強化材料をテーマとするクラスターである。素材メーカーのみならず、ユーザー産業である自動車、航空、機械、プラントエンジニアから多くの企業が参加し、製造コスト低下に向けた研究開発を実施している。また、ウェブ上のネットワークを構築し、メンバー間の関係強化や技術移転を促進する一方で、クラスター内のノウハウの保護を図っている。将来の標準化に向けた取組も進められている169。
例3:燃料電池・水素ネットワークNRW
NRW州エネルギー経済クラスター「EnergieRegion.NRW」傘下にあり、400以上のメンバーが加盟するクラスターで、NRW州政府及びEUから約1億1,500万ユーロの補助金を受けている。
メンバーは、燃料電池技術を開発する企業だけでなく、機械製造やエレクトロニクス関連企業といったユーザー企業も多い。水素技術については、水素の製造、貯蔵、供給までを網羅する。また、多くはNRW州の企業や機関であるが、ドイツ国内の他の州や国外に拠点を有するメンバーもいる。
情報共有やパートナー探しといったメンバー企業に向けたサービスの他、当クラスターへの誘致・視察ツアーや広報といった対外的な活動も実施している。
例4:ザクセン州ドレスデンのナノテクに関するクラスター
ザクセン州ドレスデンにはナノテクに関する研究機関や企業が多く集積しているが、このうち、フラウンホーファーIWS(材料・ビーム技術研究所)が主催するクラスターは、参加企業が自由に製品開発に取り組むことが主眼とされている。ここでは、研究者と企業の技術者が信頼関係を築くことが、結果的に仕事に繫がるとの考えに基づき活動している。具体的には、年数回のワークショップ・セミナー等を通じた研究成果や最新技術動向の紹介や、研究者と会員企業の相互理解促進のための懇親会の開催等であり、企業に対して技術営業を行うスタッフは置かれていない170。
(b)商工会議所等
ドイツでは、手工業者を除く全ての企業が、IHK(地域の商工会議所、以下IHKとする)に加入する義務が法律で規定されている171。これによってIHKは、資金力のある大企業のみでなく当該地域の全ての企業を等しく代表することとなり、同時にその政治的中立性及び独立性の確保が図られている。
そのため、各地のIHKは、当該地域の全ての企業(手工業者を除く)を代表して、地域の行政府に対して経済政策に関するアドバイスを行う。同様にIHKを総括する立場のDIHK(ドイツ商工会議所連合会、以下DIHKとする)は、連邦政府に対して国内企業全て(手工業者を除く)の利益を代表する。
各地のIHKの活動は、中小企業のビジネス環境の改善に重点が置かれており、DIHKが連邦政府に提出する意見においても、その内容の多くは、特に中小企業のビジネス環境改善を図るものとなっている172。
加えて、中小企業に関しては、各地のIHKを繋ぐネットワークが組織されており、様々な組織が提供する有利なプログラム情報の提供や、企業間のネットワーク作りに加え、地域の当局とともに中小企業の利益を代表し、中小企業を取り巻く環境の改善を図っている。
また、商工会議所のみならず、州政府や、地域の経済団体による取り組みは活発であり、様々な機関の活動が相まって、中小企業の活動が支えられていると言える。
③Industrie 4.0の背景となるインフラ・政策(まとめ)
ドイツにおいては、中小企業のイノベーションを支えるため、研究機関や高等教育機関が、その研究成果を産業界に移転することを重視している。なお、ドイツでは、研究員や大学教授が産業界と行き来することによって、両者の関係が緊密なものとなっており、研究機関や高等教育機関は、産業界の情報を常に吸収し、効率的な技術移転が可能となっている。
また、ドイツは、各州に多様な業種のクラスターが存在している。また、クラスターの中には、特定の業種のみならず、サプライチェーンに関係する多様な業種の企業が参加しているものも見られる。こうした企業の多様性と、クラスターに参加している企業間の連携を高める取り組みなどによって、ドイツ企業のイノベーションが促進されている可能性が考えられる。
一方、業種をまたがる産業クラスターは、立場の異なる企業の意見を調整する機能があると考えられる。また、国内全企業が参加する商工会議所の存在、また活発に活動する各州政府や地域の経済団体は、政策を国内に浸透させるとともに、中小企業を含めた企業全体の要望を吸収して政府に伝える役割を果たしており、Industrie 4.0のように産業界・社会に大きな変革をもたらす取り組みを支えていると考えられる。
159 知識の波及性が高いとして評価されているクラスター。知識の波及性は、①規模(EUの同産業クラスターの中で、雇用規模で上位10%に入る)、②特化(地域に占める雇用割合が、EUにおいて同産業が占める雇用割合の2倍以上)、③集中(雇用規模が地域のクラスターの上位10%に入る)、の要素を一つ満たすごとに、「Star」を一つ獲得する。(「EU Cluster Observatory(2011年)」から作成)。
160 ドイツのMittelstand(中小・中堅企業)の中でも特に成功している企業(定義:①特定の分野で世界トップ3又は大陸欧州で1位、②売上高が50億ユーロ未満、③一般的にあまり知られていない、以上の三点を満たす企業(Simon (2009))。
161 約41億円(2012年時点)。
162 当該企業にとって新規かつ重要なイノベーション(プロセスイノベーション、プロダクトイノベーション、更に販売及び組織に関する手法に関するイノベーションを含む)を含む(Eurostat)。
163 EU平均51%に対し、ドイツは70%(建設業を除く全企業、2012年時点)。
164 藤田(2005)。
165 第Ⅱ章第1節1項(3)②(a)(ドイツ型産業クラスター)の脚注参照。
166 科学技術振興機構現地調査。
167 Federal ministry of Education and Research, Germany (2015).
168 it’s Owlウェブサイト。
169 Federal ministry of Education and Research, Germany (2015).
170 経済産業省ヒアリング調査。
171 German Federal Ministry of Justice and Consumer Protection “Gesetz zur vorläufigen Regelung des Rechts der Industrie- und Handelskammern”、2013年7月25日改定、(http://www.gesetze-im-internet.de/bundesrecht/ihkg/gesamt.pdf)。
172 IHKの業務は、①加盟企業の利益を代表すること、②地元の自治体に対し、経済政策に関するアドバイスをすること、③職業訓練や教育、④加盟企業に対する情報提供・相談サービス、⑤見本市支援等、輸出促進事業。
2.米国
世界経済の成長が緩やかとなる中、米国では、イノベーションとこれを基にした新たなビジネスモデルを形成して世界的に独占的な地位を確立する企業が出現し、米国経済の着実な成長をけん引している。特にIT(Information Technology)産業分野から生まれたIoT(Internet of Things)や人工知能などの革新的な技術が、製品の付加価値をサービスへと移行させ、これまでの競争状況、世界の産業構造をも変革しつつある。
米国企業は、潤沢かつ円滑な資金循環が積極的なリスクテイクを許容する環境の下、これら革新的な技術を基にいち早くビジネスモデルを構築し、競争優位を得るための活動を展開している。そして、米国政府によるイノベーション基盤を確保する政策を背景に、従来の産業領域を超えたエコシステムにおける主導的立場を獲得して、高い収益性の下に成長を続けている。これらの米国企業の集積は、容易に移転しえないイノベーション基盤として、米国におけるグローバルな立地競争力を高めている。
以下では、これらの先進的な米国企業がけん引する米国経済の現状、成長する米国IT産業が生み出したイノベーションから始まるパラダイムシフトと、このような民間企業の基盤技術を支え、イノベーションの集積を引き起こす米国の政策インフラを見ていく。
(1)米国経済の現状と変化
米国経済は2010年以降2%前後の堅調な成長水準を維持しており、2014年には年ベース前年比2.4%と、前年を上回って緩やかに上昇した。実質GDPを需要項目別に見ると、個人消費180が増加しており、企業の設備投資も堅調に推移してきた。足下では、冬季の天候不順などの一時的な影響や、ドル高、原油価格の下落といった市場環境の変化を受けて減速傾向にあり、IMFが本年4月に発表した経済見通しにおいても、前回の見通し(2015年3.6%、2016年3.3%。本年1月発表。)から下方修正されているものの、2015、2016年ともに3.1%と堅調な成長を見込んでいる(第Ⅱ-2-1-2-1図)。
第Ⅱ-2-1-2-1図 実質GDP成長率及び需要項目別寄与度の推移
米国経済の成長を産業別にみると、2013年時点での名目GDPにおけるシェアは、金融(20.2%)、卸売・小売(11.8%)、専門ビジネス(11.8%)等のサービス業や、近年リショアリングの動きが注目されている製造業(12.1%)といった、これまでの米国経済を支えてきた業種が大宗を占めている。一方、情報通信技術(ICT)181分野(5.7%)については、名目GDPにおけるシェアは現時点では比較的小さい(第Ⅱ-2-1-2-2図)。
第Ⅱ-2-1-2-2図 名目GDPに占める産業別シェア(2013年)
一方、産業別GDPの伸びをみると、景気後退入り前の2006年を100とした実質GDPの推移では、ICT分野は、シェールガス・オイル関連の技術革新があった鉱業に匹敵する伸びを示している。これに対し、金融、卸売・小売、専門ビジネス等のサービス業や、製造業などではGDP全体と同様又はそれ以下の緩やかな成長にとどまっており、ICTに関連する産業が、鉱業と並んで近年の米国経済の成長をけん引していることがわかる(第Ⅱ-2-1-2-3図)。
第Ⅱ-2-1-2-3図 産業別実質GDPの推移
財の生産部門成長性の観点から鉱工業生産指数を見ると、ICT関連のコンピュータ・電子製品が、他業種に先駆けて2010年1月に世界経済危機前の2007年の水準を回復し、シェールガス・オイルの効果で上昇する鉱業をも遙かに上回る伸びを示している。続いて、製造業全体もこれらにけん引される形で2014年7月に同水準を回復した(第Ⅱ-2-1-2-4図)。
第Ⅱ-2-1-2-4図 業種別鉱工業生産指数の推移
雇用者数(非農業)の推移を見ると、好調な米国経済を背景に順調な伸びを継続し、2014年には2007年の水準を回復している。産業別のシェアを見ると、製造業は2009年以降ほぼ横ばいとなっており、ICT182分野についてもシェアの増加は見られない(第Ⅱ-2-1-2-5図)。
第Ⅱ-2-1-2-5図 非農業雇用者数と産業別シェアの推移
雇用者数(非農業)の伸びをみると、継続的に成長しているのはサービス産業の教育・健康や専門ビジネス等となっており、近年ではシェール開発の活発化を背景として資源・鉱業が著しい伸びを見せている。ICTについては、ITバブル期を除き、全体の伸びとICT分野の伸びはほぼ一致し、近年ではICTが全体の伸びを若干上回って成長している。一方、製造業はリーマン・ショック以降回復しているものの、過去の水準には達していない(第Ⅱ-2-1-2-6図)。
第Ⅱ-2-1-2-6図 非農業雇用者数の産業別推移
次に、米国企業のグローバルな成長性・収益性の傾向を、連結売上高と営業利益率から見ると、米国では自動車や工業など、伝統的に米国の雇用・経済を支えてきた産業は、売上高の規模は大きいものの成長性は緩やかであり、収益性も低位にある。一方、ICT関連のソフトウェア・ITサービスは高成長・高収益となっている。関連するPCなどのハードウェアも高い成長を示しており、同分野の企業が収益性の高い企業活動を行い、成長し続けていることが読み取れる。一方、日本では通信サービスを除き、全体として米国より収益性が低位に集中している(第Ⅱ-2-1-2-7図)。
第Ⅱ-2-1-2-7図 業種別営業利益率
このような米国企業の収益性の高さの背景の一つとしては、特に半導体等IT関連のハードウェア分野において、製品生産等を受託するEMS(Electronics Manufacturing Service)の活用により、収益性の低い部門を海外にアウトソーシングする一方、経営資源を製品企画・開発やアフターサービスなど、収益性の高い分野に経営資源を集中させてきたことが挙げられる183,184,185。
以上のとおり、米国では、シェールガス・オイルや、IT産業など、革新的な技術進歩、イノベーションがあった分野が経済をけん引している。特に、IT企業の成長性、収益性が高く、同産業が高収益なビジネスモデルを構築していること、その利益率の高さが更なる先進的な投資を行い、継続的なイノベーションを可能にしていることが示唆される。
以下では、この成長するIT産業が生み出した、産業構造をも変革させるイノベーション、そのイノベーションを収益性の高いプラットフォームへ進化させ続けている先進的な米国企業の動き及びその集積について見ていく。
180 米国GDPの約2/3を占めている。
181 米国商務省のGDP参考分類として、製造業のうちコンピュータ・電子機器、情報のうち出版(含むソフトウェア)、情報・データ処理サービス、専門ビジネスのうちコンピュータシステムデザイン・関連サービスを抜粋、統合したもの。
182 米国商務省のGDP参考分類に合わせて作成。以下同じ。
183 経済産業省(2014)『平成26年版通商白書』で確認したとおり、中国における製造業、インドにおける専門技術サービスへの集中投資等、米国の多国籍企業がその国の持つ特性に応じた戦略的な事業展開を行ってきたことも挙げられる。
184 米国のグローバル企業の国外での製造部門の雇用や売上が増加すると、国内への研究開発投資が増加するという分析もなされている(Moran & Oldenski (2014))。
185 Pisano & Shin (2012)は、製造プロセスがイノベーションに及ぼす影響の観点から、生産拠点と研究開発拠点を切り離すことにリスクがある可能性について述べた。この中で、汎用半導体等は製造プロセスの成熟度が高く、製品設計と製造を密接に連携させる意義は少ないことから製造をアウトソーシングすることが合理的とされている。
(2)米国発のパラダイムシフト
米国の経済をけん引するIT産業は、近年グローバルに浸透し、不可逆的な経済・社会的な変革(パラダイムシフト)をもたらしているとされている186。なかでも、IoT(モノのインターネット、Internet of Things)や人工知能など、ビッグデータを取巻く革新的な技術が成長してイノベーションが起こり、これをいち早く活用した米国企業が新たなビジネスモデルを形成して競争優位を確立、世界の産業構造そのものを変化させつつあると見られている。さらに、データプラットフォームの特徴的な効果による市場支配と高い収益性が、米国のイノベーション産業の集積を一層高める一因となり、米国の立地競争力を高めていると考えられる。
以下では、IT関連の革新的なイノベーションによる構造変化、新たなプラットフォームを基盤としたエコシステムを構築する米国企業の動きと、この米国企業が引き起こす集積効果を見ていく。
①CPS(Cyber Physical System)の進展による構造変化
1990年代後半以降急速に普及してきたインターネットはこれまで世界各地に分散したサプライチェーンをグローバルに、かつリアルタイムに連携させ、生産性向上と成長をけん引してきたとされている。現在では、IoT187の普及により、あらゆるモノがネットワークでつながることで収集されたデジタル・データを、ビッグデータ解析技術や人工知能の進化等によって高度に解析することで、製品の機能と性能が著しく向上している。その結果、製品の価値が、製品そのものから、製品の機能・性能によって得られるサービスへ移行し、世界レベルで競争環境が大きく変化することが指摘されている。製造現場といったリアルの情報を、IoTを使ってデジタル・データ化し、それらを解析することでインテリジェンスを生みだし、再びリアルの世界に戻すサイクルをサイバー・フィジカル・システム(CPS:Cyber Physical System)というが、こうしたリアル空間とサイバー空間の融合は、あらゆる産業分野で拡大しており、産業構造を大きく変革する動きにつながると見られている(第Ⅱ-2-1-2-8図)。
第Ⅱ-2-1-2-8図 社会全体がCPSにより変革される「データ駆動型社会」
ハーバードビジネスレビューに掲載された「IoT時代の競争戦略」(Porter & Heppelmann(2015))では、IoTの進展によって製品のバリューチェーンが受ける影響や、競争環境の変化について以下のように分析している。
(a)製品の価値を創造するバリューチェーンへの影響
同レポートによれば、IoTでネットワーク化された製品である「接続機能をもつスマート製品」188は、バリューチェーンを構成する様々な活動の最適化を可能とするとされている。また、このような製品の生産過程においては、新たな設計、マーケティング、予防的なメンテナンスを行うためのサービス提供プロセスの刷新といった変革が起きること、加えて製品データの解析やセキュリティ確保といった新しい業務活動の必要性が生じると指摘している。第Ⅱ-2-1-2-9図は、製品の価値を創造する企業活動(「価値活動」)と、IoTの普及によって生じる価値活動の変化の例をまとめており、このようなバリューチェーンの変化は競争優位の獲得に向けた戦略判断に影響を与えると考えられている。
第Ⅱ-2-1-2-9図 バリューチェーンの変化イメージ
(b)IoTの進展による競争環境及び産業構造の変化
また、「接続機能をもつスマート製品」の普及により、業界の競争状況を決定づける競争要因が変化するとされている(第Ⅱ-2-1-2-10図)。差別化や付加価値サービス提供の新たな方法が多数もたらされることによる業界内での競争の激化、さらに、業界の競争領域は幅広いニーズに応える形で拡大して、競争の基盤が個別製品の機能性から幅広い製品とサービスを統合したシステムを最適化することへ移行するとされている。その結果、業界そのものの統合、再編、また、システムを競争優位の源泉と位置づける重要な新規参入者が現れる可能性が指摘されている。
第Ⅱ-2-1-2-10図 業界の競争状況を決定づける5つの競争要因の変化
186 総務省(2014)『平成26年版情報通信白書』。
187 IoTの世界的市場規模は2013年1.3兆ドルから2020年には3.04兆ドルに拡大するとみられている(IDC Press Release(2014年11月7日)、(http://www.idc.com/getdoc.jsp?containerId=prUS25237214))。また、IoE(Internet of Everything)(製品だけでなく公共施設・サービスなどすべてを対象)から生じる経済価値は、2013~2022年間で19兆ドルと見られている(Cisco Systems G.K. White Paper (2013))。
188 同レポートにおいて①物理的要素(機械部品、電気部品)、②スマートな構成要素(センサー、ソフトウェア等)、③接続機能(インターネット接続するためのポート、アンテナ、プロコトル)で構成され、モニタリング、制御、最適化、自立性という新たな機能を備えているものとされている。
②ビジネスモデルを進化させる米国企業
前述のとおり、現在世界はCPSによる産業構造の変化に直面しているが、1990年代のインターネットの普及、2000年代前半のモバイルの普及を経験し、これまで基幹システムであったITが個人にまで浸透するといった社会変革が起き、企業はその変革への対応を迫られてきた。なかでも、シリコンバレーに代表されるITイノベーションの集積地を持つ米国は、このような世界のIT関連ビジネスを主導してきた。平成26年版情報通信白書によれば、FT500189にランクインしている世界の情報通信技術関係企業の時価総額において、米国企業が過半数のシェアを占めており、同分野での米国企業の強さを表している(第Ⅱ-2-1-2-11図)。
第Ⅱ-2-1-2-11図 FT Global 500におけるICT産業の株式時価総額(企業国籍別)
これらの米国企業は、IT分野での革新的な技術をいち早く活用してデータを集積・活用するプラットフォーム190を構築し、これを基盤として様々な産業を包含するエコシステムを形成することで、これまでの産業の領域を超えた様々な分野でビジネスの主導権を握る可能性が指摘されている。さらに近年、その動きはIT産業そのものから、製造業など、IT技術のユーザー側の業界での活用へと拡大しつつある。
以下では、CPSの進化によって産業構造が大きく変化する中で、米国企業が競争優位を確立しようとする2つのビジネスモデルについて見ていく。
(a)製品の付加価値を進化させ拡大するビジネスモデル
2015年1月にアクセンチュアが発表したレポート(“The Growth Game-Changer”)は、IoTを産業用に活用(IIoT:Industrial Internet of Things)することで、高い成長191が得られるとしている。この中で、米国は、このような新たな技術を経済・社会に浸透させるために必要とされる要素が総合的に高く、最も高い成長を遂げる可能性が指摘されている(第Ⅱ-2-1-2-12表)(第Ⅱ-2-1-2-13図)。
第Ⅱ-2-1-2-12表 テクノロジーを経済・社会に浸透させるために必要とされる要素
第Ⅱ-2-1-2-13図 IIoTを実現する要因の国別ランキング(指数)
このように、米国において活用が進む可能性が高く、かつ市場として高いポテンシャルがあると見られているIoTを活用したビジネスは、米国の様々な事業領域で活発化している。特に、IoTの進展により、物理的な製品からソフトウェアに価値が移行することで業界構造が変化し、最も強い影響を受けるとも指摘されている製造業においても、競争環境の変化をいち早く捉え、予防的メンテナンス、産業用機器向けのデータ解析アプリケーションの提供等、製造技術と情報通信技術を融合したビジネスが展開されている192。
2014年3月には、米国で製造、通信、ITなど、様々な産業領域の米国大手企業5社がコアとなり、「Industrial Internet Consortium(IIC、インダストリアル・インターネット・コンソーシアム)」が設立された。IICは産業市場におけるIoT関連のテスト環境提供や世界標準を策定するプロセスへの働きかけを行う普及推進団体とされており、日本企業も含め、企業・研究者・公共機関から100社以上(2015年4月現在157社)のメンバーが参加している。
同コンソーシアムのプレスリリース193によれば、IICはIoTを加速させる基盤的要素である産業インターネットアプリケーションの導入を促進するためのエコシステム、と位置付けられている。このエコシステムの構築にあたって、製造、通信、ITなど異業種の企業同士が連携しており、既存の業界や地域を超えた新たな産業構造下での競争が始まっている状況変化を表している。
(b)データ支配により競争優位を高めるビジネスモデル
モバイルやクラウドサービスの浸透などにより得られた膨大かつ複雑なデータの活用が、競争優位を左右する競争環境を背景に、人工知能(AI:Artificial Intelligence)など革新的な分析技術の開発が進められている。
マッキンゼーのレポート(2013)194によれば、経済的なインパクトを与える「破壊的な技術」として、IoT等と並び、AIによる知識労働の自動化が挙げられており、その2025年時点でのインパクトは5.2~6.7兆ドルと試算されている(第Ⅱ-2-1-2-14図)。
第Ⅱ-2-1-2-14図 先端的な技術による潜在的な経済へのインパクト(2025年・年間)
AIは人間の思考と同じ機能を再現したソフトウェアとされており195、目的や手法に応じて様々な技術が開発されている196。中でも「機械学習」から派生した「ディープラーニング」と呼ばれる技術は、事例(データ)を教材として「パターンの抽象化・抽出」を行い、自ら学習して新たな知識を身につけていく自律的な技術であることから、ビッグデータの活用により更に高度化するとされている。このため、自律的な学習によって高度化したAI技術を活用し、価値創造に関する迅速かつ的確な意思決定を行う分析技術を提供する者が、広範な産業分野において、その競争支配を一層高めると見られている。
このような既存の産業領域を超えた市場支配を引き起こすAI分野の技術への投資や研究開発は米国が先行する形で進んでおり197、既に様々な分野で基盤技術の1つとしてビジネスに活用され始めている198(第Ⅱ-2-1-2-15表)。
第Ⅱ-2-1-2-15表 米国の人工知能分野の企業のビジネス、ビジネスにつながる動き
189 Financial Times Global 500:米国Financial Timesが毎年発表する企業の時価総額を基準として世界の上位500社を選定したランキング。
190 あるバリューチェーンの中の基幹的な共通機能を、他社が真似できない質的・量的差別化能力によって支配するとともに、それ以外の領域で他の事業者同士の競争を促して、低価格化を実現することで利用者を広めるビジネスモデルとされている(独立行政法人科学技術振興機構研究開発戦略センター(2014a))。
191 2030年までに、日、米、EU主要国等20か国の実質GDPの累積値が10.6兆ドル増加(1.0%増)、更にIIoTの普及に追加施策を講じ、投資を増加させた場合、累積値は14.2兆ドルと試算されている。米国は2030年までの実質GDPの累積値が6.1兆ドル増加、追加施策により13.2兆ドル増加と試算されている。
192 経済産業省、厚生労働省、文部科学省(2015)『2015年版ものづくり白書』。
193 http://www.iiconsortium.org/press-room/03-27-14.htm
194 McKinsey Global Institute (2013)。
195 株式会社KDDI総研(2014)。
196 人間同様に様々な情報を元にコンピュータが学習し、その傾向等を分析する「機械学習」、人間の使う文章(自然言語)を理解する「自然言語解析」、画像から何が描かれているかを判別する「画像解析技術」など。
197 Bloomberg社のアナリストが作成した最近の人工知能ベンチャーの一覧によると、コア技術に関しては米国企業が大半を占めている他、様々な領域で企業活動が展開されている(松尾豊(2015)『人工知能は人間を超えるか』、Bloomberg Press Announcements(2014年12月11日)、(http://www.bloomberg.com/company/2014-12-11/current-state-machine-intelligence/))。
198 人工知能技術の進展により、困難な課題の解決のための分析が容易に可能となるというメリットの一方で、雇用が代替される可能性や、特定の組織が開発した技術をブラックボックス化し、独占した際の危険性といった問題も指摘されている。
③デジタル化によって市場支配を引き起こす集積効果
ここまで見てきたように、製造業も含め様々な領域において、CPSの進化によりデータが収集・蓄積・解析され、それが再びリアルの世界にフィードバックされることで、モノそのものからサービス的要素へと付加価値が移行しつつある。この環境下においては、デジタルデータが付加価値の源泉となり、ネットワークの参加者の増加によってデジタルデータが増大するほど、デジタルデータを保有する主体の競争優位性が高まる状況にある。このような、デジタルデータの集積による規模の経済性が働くことにより、データプラットフォームにおいては、ネットワークへの参加主体の増加により優位性が高まるという「ネットワーク外部性」が働きやすく、特定のプラットフォームへの集積が急激に進みやすいとされている。そして、一旦集積が確立すると、他のプラットフォームへの乗り換えコストの高まりから、集積状態が継続する「ロックイン効果」が働き、プラットフォームの運営者による市場の寡占・独占化が生じる可能性があるとされている199。
こうした継続的な市場支配により、自らの収益を最大化する米国企業のなかでも、特にIT産業関連企業が集中するシリコンバレーなどでは、デジタルデータを核とした産業が同エリアに集積し、成長し続けている。ここでは、集積するデータ分析技術に関する「厚みのある労働市場」「ビジネスのエコシステム」「知識の伝搬」200という要素(「集積効果」)によって、イノベーション産業ハブとなって成長し続けているとされている。また、シリコンバレーのようなイノベーション産業の集積拠点においては、イノベーションハブのエコシステム全体に「ロックイン効果」が発揮されており、移転しにくいものと考えられている201。
このデジタルデータの活用から派生する集積による効果を背景に、米国のIT企業は、本国でもある米国に研究開発拠点を集中的に設置している(第Ⅱ-1-2-2-5表)。また、各国の政府機関もシリコンバレーのインキュベーション施設202と提携し、自国のベンチャー企業が米国のイノベーションの集積を活用して成長するための取組を展開している。
第Ⅱ-1-2-2-5表 米グローバル企業(情報通信)の拠点設置状況(再掲)
このように、米国企業は、デジタル化が進む環境下での「ネットワーク外部性」などの効果を得て、構築したプラットフォームを基盤とし、様々な産業を包含するエコシステム内の利益を集約する構造を確立している。そして、このような米国企業の集積は、容易に移転し得ないイノベーション産業として、米国におけるグローバルな立地競争力を高める一因となっていると考えられる。
199 プラットフォーム型の事業展開により、一旦波及すると互換性の問題等から市場が置き換わり難い現象が起きることを利用し、顧客を囲い込むことで高収益化されるという傾向があるとされている(独立行政法人科学技術振興機構 研究開発戦略センター(2014a))。
200 Moretti, E. (2013)によれば、「厚みのある労働市場」として、特にハイテク関係のエンジニアなど、高度な専門技能が必要とされる職種において、必要とされるスキルを備える人材が豊富に存在すること、「ビジネスのエコシステム」として、法務など専門的なサービスを提供する業者や、ベンチャー企業に出資するのみならず、アイデアをビジネスに転換するための指導・育成を担うベンチャーキャピタル(指導のために地理的な近さが効率的と考えられている)の存在、「知識の伝搬」として、創造的な人材が近接することでイノベーションが活性化し、生産性が向上することが挙げられている。
201 Moretti, E. (2013)(安田(解説)、池村(訳)(2014)『年収は「住むところ」で決まる』)。
202 Plug and Play tech Center。シリコンバレーで技術系ベンチャー企業の成長をサポートするための様々なサービスを提供するインキュベーション組織。企業、大学、投資家の他、ドイツなど20か国以上の海外政府もパートナーとなっている
(http://www.plugandplaytechcenter.com/)。
(3)民間企業の基盤技術を支える米国の政策インフラ
これまでみてきたように、米国では革新的な技術を新たなビジネスモデルに活用する米国企業が、これまでの産業領域を超えた様々な分野でビジネスの主導権を握り、世界の産業構造そのものを変化させつつある。
一方、米国におけるイノベーションについては、これを創出する国内の技術基盤が、製造業の海外移転(オフショアリング)といった、米国企業がグローバルに効率化を図る活動等により、衰退することが懸念されてきた。
オバマ政権は、この懸念を背景に、米国企業の新たなビジネスモデル構築を支えるイノベーション環境の充実を図り、国内の新たな基盤技術を強化するイノベーション政策を展開している。
①オバマ政権のイノベーション政策の基本方針
2009年1月に発足したオバマ政権は、新しい良質な雇用と持続可能な経済成長を実現するため、イノベーションを重視してきた。
オバマ政権のイノベーション政策の基本方針は、“A Strategy for American Innovation: Securing Our Economic Growth and Prosperity”(「米国イノベーション戦略」)203(2009年9月発表、2011年2月改訂)に明示されている。同戦略は、20世紀の米国はイノベーションによって世界経済をけん引してきたこと、過去の非持続的なバブル主導の経済から脱却し、新しい良質な雇用と持続的成長を確保するには、イノベーションが鍵となることを指摘した。そして、イノベーション経済を築くための基盤として、「イノベーション基盤への投資」、「市場主導のイノベーションの促進」及び「国家的優先課題へのブレイクスルーの誘発」(改訂版)の3つの方針を挙げ(第Ⅱ-2-1-2-16図)、米国の得意とする「国民の創造性と構想力」に投資してイノベーション経済を構築することを目指している。
第Ⅱ-2-1-2-16図 米国イノベーション戦略(改訂版)
以下では、この「米国イノベーション戦略」に取り上げられている方針の中から、米国企業の新たなビジネスモデル構築の動きの基盤となる先端製造業への支援と、情報通信分野のイニシアティブを見ていく。
(a)市場の失敗を補う先端製造業への支援
2014通商白書で取り上げたように、米国では民間部門の研究開発の7割が製造業で行われており、製造業はイノベーションを喚起し、これまで米国の経済成長と雇用を支えてきたとされてきた。一方、海外移転(オフショアリング)や激化する国際競争の中で、単純で低賃金の分野のみならず、米国が生み出したハイテク分野の製造基盤、製造関連の研究開発基盤が失われ、米国の製造業が国際的に競争力を失いつつある状況への危機感が高まった204(第Ⅱ-2-1-2-17図)。
第Ⅱ-2-1-2-17図 米国工業製品及び先端技術製品の貿易収支
この状況を踏まえ、前述の「米国イノベーション戦略」(2011年2月改訂版)において、継続的なイノベーションにとって重要であるにもかかわらず、市場の失敗によって進展が妨げられるおそれのある「国家的優先課題」の一つとして「先端製造業」に対し政府が技術進歩の支援を行うことが提起された。
この国家的課題とされる先端製造業とは、センシングやネットワーキングなど、現在進展するIoTの根幹となる技術を含む概念とされている205。
そして、従来型の製造業と一線を画す新たな先端製造業を中核として、産官学連携の枠組み(先端製造業パートナーシップ(Advanced Manufacturing Partnership(AMP)))の立ち上げ、高度なセンシング、積層造形、産業ロボティクスなどの分野横断的な先端技術への予算投入、地域における先端技術のエコシステムを培う産学連携の拠点設置など、その誕生と成長を支援し、米国の国際競争力を高めるための政策が取られている。
203 国家経済会議(NEC:National Economic Council)、大統領経済諮問委員会(CEA:Council of Economic Advisers)、科学技術政策局(OSTP:Office of Science and Technology Policy)の連名で発表。研究開発投資(民間と政府の研究開発費合計)を対GDP比3%とする等の目標設定、イノベーションの担い手を育てるための科学・技術・工学・数学(STEM)教育や官民パートナーシップの強化も重視されている。
204 大統領科学技術諮問委員会(PCAST:President’s Council of Advisors on Science and Technology)(2011)。
205 PCASTの報告によれば、「(a)情報、オートメーション、コンピュータ計算、ソフトウェア、センシング、ネットワーキング等の利用と調整に基づくもの、(b)物理学/生物化学(ナノテク、化学、バイオロジー)による最先端材料と能力を活用するもの」であり、「新たな製品と製造工程を含む」とされている。
(b)イノベーション経済の基盤としてのIT研究開発政策
一方、イノベーション戦略におけるIT分野の施策は、「先進的情報技術エコシステムの構築」211として、教育、基礎研究、インフラ整備とともに米国の将来の経済成長と競争力をけん引するイノベーションを誘発するための基盤の一つと位置づけられてきた(「米国イノベーション戦略」(改訂版))。この中で、ブロードバンド、スマートグリッドやサイバーセキュリティーなどのインフラ的な基盤と並んで、次世代の情報通信技術の研究開発をサポートするとして、次世代スーパーコンピュータ、CPSなどへの投資が掲げられている。
さらに、オバマ政権は、増大するデジタルデータの活用促進のため、2012年3月に「ビッグデータ研究開発イニシアティブ」(“Big Data Research and Development Initiative”212)を発表した。大量かつ複雑なデータから知識と本質を引き出す能力を高めることで、国家的な課題への解決につなげることを目的としており、6つの連邦政府機関213に対し、2億ドル以上の研究開発予算を組んでいる214。また、民間企業や大学、非営利団体等と連携した共同事業も呼びかけ、産官学パートナーシップ事業も行われている215。
211 「国家規模での先端通信ネットワークの開発」、「ブロードバンドアクセスの拡大」、「配電網の近代化」、「サイバースペースの安全化」、「次世代情報通信技術の研究支援」の5つを投資対象にあげている。
212 Office of Science and Technology Policy (2012) “For Immediate Release: Obama Administration Unveils “Big Data” Initiative: Announces $200 Million in New R&D Investments”, (https://www.whitehouse.gov/sites/default/files/microsites/ostp/big_data_press_release_final_2.pdf).
213 国立科学財団(National Science Foundation)、国立衛生研究所(National Institutes of Health)、国防総省(United States Department of Defense)、エネルギー省(United States Department of Energy)、国防高等研究計画局(Defense Advanced Research Projects Agency)、地質調査所(United States Geological Survey)の6機関。
214 なお、ビッグデータによるリスクの最小化という観点で、プライバシー保護など今後取組を進める必要がある問題を提起する報告書が発表されている(大統領行政府(Executive Office of the President), (2014))。
215 “Data to Knowledge to Action” (2013), (https://www.nitrd.gov/nitrdgroups/index.php?title=Data_to_Knowledge_to_Action).
②イノベーション政策に当てられる予算措置
米国のイノベーションを資金面から促進する観点においては、ベンチャー企業による活動を支える充実したベンチャーキャピタルなどが、重要な機能を担っているが、インターネットやGPSなどの開発に見られるように、米国連邦政府の資金供給元としての役割(「ビッグプッシュ」)も、国の科学技術研究のみならず企業の技術開発を支える要素となっている。
2007年8月に成立した米国競争力法(The America COMPETES Act216)及び2010年の米国競争力再授権法などに基づき、米国の国際競争力優位を高めるため、研究開発によるイノベーション創出の推進や人材育成への投資促進、ハイリスク研究の促進及びこれらのための政府予算の大幅増加など、政府によるイノベーション関連研究への積極的な投資が行われてきた。
これらの取組はオバマ政権でも引き継がれており、「米国イノベーション戦略」に先立ち、2009年2月に成立した「米国再生・再投資法(ARRA:American Recovery and Reinvestment Act of 2009)」217においても、経済金融危機後の景気対策の目標として、雇用の確保、経済活動の活性化といった早期に効果が必要とされる対策のみならず、長期的な成長のための投資の観点からイノベーション経済の基盤構築支援として1,000億ドル以上の資金が投資されている(第Ⅱ-2-1-2-18図)。
第Ⅱ-2-1-2-18図 ARRAによるイノベーションへの投資額
ただし、これらの資金投下については、支援対象となる産業や企業に関する投資判断の困難さ等から、財政支出の是非が問われており、実際、ARRAに基づく融資保証を受けた企業の破綻という事態も生じている。このような問題を背景に、後述する科学技術関連予算編成に向けた政府の覚書においては、ハイリスク・ハイリターン研究の支援を推奨するとともに、市場の失敗の是正、幅広い問題の解決及びイノベーションの触発を導出する成果ベースの市場インセンティブ(「プル」メカニズム)によって、補助金等の「プッシュ」メカニズムを補完することも、指針として掲げている。
イノベーションの基盤となる研究開発について、各国の政府研究開発費を比較すると、米国は我が国の約3倍の規模を有しており、政府研究開発費の対GDP比で見ても、米国は他の主要国の中でも高い水準にある(第Ⅱ-2-1-2-19図)。
第Ⅱ-2-1-2-19図 各国における政府研究開発費及び同GDP比率(2012年)
米国のイノベーション関連予算における広範的な優先課題については、毎年、大統領府行政管理予算局(OMB:Office of Management and. Budget)と科学技術政策局(OSTP:Office of Science and Technology Policy)が連名で科学技術関連予算編成に向けた覚書として示している。2016年度予算に向けて発表された優先課題には、ロボティクスやCPSといった、多分野に渡り恩恵を与える将来的な産業のための先端的な製造技術、また、ビッグデータの活用や、そのためのサイバーセキュリティなどが挙げられている218。
これを踏まえてオバマ政権が提出してきた予算教書には、イノベーションによる経済成長を確保しようとする概念が現れている。2016年度予算教書219における研究開発予算は、同覚書を踏まえて、先端製造技術開発含め2015年度予算比で5.5%増となる1,460億ドルと大きく増額されており、良質な雇用創出と、持続的な経済成長をもたらすための研究開発を重視する姿勢が打ち出されている(2015年2月発表)(第Ⅱ-2-1-2-20図、第Ⅱ-2-1-2-21表)。
第Ⅱ-2-1-2-20図 米国研究開発予算の推移
第Ⅱ-2-1-2-21表 2016年度予算教書 研究開発関連予算(抜粋)
216 The America Creating Opportunities to Meaningfully Promote Excellence in Technology, Education and Science Act.
217 世界的な経済金融危機後の景気低迷を打開すべく、過去最大規模の景気対策(10年間で総額7,872億ドル)を実施した。
218 ①先端製造業と未来の産業②クリーン・エネルギー③地球観測④気候変動⑤情報技術⑥生物学・神経科学イノベーション⑦国家安全保障⑧政策形成・管理の8つが挙げられている(独立行政法人科学技術振興機構 研究開発戦略センター(2014b)。
219 “Middle Class Economics”というテーマで中間所得層に対する支援に重点を置いており、2016年度予算規模は総額で3兆9,900億ドルとされている。
③まとめ
このように、米国は、イノベーションを創出する国内の技術基盤の衰退に対する懸念を背景に、新しい良質な雇用と持続的成長を確保するため、イノベーションが主導する経済への移行を目指しており、産官学の連携強化を通じた国内イノベーション環境の充実、基盤技術を強化する施策や予算措置を継続している。
そもそも、米国においては、潤沢かつ円滑な資金循環が積極的にリスクを取る企業のチャレンジを支えることで、新たなイノベーションが生まれやすいという環境が存在しており、これを補完する形で、イノベーション基盤を強化させる米国政府の政策が機能している。
この環境の下、米国企業はデジタル化によって激変する近年の競争環境を先行する形で先進的なビジネスモデルをスピーディに構築し、同企業が世界において優位に立つプラットフォーム型ビジネスを、他のビジネスともインテグレートすることで更に優位性を高めている。そして、このような米国企業の動きは米国におけるイノベーション産業の集積を引き起こしながら、米国のグローバルな競争力を高めていると考えられる。