第1節 コロナ禍からの正常化を見据えた世界経済の動向
1.世界経済の動向
2021年は未曾有のショックとなった新型コロナウイルスへの対応が進展し、世界経済が回復してきた姿とその後の姿が示唆される一年であったといえる。
2020年序盤に感染が深刻化した新型コロナウイルスは、世界経済に深刻な景気後退をもたらした。他方、新型コロナウイルスは、デルタ株やオミクロン株といった変異株の感染拡大もあり、数次の感染拡大期を経たものの、足下では新型コロナウイルスによる死者数は減少傾向にある(第Ⅰ-2-1-1図)。ワクチンが普及したこと等が背景にある。
第Ⅰ-2-1-1図 新型コロナウイルスによる死者数の推移
新型コロナウイルスの感染が世界的に拡大していく中で、特に感染が深刻となった国では、国外からの人流を抑制するいわゆる水際対策が重要な施策となり、結果として国境を越える人の移動が厳しく制限された。国連世界観光機関が公表する統計によると(第Ⅰ-2-1-2図)、2020年4月には国際旅客到着数は前年比-96.7%もの減少となり、国境を越える人流がほぼ皆無ともいえる状況となった。2022年1月時点の国際旅客到着数は、新型コロナウイルスの感染拡大前である2019年1月と比較すると、依然として-67.1%もの減少になっているが、足下の動きでは徐々に国境を越える人の移動も回復している。
第Ⅰ-2-1-2図 国際旅客到着数
国内での人の移動動向を見ても、経済活動が回復に向かっていることが示唆されている。下図(第Ⅰ-2-1-3図)はデータが公表されている主要国において、それぞれの施設に訪れた人の数について、新型コロナウイルス感染が深刻化する直前に対してどの程度変化しているのかを示したものである。これを見ると、足下で、先進国(日本、米国、カナダ、ドイツ、フランス、英国)では小売・娯楽施設、駅、そして職場を訪れた人の数は、概して、新型コロナウイルス感染が深刻化する前を下回っているものの、落ち込み幅は感染が深刻であった時期に比べて縮小している。また、一部の新興国(インド、ブラジル)では、それらの施設を訪れた人の数は、ブラジルの小売・娯楽施設で新型コロナウイルスの感染深刻化前を下回っているものの、その他の施設では新型コロナウイルスの感染深刻化前を上回っており、先進国とは異なった状況が見られている。
第Ⅰ-2-1-3図 各施設を訪れた人の数
また、下図(第Ⅰ-2-1-4図)は新型コロナウイルスの感染防止策の厳格性を指数化したものを示している。同ウイルスの変異株の感染状況が深刻であったインドでは、2021年を通して厳格度指数が高止まりし、またドイツでも、変異株の感染拡大が見られた2021年の終盤にロックダウンを行ったことで厳格度指数が急激に上昇した時期がある等、各国の動向に差異は見られるものの、新型コロナウイルスの感染対策の厳格性は、2020年の序盤に急激に上昇した水準に比較すれば、概して低下している。
第Ⅰ-2-1-4図 新型コロナウイルス対策の厳格度指数
上述のような新型コロナウイルスへの対応の進展と、人の移動といった経済活動に対する制限の緩和を踏まえて、IMFによると、2021年の世界経済の実質GDPは5.9%の成長となり、統計が開始された1980年以降では最も高い成長率となった(第Ⅰ-2-1-5表)。ただし、個別国の動向を見ると、先進国では、米国等が2020年の落ち込みを取り戻す以上の高い成長率となった一方で、それ以外の国では、プラス成長を記録はしたものの、2020年の落ち込みを取り戻す成長率とはならなかった。先進国の中でも、特に我が国とドイツにおいて、2021年の実質GDP成長率が比較的に低位となっている。両国では実質個人消費支出の回復が限定的であった(第Ⅰ-2-1-6図)。また、新興国でも、新型コロナウイルスの感染が深刻化した2020年にもプラス成長を達成した中国が2021年にも高成長を維持し、インドも2020年の落ち込みを取り戻す以上の高成長であったが、回復の程度は新興国の地域間で異なっている。総じて、新型コロナウイルスの影響からの世界経済の立ち直りは、国・地域間でペースの異なるいわゆる「K字型」の回復であったといえる。
第Ⅰ-2-1-5表 世界の実質GDP成長率
第Ⅰ-2-1-6図 先進国の実質個人消費支出の比較(2021年)
新型コロナウイルスの影響からの「K字型」経済回復になるまでに、世界経済がどのような成長を辿ってきたのかを振り返ると、特に顕著に見られるのが、2000年代序盤からの先進国経済に比較した新興国経済の実質GDPの高成長率である(第Ⅰ-2-1-7図)。
第Ⅰ-2-1-7図 先進国と新興国の実質GDP成長率
この背景には、2001年12月の中国によるWTO加盟を中心として、特に製造業において、製造工程を国際的に分散するグローバルバリューチェーンの形成に新興国が組み込まれてきたという要因がある。そうした経済のグローバル化といった潮流もあり、新興国では好調な輸出が中心となり高成長が達成されてきた。このようなマクロ的な経済発展を端的に示しているのが、先進国と新興国の経常収支である。2008年9月に起こった世界金融危機によってその差が縮小するまでは、先進国の経常収支の赤字(すなわち国内の過剰消費)が、新興国の経常収支の黒字(すなわち国内の貯蓄超過)で賄われるといった形で世界経済の成長が促されてきた(第Ⅰ-2-1-8図)。
第Ⅰ-2-1-8図 先進国と新興国の経常収支
なお、2021年の経済回復の背景には、2020年に取り組まれた経済対策の効果がある。実際に、世界実質GDP成長率を四半期別で見ると(第Ⅰ-2-1-9図)、2020年は前半での経済成長率の落ち込みが大きかったが、同年後半には家計への現金給付や企業金融支援などの財政・金融支援策が奏功し、個人消費や設備投資の回復が顕著になっていた。
第Ⅰ-2-1-9図 世界実質GDPと構成項目の寄与度
ロシアによるウクライナ侵略が引き起こした経済の混乱という下方リスクはあるものの、2022年の世界実質GDP成長率は3.6%が見込まれており、同侵略の影響が強い欧州新興国・発展途上国を除けば、国・地域別でも概して順調な成長が見込まれている。2022年はロシアによるウクライナ侵略が経済に及ぼす影響や、新型コロナウイルスの影響が克服された後の経済を見据える一年になり、本節ではどのような要素が重要になり得るのかを見ていく。
2.コロナ禍の影響が残る政府債務
本章第2節で詳述するように、新型コロナウイルスの影響から経済回復を促していく中で、各国・地域の政府は積極的な経済対策を行ってきた。政府債務への影響という観点からは、それらの政策は主に二つの種類に分類される。
一つ目としては、予算として計上された政策規模が直接的に政府支出の増加を伴う政策である。具体的には、家計への現金給付や、失業保険額の上積み及び給付期間の延長などの政策がそれにあたる。これらの政策を行う場合には、政府は主に国債の当初予算額以上の発行といった手法によって調達した資金を用いるため、政府債務残高が増加する主な要因となる。下記の図(第Ⅰ-2-1-10図)は2020年と2021年の政府債務残高の名目GDPが変動した要因を表しており、特に先進国と新興国では政府支出の直接的な支出を伴う政策が発動されたこともあり、「政策要因」が政府債務の主な増加要因であることが示されている。下記に述べる二つ目の種類の債務とは違い、直接的な支出は予算に従った政策執行となるため政策規模は不透明にはならない。
第Ⅰ-2-1-10図 政府債務の変動要因
二つ目としては、政策の実施を決定した時には予算規模を決定するが、その発動が直ちに政府債務の増加にはつながらない政策である。具体的には、企業金融支援策の主な政策手段となる信用保証の付与がそれにあたる。信用保証の付与は、金融機関が企業に対して貸付を行う際に、仮に企業の返済が滞ることで貸倒れが発生したとしても、政府が企業にかわって貸付元本を金融機関に対して弁済するという仕組みである。この政策における特徴としては、企業が貸付の返済に窮することがなければ、信用保証のために見積もられた予算を執行する必要はないということである。換言すれば、企業倒産などが発生した場合に政府債務の負担が現実化するということであり、このように特定の条件下で実現化する債務は偶発債務と呼ばれる。
新型コロナウイルス対策において、政府の信用保証などの想定規模となる偶発債務の名目GDP比は、G20各国の中では、我が国を含め、ドイツ、フランス、イタリア、英国といった先進国で比較的高く、その中でも欧州諸国では、政策規模の大半が実行されている(第Ⅰ-2-1-11図)。新型コロナウイルスの感染拡大から世界経済は回復期にあるが、その影響が時差を伴って企業金融に影響し、偶発債務の実現化という形で政府債務を増加する可能性には注意を要する。
第Ⅰ-2-1-11図 新型コロナウイルス対策による政府の偶発債務規模
3.実質的な産業政策手段にもなった企業金融支援
新型コロナウイルスは世界的に深刻な景気後退をもたらした一方で、企業の国際的な活動の中で落ち込みが抑えられたものもある。具体的には、企業のクロスボーダーM&Aは新型コロナウイルスの感染が世界的に深刻化した2020年には大幅な落ち込みにはならず、例えばドットコムバブルが崩壊した2000年代序盤や世界金融危機が発生した2008-2009年と比較すれば、件数の落ち込みは限定的である(第Ⅰ-2-1-12図)。こうした特徴は製造業と非製造業に共通して見られており(同左図)、また先進国と発展途上国のように国の所得段階別で見ても同様である(同右図)。
第Ⅰ-2-1-12図 クロスボーダーM&A件数
また、業種別のクロスボーダーM&Aでも特徴が見られる。製造業の中では、製薬業のクロスボーダーM&Aの件数は全体の件数とは逆にむしろ増加し(第Ⅰ-2-1-13図)、サービス業でのクロスボーダーM&Aでは、情報通信業や金融・保険業での件数の減少が特に限定的であった(第Ⅰ-1-2-14図)。新型コロナウイルスの影響は世界的に深刻化し、世界経済に深刻な打撃をもたらしたが、ワクチン開発や医療品の供給の強化を目指したものや、非対面型のサービスを提供するためとみられる企業のネットワーク形成の需要が根強かったことが示唆されている。
第Ⅰ-2-1-13図 製造業のクロスボーダーM&A件数
第Ⅰ-2-1-14図 サービス業のクロスボーダーM&A件数
新型コロナウイルスへの経済対策は、影響が深刻な家計や企業への支援が中心であった一方で、実質的な産業政策として行われた側面も注目される(第I-2-1-15図)。具体的には、影響が深刻な企業への金融支援策の一環として、政府による資本金の供与といった実質的な国有化政策が実施された例もある。この結果、新たに国有化された企業も出てきており(同左図)、特に先進国の国有多国籍企業による2020年のクロスボーダーM&A金額は増加した(同右図)。環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTPP)を始め、大規模な地域貿易協定では、政府調達などにおける外国企業の内国民待遇が規定されているものの、公平で公正な競争環境(いわゆるレベルプレイングフィールド)への形成に向けた影響が注目される。
第Ⅰ-2-1-15図 新型コロナウイルス対策で国有化された企業と国有多国籍企業によるクロスボーダーM&A
4.貿易量の偏在とインフレ圧力
2021年には世界経済の回復に伴って世界の貿易量も回復した。世界の輸出数量は新型コロナウイルスの感染が世界的に深刻化する前である2019年の水準を取り戻しており、特に新興国からの輸出の回復が顕著である(第I-2-1-16図)。
第Ⅰ-2-1-16図 地域別の輸出数量
一方で、世界貿易金額を名目GDP比で見ると、2021年には同比率は上昇しているものの、やや長い目で見れば、世界金融危機から世界経済が立ち直った2011年以降のすう勢的な低下が目立っている(第I-2-1-17図)。上述の通り、足下では貿易量が回復しているものの、経済規模対比で見れば貿易を伴わない回復(いわゆるスローバリゼーション)が進展した。
第Ⅰ-2-1-17図 世界の財輸出の名目GDP比
輸出数量の回復が地域別で異なっていることが示唆しているように、財貿易の大部分を占める海上輸送において地域ごとの差異が見られている。世界コンテナ取扱数量指数を見ると、新型コロナウイルスの感染が世界的に深刻化する2019年の水準を大きく上回っている(第I-2-1-18図)。そうした中でも、米国と中国ではコンテナ取扱量指数が新型コロナウイルスの感染拡大前を上回っている一方で、日本、韓国、台湾を総合した指数は感染拡大前の水準を下回っている(第I-2-1-19図)。こうした貿易量の回復の偏在は、特に貿易量の回復が顕著な国・地域において、コンテナの不足による物流の混乱という形でインフレ圧力を高め、世界経済に影響を及ぼした。
第Ⅰ-2-1-18図 世界コンテナ取扱数量指数
第Ⅰ-2-1-19図 地域別の取扱数量指数
政府による新型コロナウイルス対策が奏功したこともあり、世界経済は素早いペースで回復したといえる。すなわち、需要側の回復が素早かったことで、供給側の回復が追いつかなかった側面があり、それによって特に海上輸送では物価上昇圧力が高まった(第I-2-1-20図)。海上輸送費の動向を示すバルチックドライ海運指数を見ると(同左図)、2021年半ばには急激に上昇し、同年終盤にかけて下落していたものの、足下では再び上昇しており、依然として新型コロナウイルス感染が深刻化する前の2019年の水準を上回っている。IMFの分析によると、2021年の海上輸送費の高騰は供給要因による寄与が高かったとの分析が示されており、上述のように地域間で貿易量が偏在していたことの影響の強さが示唆されている(同右図)。
第Ⅰ-2-1-20図 バルチックドライ海運指数
供給側のインフレ圧力は実際に消費者段階での物価上昇にも現れている(第I-2-1-21図)。食品やエネルギーなどといった一次産品が含まれる総合消費者物価インフレ率の高騰については、気候変動対策として、燃焼による二酸化炭素排出量が、石油よりも少ない液化天然ガスへの需要が高まり価格が上昇したことも影響している。しかし、それらの一次産品を含まないいわゆるコア消費者物価指数の上昇ペースが速まっていることは、物流コストの上昇が物価全般に影響を与えていることを示唆している。
第Ⅰ-2-1-21図 先進国(左図)と新興国(右図)の消費者物価指数
5.デジタル化への対応と根強い接触型の経済活動への需要
新型コロナウイルスは、感染拡大の予防策として、例えば生産現場に従業員が物理的に集合して活動を行うことを困難にするなど、人と人との接触を抑制するという特徴を持っていた。そうした特徴によって、可能である場合にはテレワークが促進され、主要なオンラインコミュニケーションツールの一つであるマイクロソフト社のTeamsの月次利用者数をテレワーク普及度の代理変数として見ると、2019年11月時点で2千万人であった利用者数は、2022年1月時点では2.7億人と2年間程度で13.5倍もの増加となった(第I-2-1-22図)。
第Ⅰ-2-1-22図 Microsoft Teamsの月次ユーザー数
こうした人々の働き方の変化が資産価格にも影響を与えた可能性がある。具体的には、新型コロナウイルスの感染が深刻化した2020年以降は、実質住宅価格と住宅価格の家賃比率の上昇ペースが加速した(第I-2-1-23図)。国別の住宅価格指数を見ても、同様の上昇が幅広く見られている(第I-2-1-24図)。この間には、中央銀行による金融緩和政策の継続によって低金利が維持されたとの要因もあるが、新型コロナウイルスによる経済への打撃を考慮すれば、住宅需要が強まった要因は、テレワークの浸透といった住宅ローン金利の低下だけではない要因の存在が考えられる。
第Ⅰ-2-1-23図 住宅価格の動向
第Ⅰ-2-1-24図 国別の住宅価格
更に、テレワークの普及は、換言すればオフィス需要の減退を示唆することになる。実際に、世界の主要都市のオフィス賃料の推移を見ると、新型コロナウイルスの感染が深刻化してからは、半年前比で見たオフィス賃料の変化率は概ね下落が続いている(第I-2-1-25図)。新型コロナウイルスによる人々の行動様式の変化は、住宅価格やオフィス賃料といった資産価値にも影響を与えた可能性がある。
第Ⅰ-2-1-25図 世界の主要都市のオフィス賃料
また、非接触という形で提供する必要性が高まったサービスに教育が挙げられる。下図(第I-2-1-26図)は、所得分類に基づいた各国において、リモート学習支援策が実施されている国の割合を示したものである。それを見ると、高所得国では政策の実施割合が高い一方、低所得国において政策を実施している割合が低位であり、政策を実施していないとの回答割合が5割を上回っている。新型コロナウイルスの感染拡大によって、オンライン教育の重要性が高まっていることを踏まえれば、こうしたリモート学習を支援する政策の実施状況の差異は、ひいては低所得国において高所得国に比較した人的資本の潜在的な毀損が発生していることを意味し、長期的に見れば低所得国の経済成長の抑制につながる可能性もある。
第Ⅰ-2-1-26図 所得分類別の各国におけるリモート学習支援策の実施割合
さらに、教育と同様に、医療も非接触型で提供する必要性が高まったサービスである。下図(第I-2-1-27図)は我が国において、電話・オンライン診療が受けられる医療機関の推移を示したものである。それによると、電話・オンライン診療に対応する医療機関数は新型コロナウイルスが深刻化してからは、2020年4月から5月にかけて大幅な増加が見られるが、新型コロナウイルスの感染拡大の第一波が収束した6月には頭打ちとなり、その後はほぼ一定で推移している。また、電話・オンライン診療に対応する医療機関は全体の2割に届いておらず、初診から対応する医療機関では1割に届いていない。
第Ⅰ-2-1-27図 我が国で電話・オンライン診療に対応する医療機関
オンライン医療の利用動向を他国と比較してみると、米国では外来診療に対して適用されるパートB保険において、外来者全体に占める遠隔診療を利用した割合は2020年で5.3%にとどまるが、特に予防診察を含む保険行動において遠隔診療を利用した割合は38.1%と大きく高まった(第Ⅰ-2-1-28図)。また、中国においては、オンライン医療の主要なプラットフォームとなっている平安好医生(Ping An Doctor)について、登録者数などの利用状況や、オンライン診療サービスの歳入などの業績を見ると、新型コロナウイルスが深刻化する以前からオンライン診療の利用が進んでいたことが示唆されている(第Ⅰ-2-1-29図)。教育や医療といった社会インフラは、新型コロナウイルスがオンライン化の必要性を高めたとの特殊な要因はあるものの、技術の進歩と人々の需要に合わせた適切な形での提供と、低所得国におけるデジタルアクセスへの困難を緩和するための施策が重要な課題である。
第Ⅰ-2-1-28図 米国のオンライン診療の利用状況
第Ⅰ-2-1-29図 平安好医生(Ping An Doctor)の業績
一方で、新型コロナウイルスの感染は、非接触型の経済活動を一方的に押し進めている訳ではない。電子商取引市場の規模が大きい国において、電子商取引が小売売上に占める割合を見ると、感染が深刻化した2020年序盤には同割合の急上昇が見られたが、その後は同シェアが横ばいであるとの動きが共通して見られている79(第I-2-1-30図)。このことからは、小売では消費者が購入するものをある程度は事前に決定しており、オンライン店舗を利用することが合理的であったとしても、実際の店舗での消費体験に対する需要は根強く、オンライン消費と実際の店舗における消費が共存していく可能性が高いことが示唆されている。
第Ⅰ-2-1-30図 小売売上に占める電子商取引の割合
本項での議論を総じれば、新型コロナウイルスの感染拡大は、その直後に非接触型の経済活動に対する需要を旺盛にし、それによって生じたデジタル化の流れに迅速に対応できた企業にビジネスチャンスをもたらした。その一方で、接触型の経済活動に対する需要も依然として根強く、企業は成長の牽引役としてデジタル化を進展させつつも、接触型と非接触型の経済活動をハイブリッド型に展開する対応が重要となる。
79 Alcedo et al (2022)は、マスターカード社の47か国・26業種の取引データを用いて、新型コロナウイルスの感染深刻化前のオンライン取引のシェアが高い国ほど、感染深刻化後の同シェアの上昇が顕著であるとし、業種によって差異はあるものの、最新のデータでは同シェアの上昇は一巡していると議論している。
6.所得面以外にも多様化する労働市場の格差
新型コロナウイルスが労働市場に与えた影響は、どのような側面を見るのかによって異なる。国際労働機関(International Labour Organization: ILO)の推定によると、新型コロナウイルスによって失われた労働時間は、感染が世界的に深刻化した初期段階である2020年第2四半期に最も深刻であったが、その後は労働時間の減少は緩和され、足下では2019年第4四半期対比で5%程度の減少にまで持ち直している(第I-2-1-31図)。こうした動きは、所得別段階に分類した国の間で共通して見られており、労働時間という側面では新型コロナウイルス影響は特に格差の拡大をもたらした訳ではないといえる。
第Ⅰ-2-1-31図 新型コロナウイルスによって失われた労働時間
また、15歳以上の雇用率を所得段階別で比較すると、新型コロナウイルスの感染が深刻化した2020年に同率が減少したことも共通して見られている特徴である(第I-2-1-32図)。同率の推移を見ると、新型コロナウイルスの感染拡大前からの傾向として、高所得国での上昇とそれ以外の所得段階の国での低下がすう勢的に見られており、世界経済をマクロ的にみれば、雇用は主に先進国で創出され、発展途上国では雇用創出が低迷してきたとの潮流が示されている。ただし、そうしたすう勢的な差異を別にすれば、雇用の減少圧力という点においては、新型コロナウイルスは、所得段階別で見たグループに共通して影響していたことが示されている。
第Ⅰ-2-1-32図 所得段階別の15歳以上の雇用率
一方で、新型コロナウイルスが労働市場にもたらした格差とみられるのは、業種間でみられる雇用減少の差異である。工業とサービス業の雇用を見ると、サービス業よりも工業での雇用の減少率が大きかったことは全ての所得段階の国において共通して見られている(第I-2-1-33図)。また、特に低位中所得国と高位中所得国においては工業の雇用減少が顕著であり、これらの国では他国の輸出において自国の付加価値が占める割合が高まっていることを踏まえると(サプライチェーンへの前方参加の増加)、グローバルサプライチェーンにおける国際分業体制への参加が活発になってきたことによって、世界的な景気後退の影響が貿易の減少を通じて強く反映されたと考えられる(第I-2-1-34図)。
第Ⅰ-2-1-33図 所得段階別の工業とサービス業での雇用
第Ⅰ-2-1-34図 中所得国のサプライチェーンへの前方参加
また、失われた雇用の面からも、上述のように各国の製造業がグローバルサプライチェーンに組み込まれてきた影響が見られる(第I-2-1-35図)。所得段階別の失業率を見ると、新型コロナウイルスの感染が深刻化した2020年は一様に上昇したが、その影響から経済が回復した2021年においても特に上位中所得国の失業率は上昇を続け、2022年の低下が限定的であることが見込まれている(同左図)。2020年のスキル別の雇用は、製造現場の雇用が含まれると見られる中スキルでの減少幅が最も大きく(同右図)、世界経済が景気後退に陥った中で貿易が減少し、国際分業体制に組み込まれた職種が深刻な影響を受けていたことが示唆されている。長期的な推移でスキル別の雇用割合を見ても、上位中所得国では中スキルの雇用割合の増加が他の所得段階の国に比較して大きいことが示されている(第I-2-1-36図)。
第Ⅰ-2-1-35図 所得段階別の失業率(左図)と2020年のスキル別雇用(右図)
第Ⅰ-2-1-36図 スキル別雇用の割合
所得段階別といった各国の間での格差とは別に、国内での格差も重要な視点である。この点から、各国において低給与で雇用されている割合を見ると、豪州、ニュージーランド、そして米国では、2020年の低給与雇用率が上昇した(第I-2-1-37図)。これらの国の間では、景気の悪化に伴い発生する雇用への下押し圧力に対して、企業が一時解雇や再雇用の決断を下しやすいのか、雇用調整金のような政策で雇用を維持するのかといった雇用慣行的及び制度的な違いがあると見られるものの、一部の国で見られる低給与雇用率の高まりは、国内の所得格差の拡大圧力になり得る。
第Ⅰ-2-1-37図 低給与雇用率
高所得国での雇用減少率が比較的低位である背景に、それらの国では雇用対策の手厚い政策支援があったことに加え、それらの国での雇用では求められるスキルが比較的高いことから、景気の悪化による雇用の下押し圧力に対しても耐性があることが考えられる。特に、コンピュータに関連したデジタルスキルの格差はデジタルデバイドと呼ばれ、所得段階別で見た格差は拡大している。デジタルアクセスの面を見ても(第I-2-1-38図)、固定ブロードバンド契約(同左図)や自宅でインターネットがある家計(同右図)といった指標では先進国と低所得国の間で格差が拡大している。また、デジタルスキルの面でも、標準的なICTスキルを持つ個人の割合は国の間での格差は大きい(第I-2-1-39図)。このようなデジタル人材についての教育格差が、雇用や所得の格差に及ぼしていく影響も更に重要になっていくと見られる。
第Ⅰ-2-1-38図 デジタルアクセス(左図:固定ブロードバンド契約、右図:自宅でインターネットアクセスがある家計の割合)
第Ⅰ-2-1-39図 標準的なICTスキルを持つ個人の割合
7.経済のグリーン化による資源調達の重要性
各国・地域が講じた新型コロナウイルス対策には、経済のグリーン化を促すという気候変動に対応した施策が含まれていることも特徴的である。経済をグリーン化していく上で、例えば電気自動車の普及にはリチウムイオン電池が重要であり、また風力発電には永久磁石(ネオジム磁石など)を使用する風力発電装置が重要であるように、それらを生産する技術だけではなく、必要な素材となる希金属(レアメタル)や希土類(レアアース)などの重要鉱物の調達が重要になってくる(第I-2-1-40表)。実際に、気候変動に関するパリ協定において合意された今世紀後半の温室効果ガス排出量実質ゼロの達成を目指すと、リチウムの需要は2030年時点で2010年の25倍以上になるとの試算もあり、その他の重要金属についても需要の拡大が見込まれる(第I-2-1-41図)。
第Ⅰ-2-1-40表 重要鉱物の用途例
第Ⅰ-2-1-41図 重要鉱物の需要見通し
パリ協定における温室効果ガス排出量実質ゼロを目指す動きが世界的に拡大するにつれて、重要になってくるのは重要資源の入手可能性である。下記(第I-2-1-42図)は主要な金属の埋蔵量と生産量を示している。具体例として、電気自動車の駆動において重要なエネルギー源となるリチウムイオン電池の原料となるリチウムを見ると、埋蔵量という面での主要な原産国はチリと豪州であり、両国ともに環太平洋パートナーシップに関する包括的および先進的な協定(CPTPP)の加盟国である。
第Ⅰ-2-1-42図 主要な金属の埋蔵量と生産国の国別シェア
一方で、米国政府が大統領令の下で作成したサプライチェーンの調査レポートによると、リチウム電池の生産サイクルについて、特に中流段階における供給能力が特定国に偏在しているとの指摘もあり、サプライチェーン強靭化の観点を考慮すれば、懸念が出てくる(第I-2-1-43図)。こうした例を踏まえても、重要産品については、それらの供給網について、調達先をある程度は多様化できるのか、国内の技術強化を図ることで調達の可能性を高めることが合理的であるのかといった多様な観点からリスクを分析することが重要である。
第Ⅰ-2-1-43図 リチウム電池の生産サイクルと生産過程の国別シェア
8.長期停滞からの脱却を促すビジネスダイナミズムの重要性
IMFが公表した2020年の世界経済の実質GDP成長率は-3.1%となり、統計が開始された1980年以降では最も低い成長率となった。新型コロナウイルス感染拡大が世界的に影響を及ぼしたことがその背景にあり、このような世界的に深刻な経済ショックが顕在化した場合には、その後の経済回復が遅くなる傾向があるとの長期停滞説の議論が注目される。長期停滞説は、1938年にハーバード大学教授のアルビン・ハンセン氏が提唱した議論であり、米国の大恐慌からの回復が弱く、失業が解消しない状況を長期停滞と捉え、基本的な原因を人口成長率の低下による投資需要の減少に求め、ローレンス・サマーズ氏(元米国財務長官、現ハーバード大学教授)がその議論を継承しているとされている80。
そうした長期停滞説を踏まえて、長期的な統計が入手できる我が国と米国について、実質GDP成長率と、設備投資に対する需要を示す貯蓄投資バランスを比較していく。実質GDP成長率に対して大きな影響を与えた経済ショックという観点では、両国に共通な世界的なショックとしては、石油危機(1970年代)、世界金融危機(2008年9月のリーマン・ブラザーズ証券の破綻を発端とした金融危機)、そして新型コロナウイルスの世界的な蔓延(2020年以降)が挙げられる。また、我が国に特有なショックとしてはバブル経済の崩壊とそれに続く不良債権の処理問題(1990年代以降)が挙げられ、米国では貯蓄貸付組合(いわゆるS&L)危機(1980年代)やIT企業バブルの崩壊(2000年代序盤)が挙げられる。
それらの経済ショックを踏まえて両国の長期的な実質GDPを概観すると、我が国では石油危機の影響と見られるマイナス成長が1974年(-1.2%)に記録したことをはじめとして、実質GDP成長率がすう勢的に低下しており、特にバブル経済崩壊に伴う不良債権処理が本格化する1990年代以降では、実質GDP成長率が低位に留まっている。一方で、米国の長期的な実質GDP成長率を概観すると、大恐慌期(1930年代)や戦間期(1940年代)では成長率の大幅な変動はあったものの、上述のような米国に特有な経済ショックを経ても、成長率のすう勢的な低下は見られていない(第I-2-1-44図)。そうした経済成長率の対照的な推移は、10年間毎の実質GDPの平均成長率において、我が国ではすう勢的に低下しており、米国では比較的底堅い推移になっていることからも示唆されている(第I-2-1-45表)。
第Ⅰ-2-1-44図 我が国と米国の実質GDP成長率
第Ⅰ-2-1-45表 我が国と米国の実質GDP成長率(10年毎の平均成長率)
長期停滞が引き起こされる原因として議論されている企業の貯蓄投資バランスを見ると、上述の我が国と米国で対照的な実質GDP成長率の長期的な推移を示唆する動向が見られる。すなわち、我が国(非金融法人ベース)では、実質GDP成長率が高水準であった1970年代には企業は積極的に投資をしていたが(貯蓄投資バランスにおける投資超過)、バブル経済の崩壊に伴う不良債権処理が本格化した1990年代の終盤以降ではそうした積極的な投資への姿勢が見られなくなっている(貯蓄超過の常態化)。一方で、米国の貯蓄投資バランス(民間法人ベース)を見ると、2000年代の終盤の世界金融危機によって企業が投資に消極的になった時期はあるものの、そうした大規模な危機を除けば概して企業は投資超過になっていることが示されている(第I-2-1-46図)。
第Ⅰ-2-1-46図 我が国と米国の企業の貯蓄投資バランス
そのような我が国と米国の違いの背景には、経済成長見通しに対する期待の差異があることが考えられる。経済成長見通しに対する期待は、平均的に見て実質GDP成長率がどの程度なのかといういわゆる潜在成長率(潜在成長率は景気を加速も後退もさせない中立的な金利として定義される実質金利や自然利子率とも呼ばれる)が関係していると考えられる。それを踏まえて、我が国と米国の潜在成長率を比較してみると、我が国では近年で潜在成長率が1%を下回っているが、米国では近年で世界金融危機前の水準である2%に回帰する動きが見られている。このように、比較的近年で見れば(第I-2-1-47図)、世界金融危機(2008年終盤以降)、欧州債務危機(2010年代前半)、新型コロナウイルスの蔓延(2020年以降)といった経済危機を経ても、経済成長見通し(すなわち潜在成長率)が危機以前の見通しへと復元しているということが、米国での投資に対する根強い積極姿勢に影響していると見られる。
第Ⅰ-2-1-47図 我が国と米国の潜在成長率
このように、我が国が依然として長期停滞説が議論するような状況にある中で懸念されるのは、ビジネスダイナミズムの停滞である。下表(第I-2-1-48表)は、我が国と米国において、ビジネスダイナミズムを観測するために有用であると考えられる指標について、両国を比較したものである。我が国については2010年から2018年を分析対象であり、米国については1980年代から2010年前後が分析対象になっているとの違いはあるものの、両国において主要な指標は概してビジネスダイナミズムの低下を示している。
第Ⅰ-2-1-48表 我が国と米国のビジネスダイナミズムの比較
上述のように、我が国と米国では長期的な視点で見たビジネスダイナミズムの低下という共通の事象が観察されている一方で、新型コロナウイルスの世界的な蔓延による経済危機が引き起こされた中でも、我が国と米国では企業の新陳代謝ともいえる動向に違いが見られている。具体的に、下図(第I-2-1-49図)は、我が国と米国の起業の動向を表したものであり、米国では新型コロナウイルスが深刻化する中でも、2020年の半ば頃からは雇用を前提とした起業が増加し、その後も新型コロナウイルスの感染が深刻化する前に比較して高い水準での推移が続いている。一方で、我が国の登記ベースでの会社設立件数を見ると、2021年4月には登記件数の突出したような増加が見られたが、概して会社設立件数は新型コロナウイルス感染が深刻化する前後で大きな変化は見られていない。
第Ⅰ-2-1-49図 我が国と米国の起業動向
企業の新陳代謝はイノベーションを促すような新たな企業の出現によって促進されるものであり、米国では新型コロナウイルスがもたらした社会生活の変化が、ビジネスチャンスとして捉えられていることが示唆されている。企業は、デジタル化の加速、資源の調達やサプライチェーンの管理といった経済安全保障の重要性の高まり、共通価値(人権や環境)を配慮することの重要性の高まりなど、従来とは異なった競争環境に直面しており、我が国でもビジネスダイナミズムを促進していくための環境整備が重要であると考えられる。また、コロナ前までの長期停滞は、コロナショック後の政府の支援を主な要因として、2021年以降、米国等における力強い回復という形で変化が見られる。財政支出・金融緩和による景気回復は一時的な現象であり、今後は中長期的な潜在成長率に収束していくと見られるものの、外需の拡大によって世界的な経済成長を取り込み、日本経済の成長に繋げていくことは重要である。
80 同氏の長期停滞論の分析は、例えば、Summers(2015)等を参照。